如月陽菜
聞いたことのある騒音が耳に入り込んでくる――人の話し声、叫び声。ジェットコースターの稼働音。
そして陽菜の声。
「やっと来れたね」
俺は陽菜と約束していた遊園地に二人で来ていた。
「雄也。あの約束守る気なかったもんね」
「別にそんなことは……現にこうして来ているわけで……」
「ただの結果論」
「はい……その通りです……すみません」
やむを得なかったんだ。あの時は本気で死のうとしていたわけだし。
「まぁ、でも来れてよかった」
言いながら陽菜は笑みを浮かべる。
「ってことでまずはあれから乗ろっか」
とそこで、それは不気味な笑みに豹変して、まるで仕返しでもするかのように陽菜は指を指す。
その方向とは――何度も乗って俺が酔ったジェットコースターだった。
笑いながら手を握ってくる陽菜の目は全く笑っていなかった。
「どうかお手柔らかにお願いします……」
それから俺たちは以前四人で乗ったジェットコースターを三回ほど乗って、今回はそれで何とか許してもらった。
「次何乗ろっか」
「絶叫系以外で」
「なら、お化け屋敷で」
「それ、別の意味での絶叫系じゃない?」
「もしかして雄也、ビビってるの?」
陽菜が煽るように言ってきたので、俺は胸を張って返す。
「全っ然!」
そんな虚勢を張った結果、またしてもあのトラウマお化け屋敷に入ることになった。でも今回は一人じゃなくて二人。怖がる要素が微塵もない。
真っ暗闇の中、陽菜の腕だけが俺の盾になってくれる。
「ねぇ、雄也」
突然の陽菜の声にビクッと体が反応する。
「な、なんだよ」
「その……気持ちは分かるけど、こういうのって普通は逆じゃない?」
俺から腕に抱きつかれている陽菜がいきなりおかしなことを口走る。
「な、な、なんのことだよ」
震える体を何とか抑えるために、更に陽菜に抱きつく。
断じて俺は怖がっていない。ただ暗いところが苦手なだけだ。そう、ただそれだけ。
心の中でまたしても虚勢を張っていると、陽菜が冷めた視線でこんなことを吐露した。
「雄也。私冷めちゃった」
「ん? 何を言ってるんだ?」
俺は陽菜の言葉の意味が全くもって理解できなかった。
「これが俗にいう『蛙化現象』ってやつかな」
続けて、陽菜は俺を困惑させてくる。
「なぁ、陽菜? 頼む。今はそんな変な冗談とかいらないから」
懇願するように陽菜に縋りつく。
「頼む。今は俺を一人にしないでくれ……」
が、その願いはすぐさま消え失せることになった。
「ってことで私一人で進むから、雄也は一人で来てね」
陽菜はどこか楽しげな表情で、俺から離れた。
俺は暗闇に消えていく陽菜の背中を呆然と眺めながら立ち尽くす。
数十秒後に意識を取り戻して、途端、前回同様に「うぁ〜」と呻き声が耳の中まで侵入してくる。
瞬間、俺は走り出した。
◇◇◇
走ったまま出口を突き抜けると、笑いをこらえた様子の陽菜がお腹を抑えていた。
俺は初めて陽菜に対して怒りが湧いた。
「俺を殺す気か」
陽菜は笑いで生じた涙を指で拭いながら答える。
「別にお化け屋敷で死なないって」
それに俺は粛々と問いただす。
「なんであんなことしたんだよ」
「なんで、か……」
陽菜はそれを真似するかの如く真剣な目で見つめてくる。
「仕返し、かな」
「仕返し?」
「うん。雄也は一度私を見捨てて死のうとしたでしょ? だからそのお返し」
「…………そっか」
先程の行動の意図はそういうことだったのかと、俺は得心しながら「でも」と続ける。
「もう絶対に一人にはしない」
陽菜は俯き気味に「うん……」と答えて、頬を染めた。
「でもさっきのは完全に楽しんでやってただろ」
「ふ〜ん。そういうこと言っちゃうんだ〜?」
「ごめんなさい……もう言いませんので、一人にはしないでください」
「しゃーなしね」
満面の笑みで言いながら陽菜は腕に抱きついてきた。
さっきとは立場が逆転した状態のまま俺たちはその後も遊園地デートを満喫した。
◇◇◇
そろそろ暗くなってくる時間帯――俺たちは前回同様、観覧車でその日を締めることにした。
向かい合う形で、前に座っていた陽菜が口を開く。
「前の時は邪魔者が入ったからね」
「いや、邪魔者って……」
「でもこれで心置きなく――」
言いながら陽菜は突然腰を上げて、膝を少しだけ折った状態でこちらに顔を近づけた。
夕日に照らされる二つの影は重なり合い――俺は唇を塞がれた。
陽菜の唇は柔らかかった。優しくて温かくて――陽菜の鼻息が何度も肌を刺激する。
やがて、二つの影は離れて、それぞれ向かい合う形に戻る。
これで元通り……と思っていたのだが、空気だけは元に戻る気配がなかった。
陽菜は下を俯きながら耳まで赤く染め上げている。
観覧車の進行度はまだ四分の一にも満たしていなかった。
つまり、この気恥ずかしい雰囲気が少なくとも半周以上は耐えなければいけないということだ。
そんな状況に俺は思わず呟く。
「なんでこんな序盤にキスしちゃうんだよ……」
無論、俺も羞恥心でどうにかなってしまいそうだった。
「だって……」
せめて終盤でキスしていればこの羞恥心を耐えることは容易かったが、未だに耳を真っ赤に染めていた陽菜を見るとそんなことどうでも良くなった。
今はただ目の前の彼女が愛おしくて仕方がなかった。




