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可燃性少女短編  作者: 可燃性少女


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このままでいようよ。

挿絵(By みてみん)




───脈絡もなく可変性について考えていたら、その思考に脈絡が生じ始めた。


 身支度を整える。

 夏だから、まだ外は明るい。

『まにぃ、私、振られちゃった。』

 画面の向こう側。わたしと同じトーク画面を見つめる彼女の瞳は、きっと潤んでいる。


*


 お母さんに夕飯がいらないことを告げて、待ち合わせ場所のファミリーレストランに向かう。

 古びたバス停の時刻表。三十分に一本しかバスが来ない掘っ立て小屋みたいなバス停だけれど、どうやら今日はついている。エンジン音に振り向いたら、丁度バスが来た。

 小さな丘を一つ越えて、バスはファミリーレストランの目の前のバス停に止まった。

 少し薄暗くなった外の空気が、むわりと肌にまとわりついた。

 俯いた斎藤さんが、バイク置き場で待っていた。


 ファミリーレストランの席について、そういえば、前にも同じ席で彼女と話したことがあったのを思い出した。

 店員さんが注文を取りに来たので、わたしは簡単なパスタを注文した。食事よりは会話が目的だから、あんまり重いものを食べても仕方ないと思ったからだった。

「よくばりフライ定食、豚汁に変更してください。ごはん大盛りで」

 店員さんが戻ってから、思わず「めっちゃ食べるじゃん」と言ってしまった。にま~、と笑った斎藤さんは、「やけ食い~」と妙な調子で言った。

「ありがとね、まにー。」

「ううん。残念だったね。」

 私は脆渡(もろみと)という珍しい名字だったが、斎藤さんは下の名前の真丹(まに)を気に入って、「まにぃ」だとか「まにー」だとか「金」とかで呼んだりする。

 水を飲んで喉を潤す。バス停まで走ったのと、暑いせいで噴き出た汗の分、水分を補給した。

 斎藤さんは、そんなわたしの表情を見て、痛々しい笑顔をした。


「やっぱりさ、まにーも私のこと……馬鹿だって思う?」


───


 馬鹿だと思った。

 もう、何年来の幼馴染。今でも仲が良くて、良好な関係を築いている。相手にそんな素振りはないけれど、自分は好きだから、告白すべきか迷っている。そして極めつけ、斎藤さんはわたしに言った。

「このままずっと、楽しいのが変わらないなら、───それでも私は、この関係を、変えたい。」

 否応なく変わってしまうのに、どうして自分から変えてしまうんだろう。

「このままで楽しいなら、このままで居ても、いいって思っちゃうかな、わたしは。」

 そっか、と斎藤さんは照れたように笑ったはずだ。

 それで、斎藤さんの告白は失敗に終わった。

 結果は失敗だったけれど、関係を変えたい、という斎藤さんの試みは成功した。

 だから言ったじゃん、って思ってしまうのは、わたしが、薄情だから?

 相談するまでもなく、最初っから結論が決まっているんなら、わざわざ話しに来ないでよ。そうしたら、わたしは、大切な友達が、こんなにも苦しそうに泣いているのを、見なくて済んだのに。自分では絶対に届かない場所にあるものに、分不相応に手を伸ばさなくて済んだのに。そのときのわたしの気持ちは、どうなんの。

 だから、むしろ薄情なのはあなた達の方でしょう?


 変わっていくものばかりを肯定するのは、薄情だと思う。

 暫定的に、わたしは、そう思った。


───


 亞城くんは、クラスの中でもひときわ落ち着いた男の子だった。

 最初は排外的な性格なのかと思っていたけれど、すぐに気付いた。多分、精神年齢が周りより高かった。実際そうなのだから臆面もなく言ってしまえば、精神年齢が、わたしと近いんだと思った。

 「ねぇ、亞城くん」気付けば、一緒にいることが増えていた。

 放課後、ばったり図書室の入り口で会って、流れで一緒に本を読んだ。彼も、わたしも、本が好きだった。ページを捲る手が章を割ったとき、一息ついた自分の視線が、亞城くんの手を眺めているのに気付いた。それとついでに、好きになっちゃったんだなぁ、と気付いた。

 亞城くんは自分のキャラクターに自覚的だ。ロールプレイをしてると言っていい。

 二人で帰りのバスを待っていたとき、亞城くんはわたしに断って電話に出た。親とか友達じゃない口ぶりだったから、バイト先とか市役所とか、殊更に大事だと言われる”社会”というやつからの電話なのだと思った。亞城くんは一人称を「私」と名乗った。

 大人ぶって自尊するほど、亞城くんは幼稚じゃない。でも、その気がなくともそう思われるのは、わたしは嫌だった。だから、そういう幼稚さを持っているわたしには、亞城くんがとても大人に見えた。

