生命のエンジン④
省生は「ふん」と鼻を鳴らすと説明を始めた。「私どもはね、毎朝、朝食前に納豆キナーゼの入ったサプリを飲むことにしている。私はね、どうも納豆が苦手で、それでも体に良いと言うので、サプリメントを飲んでいるんだ。飲んでいると、気のせいか体調が良くなったような気がするから不思議なもんだよ」
「・・・」柊は無言で話の先を促した。話が脱線している。
「最近ね。どうも疲れやすくてね。声が出にくかったり、直ぐに息切れしたり、ぐっすり眠れなかったりするんだ。頭痛もひどくてね、日中は寝てばかりだ。サプリを飲むと、ちょっとだが体調が良くなるような気がした。一度、頭痛がひどい時にね。病院に行って見てもらったんだ。そしたら、もっと大きな病院に行けと言われた。大きな病院に行くと、更に大きな病院に行け――と、病院をたらい回しにされた。腹が立ったね」
「何の病気だったのですか?」
「刑事さん。あんた、筋萎縮性側索硬化症っていう病気を知っているかい?」
「聞いたことがあります。体中の筋肉が無くなって、動けなくなる病気ですよね」
「ああ、まあ、そんな感じだ。最終的に大学病院まで行って、見てもらった結果、その病気だったんだ」
「そうですか・・・」
柊の反応の薄さが気に入らなかったようで、省生は病名を繰り返した。「私はね、筋萎縮性側索硬化症っていう難病を患っているらしいんだよ。筋萎縮性側索硬化症、ALSなんて言ったりもする。不治の病なんだ。やがては自分で呼吸が出来なくなって死んでしまう」
「あなたは不治の病だった。それで、キルスイッチを作ったという訳ですか?」
柊は脱線した話を元に戻そうとする。
「ああ、そうだよ。病名を知ってから、病気のことを調べてみた。それから、色々、考えたんだ。私だって、科学者の端くれだ。この病気がどういうものか理解して、これからどうしたら良いのか、冷静に考えてみたよ。
これから、私は動けなくなる。歩くことが出来なくなり、手足を動かすことさえ出来なくなる。寝たきりになるだろう。妻に頼って生きて行くことになる。だが、うちのはまるで気が利かない。痒いところに手が届かないようなやつだ。それに、あいつが働かないと、収入の道が途絶えてしまう。うちに、高額の医療費を負担する余裕なんてない。あれが四六時中、私の世話だけを焼いてる訳には行かない。動けなくなると、私は一人、放っておかれるだろう。そんなことを考えていたら、目の前が真っ暗になったね」
「そこまで分かっていて、何故、奥さんを殺したんです?」
「最初はね。そんな思いをするくらいなら、死んだ方がましだと思った。そして、山からトリカブトやらドクゼリを取ってきて、毒成分を抽出したんだ。そうしたら、ふと良いことを思いついた」
「良いこと?」
「ああ。キルスイッチだよ。毎朝、飲んでいる納豆キナーゼのカプセルの中身を毒の粉末と交換するんだ。そして、カプセルを瓶の中に戻しておく。
こうすれば、俺かあいつか、どちらか一方がカプセルを飲んで死ぬことになる。ロシアン・ルーレットと言った方が良いかな。毒入りカプセルを飲むかどうかは運次第。運が良いやつが生き残る。どうだい?面白いだろう?」
「あなた病気なのでしょう?あなた一人、生き残って、どうするのですか?」
「そりゃあ、警察に捕まって刑務所に行くだけだ。人権の問題から、刑務所なら、タダで十分な治療が受けられる。看病だって、二十四時間体制だろう。少なくとも、気の利かないあいつに看病してもらうより良いはずだ。私にしてみれば、願ったり叶ったりだ。
運が悪くて毒入りカプセルを飲んで死んでも、それはそれで良い。死んでも、生き残っても、どちらに転んでも良かった」
「あなたねえ~」流石に柊も言葉に詰まった。
究極の利己主義者が目の前にいた。
「まあ、綺麗に中身を入れ替えたつもりだったけど、それでも、カプセルがちょっとだけ変形してしまった。手に取って見たら、毒入りがそうじゃないか、何となく分かってしまった。はは。ちょっと、ズルをしてしまったかもしれないな」省生は楽しそうに言う。
まるで子供の言い訳だ。
「亡くなった奥さんのことを考えたことは無かったのか――⁉ 奥さんには、生きる権利があった。奥さんはあなたの所有物ではない。あなたに奥さんの生死を決める権利なんてない。いや、誰にもそんな権利なんてない!
あなたが、一人で自殺してくれていれば、奥さんはあなたから解放されて、有意義な老後を送ることが出来た。あなたのような人間から解放されて、せいせいしたはずだ。ひょっとしたら、再婚でもして、今よりも幸せになったかもしれない。奥さんは、死にたくなかったはずだ。あなた、そのことを考えなかったのか――⁉」
強い口調で、柊が問い詰めると、省生は「あっ、ああ~⁉」と初めて気がついたといった様子だった。そして、「権利?そう言われると、そうかもしれませんな。でも、あいつの気持ちなんて考えませんでした。そんなこと、考える必要なんて無いと思っていました。あいつが一人で生きて行くことなんて、想像もしなかったなあ~」と呑気そうに言った。
了
「呪い谷に降る雪は赤い」を書き終わり、柊・茂木コンビが気に入ってしまったので、彼らを主人公にした作品がもうひとつ欲しいなと書いた作品。