芸人の炎上に思うこと
久方ぶりにゆっくりと休みをとって、ネコと遊んだり、ネットを見たりと過ごして、人気芸人の方の炎上事案に関する記事も目に入りました。
元々はアカウントを乗っ取られたことから起きたトラブルに誹謗中傷が巻き起こったことが原因で、先輩芸人の方の発言が炎上、それを擁護するかたちで、「ネジをつくる人」という発言が炎上という流れのようですが、「ネジをつくる」発言はラジオの中でのもののようで、前後の文脈で考えるなら、職業差別の意図はなかったように感じます。
それでも、「素人」の発言や、「ネジをつくる仕事」をしていることが「自分の人生を生きていない」といった発言には有名芸能人である自分を一般人より上と捉えていることが伺えます。
さて、桂米朝師匠の有名な言葉があります。引用しますと。
〜芸人は、米1粒、釘1本もようつくらんくせに、酒が良えの悪いのと言うて、好きな芸をやって一生を送るもんやさかいに、むさぼってはいかん。ねうちは世間が決めてくれる。ただ一生懸命に芸をみがく以外に、世間へのおかえしの途はない。また、芸人になった以上、末路哀れは覚悟の前やで。〜
上記のお言葉を遺しておられますね。
人間国宝でもあられた桂米朝師匠のこの言葉の意味はなんでしょうか。
芸人というのは、かつては呑む打つ買うも芸の肥やし、女を泣かせても芸道に血道を上げるなんて言葉があるくらい、世間と隔絶した存在でした。
師匠に弟子入し、下積みで苦労して、売れるようになっても、かつての師匠方は「芸人の矜持」としての誇りと「芸人なんてのは社会のはみ出し者」という覚悟を持っていたように思います。
虚職、虚像というのか、エンタメの世界の中でも、取り分けて「芸道」という雲を掴むようなものに邁進する訳ですから、それこそ、誰のため、何のための仕事なのか、問い続けることも難しい世界だと思います。
ネジをつくる意味も分からず働く「自分の人生を生きていない」人たちと炎上された方は仰ったようですが、多くの人は夢を諦めるか、そもそも夢を持たず、生きるため、家族のため、自分のため、必死に働いている訳で、その延長に多くの人の生活がある訳です。
芸人の仕事ははっきり言ってしまえば、社会の基盤として、生活の基盤としては必要ありません。
あくまでも、余暇を楽しむ彩りの一つでしかありませんから、多くの人がそれに価値を与え、楽しんだ対価を払うことで成り立つ業界です。
なので米朝師匠は「ねうちは世間がきめてくれる」と言われて、芸道に一心に打ち込み、芸を磨くこと以外に途はないと仰ったんだと思います。
むしろ、言葉のプロである芸人が言葉を使って、お客様である大衆に不快感を与えるなら、プロ失格ですし、そもそも、どこを向いて仕事をしているのだと言う話でして、それこそ、「自分の仕事の意味を理解せず働いている」のは自分の方ではとブーメランが刺さっているように感じます。
最近は養成所にはいり、弟子入することもなく、芸人どうしの交流のなかで売れている方のほうが多いと思います。
自分は有名人だ芸能人だと思い違うのも仕方ないのかもしれませんよね。
ビートきよしさんはこうした炎上にたいして、「芸人は最底辺だよ」とSNSでコメントしたようで。
職業に貴賤はありませんが、島田紳助氏は何十年と目の出ない芸人が諦めるタイミングになるようにと賞レースを企画したと聞きます。
何十年とバイト暮らしで頑張って夢を追う。
美談のようですが、大多数の方は夢を諦めて家族のために会社勤めで働いている訳です。
それを「自分の人生をいきていない」そんな鬱屈から「SNSで炎上をおこすんだ」という的外れなことを言えば非難されても仕方ないと思います。
エンタメ業界で夢を叶えて成功するのは、才能と運に恵まれ、その上で努力した結果だと思いますから、素晴らしいことです。
ですが、人気商売は人気を売る仕事ですから、言葉を誤って自ら商品価値を棄損しては「末期哀れ」も已む方なしでしょうね。
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щ(゜д゜щ)カモーン