 それから、亞城くんには彼女ができた。

 贄代由詠。

 ちぇっ、って思って、なるほどな、とも思った。

 わたしの成績に追随してくるから、名前は知っていた。でも、話したことはなかった。あんまりにも綺麗で、嫉妬すらしなかった。

 亞城くんの彼女、って紹介されたら、みんな納得するだろうな、って。

 わたしは斎藤さんと亞城くんと仲がよくて、亞城くんは贄代さんと斎藤さんと仲が良かった。四人で形成した複雑なベン図が、夏休みが始まるころにわたしたちのグループを固定した。


 夏休み、補習が午前中で終わって、部活に入っていないわたしは、手持ち無沙汰に亞城くんのところへ向かった。

 「現代文、勉強いる?」「俺全然ダメかも。小川哲が教科書に載るならなんとかなるかな。」「スメラミシングは載らないだろうね」片手間に教科書やノートを仕舞った亞城くんは、代わりにお弁当を取り出した。

「ご飯食べて帰るの?」

「うん。贄代さんが生徒会だから、それを待ちがてら。」

 二人は今日も一緒に帰るらしい。

 亞城くんの前の席の椅子を引き出して、さりげなく座った。

「最近、面白かった本ある?」

「ぁー……タイトル忘れちゃった。最後に主人公が自殺しちゃうやつ……てかごめん、めっちゃネタバレした。」

「ふふっ、別にいいけどさぁ……亞城くん不用心だなぁ」

「ごめんって、でも全然知ってても楽しめるからさ。」

 まだ気まずそうな顔で、亞城くんはお弁当を食べ始めた。どうやら、わたしの同席は許されたみたい。わざわざ了解を取るような間柄でもなかったけど。

 Kindleを立ち上げて、百冊くらいはある蔵書をスクロールする。

「亞城くんが言ってたの、これ?」と、何冊かアキネーターをして、やっと亞城くんが言っていた本を見つける。

「脆渡さんも読んでたんだ。」

「サイン本買いに行こうとしてたもん。」

「どこで売ってるの?」

「大阪。」

「うーん、微妙なとこだね。」

 ぱらぱらと───電子書籍だからそんな音はしないけど───ページをめくり、最後のシーンを読む。

 ロケーションは学校。血で切れ味が鈍くなったナイフを首に押し当てて、主人公の女の子は渡り廊下からの景色を眺める。そして、ぐっとナイフを引く。

 苦しまずに死ねたのかな、とか、後悔しなかったんだろうか、とか、わたしが抱いた疑問の全ては語られず、物語はこれ以上ないほど強固に締めくくられて、謝辞を読み始めたわたしは、今読み終えた最後の一文に舞い戻ることができなかった。それくらい、彼女の最期は不可逆的だったのだ。

「感情移入って点だと、あんまり乗れなかったかな。最後まで、主人公がどういう気持ちだったのかはわからなかった。」

「あー、この子、贄代さんに似てるもんね。」

「え」

「え?」

 わかって言ってるのかと思ったけれど、亞城くんは無意識だったみたい。

 わたしは最初から最後まで、読んでいる間中、贄代由詠が脳裏にチラついていたんだけど。

「そりゃ、嫌だよね。自分の彼女の内側を、図らずに知っちゃう、みたいな真似。」

「……なんか、そういわれたらそういう風に読んでた気がしてきた……」

 亞城くんは悩ましそうに頭を掻き、唐揚げをぱくりと食べた。

「贄代さんは、ナイフが似合うような気がするんだよね。彼氏から見てどう?」

「たまに幻視することはあるよ。」

 なんとなく聞き流したけど、「幻視」……?

 由詠の愛が重いのは知っているけど、そんなにステレオタイプに怒ることがあるんだろうか。

 思い返すように、亞城くんは言った。

「やっぱり、贄代さんに似てるかもね。」


 わたしは小食というわけじゃなかったけど、お昼ご飯の時間が少し遅れたくらいで立ち行かなくなる程食い意地が張ってるわけでもなかった。亞城くんがご飯を食べ終わっても、まだ由詠が戻ってくる時間まで随分ある。

