23話 贖罪
【七瀬】と書かれた表札のインターホンを押す。
一度目――ピンポーン。
二度目――ピンポーン。
三度目――ピンポーン。
「…………」
七瀬さんが出てくる気配は微塵もなかった。
本当に中に人がいるのか、と思うほどの静寂が流れていた。
もう一度インターホンに手を伸ばしたところで――いや、これ意味ないな。
そう思い、俺はやむを得ずドアノブに手をかける。
ガチャ――鍵は開いていた。
扉を開けると、部屋の中が完全に視界に飛び込んでくる。
家の中は一人暮らしと思われるほどの広さで、玄関には通学用と思われるスニーカーが脱ぎ捨てられるように散らばっていた。
土間を超えると、スクールバッグも投げ捨てられたかのように床に倒れていた。教科書類が中から出ていて、それだけで自暴自棄になったのが見受けられた。
試しに「七瀬さん」と呼びかけてみるが、返答がなかったので、「お邪魔します」とだけ言って、中に入る。
玄関直通のキッチンの前を通って、リビングに続くと思われる扉を開ける。
一瞬にして、女の子の匂いが鼻腔をくすぐる。だが、電気が点いていないせいで、部屋の中は薄暗く、内装がよく視認できなかった。
それでも部屋の隅のベッドで誰かが横たわっているのだけは分かった。
そこには、制服を着たまま、布団に顔をうずめている七瀬さんの姿があった。
きっと七瀬さんは、今日、何度も学校に行こうと挑戦したが結局最後の一歩が踏み出せず、布団に顔をうずめる結果になったのだろう。
部屋の荒れ具合がそれを物語っていた。
「七瀬さん。同じクラスの杉田です。一度電気つけますね」
言いながら電気のスイッチを探して、部屋に明かりを灯す。
すると、今まで見えなかったベッドのシーツが涙で滲んでいることに気がつく。
「まずは勝手に入ってすみません。もし、不快なら通報してくれても構いません」
俺は今日、それぐらいの覚悟でここに来たのだから。命を犠牲にする覚悟さえできている。
「とりあえず今日貰ったプリント机に置いときますね」
大義名分のために先生から預かっておいたプリントを机に置く。
「…………」
当然だが無言な七瀬さんに、呆れられているのだろうか、はたまた、怯えられているのだろうか、とそんな風に思っていると、モゾっと七瀬さんの顔を覆っている毛布が動く。
毛布の隙間から、充血した七瀬さんの目が見えて、俺の姿を確認した後、また顔を毛布で覆う。
一瞬だけ見えた七瀬さんの瞳は、この世の全てに絶望したように思えた。
当たり前だけど、今、七瀬さんが求めているのは俺なんかではなく神宮寺のはずだ。
きっと俺の姿を確認してうんざりしたのだろう。
「帰って」
七瀬さんが前触れもなく、かすれた声で発声する。
まるで、『お前はお呼びじゃない』と言われているようだった。否、言葉にしてなくてもそう言われていた。
ここで残れば、返って彼女の精神を乱してしまうので、俺は黙って踵を返す。
「電気消して」
布団の中から再度彼女が発声する。
「分かった。お大事に――」
電気を消して、最後にそれだけ言い残してから俺は七瀬さんの家を後にした。
◇◇◇
少なくとも神宮寺が七瀬さんの家に自ら訪ねるようなことはない。
神宮寺は七瀬さんの家に来ない。否。来れない。
そこまでリスクを取る必要がないからだ。炎上した当事者が家まで出向くのは、自分の身を自ら危険に晒すことになる。
神宮寺は極力無駄なことはしないような奴だ。
気長に待ちながらLINEで慰めていれば立ち直るだろう、とか呑気に考えているのだろう。時間の問題で落ちる、と。
だから俺も、時間をかけて、ゆっくり彼女の穴を埋めていくのだ。
次の日。
俺は、食べ物と飲み物をコンビニで購入し、もう一度七瀬さんの家を訪ねた。
家の鍵は昨日同様開いていた。
前日にストーカーされた人の家とは思えなかった。
扉を開けて、昨日見た玄関を超えると、またしても昨日見た七瀬さんがベッドに横たわっていた。昨日と全く同じ構図だ。
「七瀬さん」
「…………」
返答はない。
「とりあえず机にプリントと食べ物と飲み物置いとくね。嫌なら捨ててもいいから」
何も言わない七瀬さんに背を向ける。
もしかしたら寝てるのかも、と思ったが、返答するかのように毛布がモゾっと音を立てる。
「あと最後に。せめて家の鍵は閉めといた方がいいと思う。それじゃあ――」
次の日。鍵は開いていた。
だけど、昨日俺が机に置いていった飲食物はなくなっていた。
捨てたのか、食べたのかは分からない。が、俺は今日も机にプリントと食べ物と飲み物を置いて、家を後にする。
次の日も、その次の日も、そのまた次の日も。あくる日も俺は彼女の家に訪れた。
ただの自己満に過ぎなかった。こんなことで罪滅ぼしになるなんて思ってなかった。
それでも彼女が心を開いてくれるその時まで、俺はいつまでも待ち続けた。
そうして一週間ほどが経った時のこと。
俺がいつも通り、机にプリントとコンビニの袋を置いて帰ろうとした時、初めて彼女から話してくれた。
「どうして私にここまで肩入れするの」




