31話 未遂
生ぬるい風が頬を撫でて、短く切られた俺の前髪と、長く伸ばされた望月さんの髪が揺らされる。
重い足取りのまま、望月さんは屋上の端まで行き、柵の上に手を置く。
後ろにいる俺の存在には気づいていないのか、はたまた気づいた上で無視しているのか。
一切反応を示さずに柵を越えようとする望月さんの隣に俺は並んで立つ。
そこで望月さんが俺の存在に今気づいたことを理解する。
「なんだ。君か」
俺の存在に気がついた彼女は安堵した様子を見せるが、俺のことはまるで見ていなかった。
「こんな所で何してるの?」
何をするかなんて分かっていたが、俺は訊く。
「それはこっちのセリフ」
「確かにそうだ」
「……………………」
沈黙が流れて、風の音とグラウンドから聞こえる運動部員たちの声出しだけが耳に響く。
俺は時間稼ぎをしたいわけではなかった。そんなことをしたところで、現状は変わらない。
どうして俺がここに来たのか。それは、
「君と同じだよ。ここに来た理由」
「えっ」
今回彼女がこうなってしまったのは、紛れもない未来を変えてしまった俺の責任だ。何もできなかった俺のせい。
それだったら、せめて彼女に寄り添って一緒に死ぬぐらいのことはしないと、割に合わないってものだ。
一人で死ぬより、二人で死んだ方が幾分、楽に死ねるだろう。
「それにしても酷いよね」
「なにが」
「君のいじめのこと。物を隠されたり、私物に落書きされたり」
それを聞いた望月さんは、ゆっくり俺の方へ視線を向け、初めて驚いた感情を表すために表情筋を動かす。
「……なんで知ってるの。誰にもバレないよう隠してたのに」
確かに望月さんは周りの誰にも頼らずに、ずっと一人で我慢しようとしていた。一人を除いてだが。
それでも俺は気づいていた。何せ、
「俺はずっと君のことを見てたからね」
俺のキモい発言に、望月さんは口角を少しだけ上げて反応を示す。
「なにそれ、ストーカーじゃん」
「そう。俺は君のストーカーだ」
これは望月さんに限った話ではない。俺は、結月も陽菜も瑞希も、何なら神宮寺すらもストーキングしている変態野郎なのだ。
俺の自白ストーカー発言に、望月さんは再度口角を上げつつ、柵から手を離す。
「やっぱいいや。君のせいで死にそびれた」
「そう」
「…………」
柵から離れた望月さんと顔を見つめ合いながら、しばらく沈黙が流れる。
数十秒程度の沈黙の末、
「死なないの?」
望月さんがとんでもないことを口走る。
「凄いことを言うね。俺には俺なりのタイミングがあるんだ」
「確かにそうだ。迂闊だった。ごめん」
「大丈夫。俺もごめん。邪魔しちゃって」
「うん」
と、奇妙過ぎる会話を繰り広げながら、俺は思う。
もし本当に今、少しでも望月さんが『生きよう』と思ったのなら、俺はそれに全力で協力する。今のこの状況に言い換えるのなら死ぬ気で。
「君はもしかして初めからこうなるって予想してたの?」
考えていると、無表情のままグラウンドを見下ろしている望月さんが言う。
「私が自殺未遂をするって未来を」
「そんなことないよ。俺は本当に死ぬ気だよ。ずっと――」
そう言うが、望月さんはまるで信じていないと言った眼差しを向けてくる。
「まぁいいや。次は邪魔しないでね」
「分かった。邪魔しないよ。絶対に」
最後の『絶対に』を『信じてる』とでも言いたげな望月さんは、自分を取り繕うようにまた口角を上げて、屋上から去っていった。
これで良かった。きっとこれで良かった。
自分に言い聞かせながら、俺は覚悟を決める。
ここからは俺の頑張り次第だ。とりあえずは明日の朝、できる限りのことはしてみよう。
◇◇◇
そうして次の日。時刻は午前五時半。
俺はまだ寝ている家族を起こさぬように、ゆっくり階段を下りて、扉を開けようとしたところで、「お兄……」と声をかけられる。
「こんな朝早くにどうしたの?」
振り向くと、服が乱れて、首元辺りが露わになっている楓が目を擦っていた。
「ごめん。起こしちゃったか?」
「いや。ちがう。おにぃのにおいがしたから」
「楓」
「なに。おにい」
「その姿、絶対俺以外に見せるなよ」
まだ理解が追いつかずポカンとしている楓を、俺は直視しないよう急いで背を向けて、家を後にした。
時刻は六時頃。
学校に到着したものの、当然ながら学校には人っ子一人見当たらなかった。
唯一、警備員の人がいたが、俺の制服姿を見て安全だと判断したのか、何も言われなかった。
警備員の人はこんなにも早く学校に来ているのかと感心しながら、普段では体験できない廊下を一人歩く。
そのまま俺は自分の教室、には行かずに、上の階の先輩たちの教室へ向かった。
時刻は六時十分。
さて、始めるか。
俺は、急いで作業に入った。
まずは学校のどこかに隠されている、望月さんの上靴探し。その後に、机に油性ペンで小さく書かれた悲惨な文字を、持参した雑巾と除光液を使って何度も擦る。
何度も何度も――
そうして作業が終わったのは七時半だった。
上靴を探すので三十分以上。机を完全に綺麗にするので三十分以上。
少しずつ登校してくる先輩たちに奇異な目で見られながら廊下を歩く。
これを毎日か……だが、逆にこの程度で望月さんの平和が守られるのなら安いものだった。
これからは、まるでいじめがなくなったかのような毎日を望月さんには送ってもらう。
もう『死ぬ』なんて言わせないことは愚か、思わせもしない。