 「飲み物でも買いに行こっか」と亞城くんが提案したので「だったらコンビニまで行っちゃおうよ。」とさりげなく亞城くんと一緒に歩く時間を引き伸ばしてみる。

 学校の目の前、というほどではなかったけど、三分くらい歩いたらコンビニがある。

 入り口の横の喫煙所で、作業着姿のおじさんが煙草を吸っていたので、少しだけ避けて店に入った。

 亞城くんが歩くのにちょこまか着いていって「これ期間限定だね」とか「何味が好き?」とか「この女優さんいいよね」とか、他愛ない会話をした。

 贄代由詠は、ずっとこうやって、亞城くんを独占できるんだな、って。そう考えてしまって、少しだけ、彼女のことが疎ましくなった。

 雑誌が入ってるラックの向こう側。淡い青空のキャンバスに、ダイナミックな入道雲がぶちまけられている。

 夏が疎ましくなる。


 学校まで帰ろうとして、亞城くんに続いて横断歩道を臨む。

「赤。」

「わぷ」

 わたしは不用心なことに、信号も見ずに歩いていたので、亞城くんの背中に激突してしまった。

 おでこに結構な衝撃が来たので、亞城くんにも相当な勢いでぶつかってしまったのではないかと思ったが、ちらりと見た亞城くんは全然喰らっていないようだった。

 傍から見たら、わたしが亞城くんに背中から抱き着いているみたいに見えるんだろうか。慌てて少し離れようとする。

「大丈夫?」

「もぉ……急に止まるから。」

「はいはい、ごめんごめん。」

 苦笑いする亞城くんに話しかけられて気付く。わたしは少しだけ達観しているけれど、精神的には思春期真っ盛りである。

 それなりに大人びている自覚があって、それなりに恋する年頃の女の子をやっている自覚もある。

───多分、顔……真っ赤だろうな、わたし。

 ちょっとだけ亞城くんの背中から距離を取り、それでも、努めて彼の視界に入ろうとはしなかった。

 いつも結っている髪をほどいて、ゴムを手首にはめた。流れた髪が、耳の赤さは誤魔化してくれるはず。

 後ろから、亞城くんの横顔を覗き見る。

 発育が早かったから、わたしは結構女性的な体つきをしている。胸の大きさで面倒くさいことになることもあったが、流石に高校生にもなるとそんな幼稚な連中はいなくなる。亞城くんはその典型だ。

 結構な勢いでぶつかったから、わたしの胸も亞城くんに当たったはず。でも、亞城くんはそれを話題にしないし、おくびにも出さない。変にぎくしゃくもしないし、揶揄って有耶無耶にしようともしない。

 でも。

───ちょっとくらい、可愛い顔見せてくれてもいいのにさ……もうっ

 なんだかおっぱいの当て損だったな、って思って、腹いせに、亞城くんの背中にキスをした。

「な、なに……?なんかした?」

「んー?なんでも?」


*


 補習は終わってしまったから、教室のエアコンは切られてしまった。職員室に言いに行けばつけてもらえるんだろうけど、わざわざ蒸し暑い廊下に出るまでもないかな、と思った。

 ただし、日差しは疎ましくて、五分毎にお互いが「夏の暑さに対する一家言」を発表するようになったので、場所を変えようと提案した。亞城くんはこの教室で由詠を待つだろうから、廊下側の窓際に目を付けた。

「こっちなら、日差しも当たらないしさ。」

 わたしが先だって窓際に行くと、誰かが戻ってくるつもりで置いていたのだろう教科書が、机の上に置いてある。椅子にはPUMAのエナメルバッグが置いてあったから、地面に腰を下ろした。

「スカート汚れるよ。」

「いいよ。どうせ夏休み中にクリーニング出すし。」

 亞城くんもわたしに倣って、すぐ隣に腰を下ろした。

 ここで過剰に距離を取られたら傷つくけど、躊躇もなく至近距離に座られるのも意識されていないみたいで不満だった。

「なんか、悪いことしてるみたいじゃない?」

「脆渡さん相手だったら、先生に見つかったときが楽そうでいいね。」

「なに~?人をややこしい人みたいにぃ」

「そんなつもりないよ」

 亞城くんは笑いながら否定したけど、実際見つかったとしても、大して咎められないだろうな、とは思っていた。

 でも、それで背徳感がなくなってしまうのは興ざめなので、ちゃんとドキドキしておくことにする。

「さっき話してた小説、亞城くんはどう読んだ?」

 話題は一度寸断されてしまったので、思い切って一番初めに立ち戻ることにする。

「主人公の子は、いろんな犯罪もするし、不義理なこともするんだけど、それで実際あんな最期になるわけだけど、……でも、それを悲劇とか感傷とかで消費させない、みたいな。そんな主人公の生きざまは、勝ち逃げしたみたいで、カッコよかったかな。」

「勝ち逃げ、わたしも、おんなじこと思ってた。」

 亞城くんと自分の意見が合ったのが、なんだか面白くてよかった。わたしと亞城くんは、結構な冊数、違う読み方をしてる。

「自分の人生の最期は、あんな風に、全部から逃げきって、勝ち逃げしてみたいかも。」

「わたしも。……最期は、思いっきり笑ってやりたいね。」

 誰もいないから、別に声を上げて笑ったって良かったんだけれど、なんとなく、わたしも亞城くんも、声を潜めて笑った。自分の波長が亞城くんと共鳴したみたいで、中々気分がよかった。

 少し遠くの方で、スマホのバイブが鳴った。多分、亞城くんのスマホだった。

 亞城くんとの間に開けられた「適切な女の子との距離」という気遣いを問答無用で押し潰して、少しだけ刃先を突きつけてみる。


「亞城くん……もう少しだけ。このままでいようよ。」


───


 贄代由詠とのエピソードは、多分わたしはそんなに多くない。

 でも、何故だか近くにいたくなってしまうというのはわかる。

 あんなに近寄りがたい雰囲気を出しているのに、実は意外と気易くて、案外直情的。無表情ばっかりなのに、感情が読みやすい。それが可愛らしくもあり、危うい感じが魅惑的でもある。

 まだ夏休みに入る前だった。

 斎藤さんが失恋して、亞城くんのことを好きになって、贄代さんが亞城くんと付き合って。

 そしてわたしは、ちょっとだけナイーブな気分だった。

 贄代由詠が亞城くんと付き合った一幕は、強烈でインパクトがあった。だからわたしは、それを不可逆だと思った。彼女は、何かを変えてしまうことに躊躇がなくて、わたしとは真反対なんだと、密かに思った。


 贄代由詠は不可逆だ。不可逆を突き立てることに躊躇いがない。あるいは、衝動的に成し得てしまう。


 だからわたしは、彼女のことをナイフのように思ってしまう。

 完治することのない傷跡を残す。命を損なう。死に至らせる。劇的なラストシーン、柔らかな肌に刃渡りが沈み込み、覆らないエンディングが進行する。その全てが不可逆だ。

「羨ましいな」

 もし、私にも。突き立てられるようなナイフがあったら、あの小説のように、劇的なラストシーンを、最高の勝ち逃げを、遂げることができただろうか。もし、この関係を変えれば。

 亞城くんが、愛おしそうに贄代由詠を見る。

───わたしも、”あの目”で見てもらえる?

 わたしの隣に腰を下ろした贄代由詠に、ちらりと視線を向けて、挨拶代わりに「ん」と投げた。挨拶だったので、贄代由詠も「ん」と言って、構って欲しい猫みたいに腕にすり寄ってくる。ついにはこてんとわたしの膝に転がってきたので、「ん」だとか「んんー??」だとかありえない会話をしながら彼女の頭を撫でた。

 こんなのに言い寄られたら、男の子からしたらたまったもんじゃないだろうな、って思った。女のわたしでも、ちょっとだけ贄代由詠をめちゃくちゃにしてみたい衝動にかられた。

「なんか、元気ない?」

 そんなに魅力的なのに、人の機微までわかってしまうんだ。

 あなたの彼氏を、なんとか略奪してしまったりできないか、って悩んでいるんだよ。言ってやったら、わたしたちの関係は変わってしまうだろうな。

「んー?そんなことないよ。別に。」

「私のこと……?」

 相変わらず鋭い。

「当たらずとも遠からず、って感じ?」

「ふーん……そっか。」

 やっとのことで追及を諦めた贄代由詠は、人の膝の上でスマホを弄り始めた。身勝手な女だ。

 なぜだかやめられなかったから、そのまま頭を撫でていた。なんとなく見た彼女の下半身。スカートからすらりと伸びる真っ白なふともも。細さだったら勝っている、と思ったが、多分男の子はこれくらいが好きなんだろう、と敗北感を味わう。

 亞城くんもそういうことを考えるんだろうか、と思うと、少しだけいけない気分になった。

 わたしが思考している間に、贄代由詠はなにやらもぞもぞと蠢き出し、その鼻先をわたしのお腹に埋めた。

「いい匂いする。」

 なんの心当たりもなかったけど返す。

「でしょ。」

「んふ……好きかも。」

 こそばゆそうな、幸せそうな顔で、彼女は微笑んだ。

 あぁ、そういう顔だ。わたしが守りたい、顔。斎藤さんがわたしに向けるような、ふと、亞城くんがそうするような、そんな顔。

 むにむにと贄代由詠の頬肉を揉みしだいて、白旗を上げる。

「あーもう。ほんっと、贄代由詠だぁ、お前はぁ……!」


───


 冬になると、あんなに疎ましかった夏が恋しくなる。

 高校一年生がもう終わってしまうんだ、というのを、冬の冷たさと薄暗さがひしひしと伝えてくる。それがなんだか嫌だった。

 終業式が終わって、ホームルームを待つ間。暖房が効いて少し暑いくらいの教室の窓際、眼下のグラウンドを見ていた。なんとなく振り返って教室を見渡す。同じような仕草をしていた由詠と目が合った。

 由詠はふらふらと気怠そうにわたしの隣に来て「ん」と言った。彼女の挨拶のマイブームらしい。わたし以外に言っているのは聞いたことがないけど。「ん」と返すと、由詠は満足そうにわたしの隣に陣取り、スマホを弄り始める。

 「寒いね」とだけ言われたので、「そうだね」と返しておいた。由詠は、制服の上からカーディガンを着ていた。

 なにかの通販サイトを見ていた由詠は、満足したのかスマホを仕舞い、窓の淵に預けていたわたしの指を弄び始めた。

 いつか、由詠を猫みたいだと思ったことがあって、それを話したら亞城くんに猛烈な共感を受けたこともあった。

 由詠は、休み時間に目が合うと近づいてきて、わたしの机の横で喋るわけでもなく蹲っていることがあるし、ふたりでご飯を食べにいったときに隣に座ろうとしてくることもある。こうしてわたしの体の一部に触れていようとするのも珍しくないし、わたしの肩にもたれかかるのを「心地いいから」と恥ずかしげもなく表明したこともあった。

「ゆえちゃん、まにーのこと好きすぎ?あたし寂しい~……!」

「うわぁ、増えた」

 由詠が陣取ったのと逆側から、斎藤さんがどん、と身体をぶつけてくる。

 ちらり、と由詠を見ると、そのなにをも語らない瞳が、わくわくしていた。いつもの仕返しのつもりだろうか、由詠の方から戦端を開く。

「ちゃんと好きだよ。ほら、おいで?」

「え”」

 由詠が広げた腕に、斎藤さんは濁音つきの困惑を漏らした。

 あんなに心地よさそうな罠に自分から飛び込むのは怖いだろうな。由詠からのアイコンタクトに従って、わたしも斎藤さんを見つめる。

「今日も可愛いね。ほら、恥ずかしがらなくていいから、由詠に慰めてもらうんだよ。」

「っな、なに……っなになに!?日頃の仕返しっ!?」

 正解。

 ぐい、と押し込むと、斎藤さんは食虫植物の捕食シーンさながら、由詠に抱きすくめられた。

 むぐむぐぅ、とちょっとだけ幸せそうな声を漏らした斎藤さんは、すぐにきゅぽんと由詠から脱出した。

「マジっ、まじでいいから!初詣!行こうって誘いたかっただけだから!!」

 警戒するように後ずさり、「ふしゅ~……」とよくわからない音を出す。動揺する斎藤さんは珍しいから、思わず笑みが零れる。

「どうする?」

「行こう。うん、行きたい。」

「亞城くんと真瀬くんも誘おっか。」

 まだ一週間近くあるけど、年内に予定を入れていないわたしたちには、先立つものがない。それならば、五人でこの冬の寒々しさを誤魔化すのも悪くない。

 「私怖がられてるから……」と気まずそうに由詠が言ったので、真瀬くんと亞城くんはわたしたちが誘った。由詠は、真瀬くんが由詠を怖がってるみたいに思っているけど、実際はもうそんなに怖がっていないのをわたしたちは知っている。どうせ信じないだろうから教えないけど。

 二人から了承をもらったところで、ホームルームのために先生が入ってくる。今日はいつものジャージじゃなくてスーツだ。その上に野暮ったいウインドブレイカーを羽織っているからちょっとだけダサい。

 先生は、淡々と業務連絡をして、大した感慨もなく言った。

「じゃあ、一年お疲れ様。よいお年を」


*


 紅白歌合戦を流しながら、昼間の集まりで余ったオードブルをつまむ。

 お母さんは年越しそばの準備をしていて、お父さんは三本くらいお酒を飲んでソファーでいびきをかいていた。いびきがうるさいから、寝るなら寝室に行って欲しい。

 知らない歌手を聞き流しながら本を読んでいたら、星野源の出順になった。ちょっとだけ腰を据えて、本をテーブルに置く。

 そういえば、亞城くんによいお年を、って言ってないな。

 最後の最後で今年の後悔を思い出し、変な文脈が付与されないように無味乾燥な「よいお年を」のスタンプを送った。「こちらこそ」のメッセージが届いたのは星野源が終わった後で、あと少しして年を跨いだら、また似たようなやり取りをするんだよなぁ、と申し訳なく思った。

 結局、終業式のあとも由詠と斎藤さんとは二日に一回くらいはダラダラ集まって、五人全員が集まって宿題を片付ける会もやった。

 わたしは一日ずつ時間を決めて片付けるタイプだけど、由詠は最初の数日で全部終わらせてしまうらしい。進捗がバラバラのわたしたちは、結局ドリンクバーでおしゃべりをするだけの典型的な高校生をやっただけだった。

 そのあと、お母さんと二人で紅白にあれこれ口を出していると、あっという間に紅白は終わってしまった。最近白組しか勝ってなくない?というお母さんの非難がましい口調に、これの勝ち負け気にしてる人いるんだ、と思っていたら、あと五分で年越しだった。

 お母さんが容赦なくお父さんのお腹を叩く。年の割にスリムだけど、ぺちん、というだらしない音は聞いてられなかった。まだ寝ぼけ眼の家族団欒で、わたしたちは当たり障りのない年越しをした。

 『あけおめ~!!』と最初にグループLINEに挨拶をしたためたのは、もちろん斎藤さんだった。きっと、二十三時五十分から虎視眈々と準備していたのだろう。それに続いて、三々五々テキストやスタンプで新年の挨拶が送信される。

 由詠と亞城くんからは、個人のメッセージでも連絡が来て、確かに二人ともそういうタイプだな、と思った。

「スマホか食べるかどっちかになさい。」

「んー」

 グループLINEの話題は、初詣の日取りということになり、関係ない近況報告も挟みながら今日の昼から決行ということになった。

 そばを啜ってゆく年くる年を見ていたら、お母さんがライブライブにチャンネルを切り替える。別にいいけど釈然としない。

「誰か見たい人でもいんの?」

「ALFEE。」

 出ねぇよ。


*


「お、あけましておめでと~」

「脆渡さん、奇遇だね。おめでとう。」

 バス停に行くと、亞城くんと遭遇した。

 近くの書店の初売りでやっていたミステリ福袋を買いに行ったのが幸いして、わたしは亞城くんと同じバス停を使うに至ったわけだ。

「今から行くとこ?」

「うん。亞城くんもでしょ?贄代さんは?」

「あー……ほんとは合流するつもりだったんだけど、寝坊したから先行ってって。」

「寝起き悪いもんねぇ……」

 バスに乗り込むと、いつもより人が少なかった。

 軒並み年末年始休みに入っているのなら、通勤ラッシュというのが発生しえないから、当然といえば当然だった。むしろ、ここからの方が参拝客で混みそうな感じだ。

 段差を上がったところにあるクロスシートに亞城くんが座ったので、少しだけ迷って亞城くんの隣に失礼する。わたしたちが参照する一般常識は、でかいツラをしているくせに法律ほど厳格じゃない。そこで、亞城くんの隣に座れるチャンス、というわたしの感情を優先した次第である。

「あ、そうだ。今年もよろしくね、脆渡さん。」

「ん、こちらこそ。」

 平静を装いはしたが、この距離感でも取り繕った感じがないのが、亞城くんの魅力的なところであり、腑に落ちないところだった。わたしは、そんなにも女性的な魅力がないのだろうか。

「亞城くんって……」

「うん。」

 言い始めてから、見切り発車すぎて次の言葉がないことに気付いた。

 わたしが言葉を探す間、当たり障りのない語彙で空白を置換する間、亞城くんは、微笑んでいるわけではないけれど退屈そうではない顔で、穏やかな顔で、車窓を眺めていた。その横っ面に一撃入れてやりたくて、懐に忍ばせているゼログラムのナイフが、微かに質量を持った。

「わたしのこと、本当に女として見ないよね。」

 穴が開くほどその横顔を見つめていたけれど、亞城くんはそれに気付いていないみたいに「そうかも」と言った。彼の真意は読めない。女として見られる、ということに嫌悪感を表明し続けてきたのはわたしたちの性別だ。それを知りながら、わたしを女として見ていない、と発言した亞城くんに、女のわたしは不満を抱くべきではなかった。

 真意はどうあれ、亞城くんは模範解答をしたではないか。ネイビーのコートに包まれた亞城くんの腕に、そっと腕を絡ませてみた。

「友達?」

「ぇ、うん……俺は、そう思うかな。」

 流石にわたしの方を向いた亞城くんは、じっとその瞳を見つめ返すわたしの視線に身じろぎして、結局すぐに視線を逸らした。

 あぁ、困らせてるなぁ、と理性に反する行動に妙な俯瞰を得る。

 せっかく絡めた腕も、そういう微妙な反応をされたら興ざめだった。家電量販店の愛想のいい営業に捕まったあとみたいな釈然としない感じがして、腕はすぐに解いてしまった。

「あのさ……わたし、そんな女として魅力ないかな。」

 もし亞城くんが、女の子の基本スペックを贄代由詠レベルで見積もっていたら、わたしの質問は可笑しくて仕方ないものだっただろう。一笑に伏されないことを祈りつつ、それでも言わずにはいられなかった。

 「言って、さ」亞城くんは、ぽつりと言った。「うん」わたしも返す。

「言って、脆渡さんが嫌な気持ちにならないなら。」

「……それ、相当嫌なこと言おうとしてるときのやつ。」

「あ、……違うよ!?そういうんじゃなくて」

「いいからさ、はやく言ってよ。」

 亞城くんからしたらチビで華奢なわたしでも、不機嫌に任せて凄んだら、もう体格的には成人に近い男の人を底冷えさせることができる。これは新しい発見だと思った。バスの外に広がっている一月の刺すような寒さより、わたしの声音は冷たかったかも。

「魅力あるよ、脆渡さんは。」

 亞城くんが、少しだけ恥ずかしそうな顔をしたのが意外だった。

「男子もなんとなく、うっすら脆渡さんが好き、って感じだし、話すときに気を遣ってくれてるところがわかるって、よく」

 ”男子”、”って”という、三人称視点が、どうにも気に喰わなかった。わたしは、亞城くんのボディカメラを覗き見ようとする試みの最中なのに、監視カメラの映像を出されたって納得できない。まだうだうだと喋っている亞城くんを黙らせる。

「わたしが聞きたいのは、誰かの話じゃないんだけど。」

「ぇ、と……そっか。」

「亞城くんが、……どう思ってるか知りたいの。」

 口に出したとき、声色が少し震えていた。涙を流すときにだけ知覚することができる涙腺の場所が、じんじんと熱を発していた。不意に涙が出ることがある。そしてそのタイミングは、自分ではわからない。だから、どうか今だけではありませんように、って、願った。

 頬に熱を感じて、じわ、と汗が滲んだ。

 いつ泣いてしまうかわからなくて、真っ赤な顔で拗ねて、ちっちゃな子供みたいに見られてるだろうな。

 限界まで小さく薄められたため息が、亞城くんの唇から漏れた。ささくれだった空気の音が、駆動するバスのエンジン音を潜り抜けてきた。少しだけ、どきっとした。

 亞城くんも、めんどくさ、って、思うことがあるんだ。

「……が、近い」

「え?」

 視線を逸らしながら言った亞城くんの声が小さくて、思わず聞き返した。

「脆渡さんは、距離感だけが無邪気だから、……たまに、勘違いしそうになる。」

 ちょっとだけ不機嫌になった亞城くんは、いつもより低い声をしていた。

 この瞬間のわたしの気持ちも、この光景も、景色も、全ての記憶をパッケージして、思い出にしてしまって、後生大事に、自分のデスクに飾っておきたい。それを眺めていれば、貴方が隣にいない人生を空しい苦笑で乗り越えられる気がする。

「こういうのとか?」

「いや、もう、さぁ……」

 亞城くんの腕に抱き着いてみる。さっきとは全然違う感触で、不思議と触れ合っている場所が熱を持つ。

 亞城くんからしても、わたしが急にわくわくし始めたのがわかったんだろう。

「さっき、機嫌悪かったのに。」

「え~?そんなことないけどぉ」

 我ながら単純な精神構造をしているとは思うが、古今東西、我儘で気分屋なのは女の子の特権だ。

「機嫌悪かったよ。”友達”だから、それくらいわかるって。」

「……亞城くんはさぁ、”友達”じゃなくて、”女の子”のご機嫌の取り方を憶えた方がいいね。」

「ほら、機嫌悪いじゃん。」

 殊更に”友達”と強調したところがわたしを苛立たせているのだと、亞城くんは無自覚なのだろうか。この鈍感さで、本当にあの贄代由詠を御しているのだろうか。

「は?別に。悪くない。」

「ぁ、……うん、ごめん。」

 ぎゅっと腕を締め付けてみると、亞城くんの肩がぴくりと揺れた。へし折られるとでも思ったんだろうか。それはそれで失礼だ。

 本当は、わたしが胸を押し付けたから、それで動揺してたりしないかな、って。考えるのだけは自由だった。

「亞城くんはさ、女の子の足は細い方がいい?それとも、ちょっとむちってしてた方が魅力的?」

 ふと、少し前に考えたことが思い起こされた。

 今日はタイツを履いていて、足のラインはわかっても、素足は露出していない。だから聞けたのかもしれない。

「なんでそんな男子みたいなこと聞くの。」

「友達同士ならするでしょ?それくらい。」

「女の子とはしません。」

「女の子扱いしてから言ってね、それ。」

 ぐ、と押し黙り、亞城くんは数秒思考した。そして、一旦の猶予時間を欲した。

「俺ばっかり聞かれてて不公平な気がする。」

「わたしは細いふとももの方がおすすめです。はい、じゃあ、亞城くんの番。」

「いやいや、」

「じゃあ、亞城くんが質問してよ。なにが聞きたいの?」

 どうせ、聞きたいことなんてないんだろうけど。そんな卑屈な言葉は口にしない。亞城くんがわたしのためだけにひねり出した言葉に、応じる資格がある。わたしには、それだけで十分だった。

「じゃあ、好きな人いる?」

 一瞬、呼吸が止まったような気がした。少しだけ精細さを欠いた呼吸のリズムが、肺に変な心地を残す。

 なんでもないような亞城くんの顔。わたしの好きな人が、貴方なんだって、夢にも思ってないような顔。そうやって恋バナに逃げて、時間を稼ごうっていう算段。

 全部わかってる。

「いるよ、好きな人。」

 亞城くんの腕から手を引いて、こつんと肩をぶつけた。ついでに少しだけ頭を預ける。身長差のお陰で、いい位置にあった。

「でも、教えてあげない。」

「……そっか。」

「うん。誰にも。誰にも、教えてあげないの。」

 冬になると、あんなにも疎ましかった夏が恋しくなる。

 環境が変わって、自分が変身してしまって、それを受容する。それに、わたしたちは成長とかステップアップみたいな薄っぺらな名前をつけて、不変性への憧憬をなかったことにする。

 だから、せめてもの抵抗として、わたしは変わらないままでいる。


「だって、変わってしまったら。変わってしまうでしょう?」


 亞城くんは優しく笑って、うん、って言ってくれた。


*


「あじょーとゆえちゃんはわかる。まにーもわかる。真瀬、お前もかぁ!!」

「だ、だって!もう冬休みも長くないよ……!」

「うるせぇー!」

 わしゃわしゃと真瀬くんに絡む斎藤さんは、どうやら自分だけ課題が終わっていないことが気に喰わないらしい。

 由詠と顔を見合わせて、思わず二人で笑った。

 集合時刻の前後五分くらいで、わたしたちは五人全員が集合場所に集い、あんまりにも呆気なく揃ったのでむしろ拍子抜けしてしまった。確かに、時間にルーズな人はこのグループの中にはいないかもしれない。

 駐車場に出ていた屋台で、各々が好きな食べ物を買った。朝でも昼でもない微妙な時間帯に食べるたこやきは、日常生活のサイクルを逸脱しているように思えて、どこか不思議だった。

 「なにお願いする?」と話しながら境内への階段を上った。見上げるような階段だったけれど、流石に全員が高校一年生だ。若さはわたしたちに、一度の息切れも要求することなく鳥居まで登頂させた。

 その間にも、みんなが好き勝手にお願いを語る。

 「あの作家の新刊が……」と言ったのは亞城くんで、「神頼みはいいかな。」とは贄代由詠。「健康に過ごしたいかなぁ」と真瀬くんが言って、そこに講釈を垂れた斎藤さんが「全知全能。」と締めた。わたしも当たり障りのないお願いを表明した気がする。当たり障りがなさ過ぎて、自分でもなんと言ったか正確に覚えていなかった。

 賽銭箱の前に辿り着くまでに、結局ニ十分くらいかかったけれど、わざわざファミレスに喋りに行くような年頃のわたしたちには、それくらいなんでもなかった。五人で横に並んで、各々で五円玉を投げた。

 わたしの、本当の願い事。


───亞城くんが、わたしの気持ちに気付きますように。そうしたら、少しは魅力的に見てくれたりはしないだろうか。少しは、いい思いをさせてやろう、とか、思ってくれたりしないだろうか。


 誰よりも早く合掌を終えて、内心で、本当の願い事を唱えた。

 口からこぼれそうになって、ぐっと息を押し込めた。


───


 いつも通りに朝七時に起きたけど、課題も終わって学校もないわたしには、やることがなかった。

 平日二時間、休日三時間課している勉強の時間は、午後三時からと決めている。

 ダッフルコートを羽織って、コンビニまで歩いた。バニラ味のスーパーカップを買って、道すがら公園で食べようと思ったけど、あんまり寒かったから大人しく家に帰った。

 リビングの炬燵に入って、WOWOWでやっていたPerfumeのライブ映像を見ながらアイスを食べる。思い立って調べてみると、メンバーの三人全員がわたしと同郷だった。

 身体をぼんやりと包み込む暖房の温かさの中で、乾燥した身体に取り込まれる甘さの塊みたいなアイスは、じんわりと解けて染み渡っていくみたいだった。脳が糖分を吸い上げて、舌が味の快感を得る。ほどなくしてその快楽に慣れると、途端にスプーンが進まなくなった。結局、半分を残して冷凍庫に仕舞い、ポリリズムを聞きながら本を読んだ。

 いつのまにか、物語は佳境に入っている。


*


 わたしの退屈を見透かしたみたいに、由詠からお誘いが来た。斎藤さんも誘ってみよう、って提案したら、もう予定があるみたいだった。いざ待ち合わせ場所のカフェに入ったら、由詠しかいなくて驚いた。てっきり、亞城くんとか真瀬くんもいて、まただらだら話したり、勉強したりするものだと思っていた。

 冬休みに、贄代由詠が亞城くんを放っておくはずがないと、無意識に思っていた。

 独り占めできるのに、そうしない贅沢に、なぜだかいつもより苛ついた。

 わたしたちは「寒いね」なんて言って当たり障りのない会話をして、それを挨拶とした。といっても、どうせわたしたちが集まってする話は全部当たり障りがなくて、一年生で進路の話を真面目にすることもなかったから、真面目な話でも体重が乗らなかった。

 だから、由詠が真剣な顔で聞いてきたのに、少しだけ面食らった。

「真丹、ずっと、悩んでるでしょ。」

 わたしの表情筋は醒めていて、驚きを正直に顔に出すことすらできなかった。反動みたいに、膝の上の拳だけが、スカートをぎゅっと握った。

 「なんで?」そんなことはないよ、というニュアンスの可笑しさの笑みは、思った以上に低い声が出たせいで拒絶の嘲笑みたいになった。半笑いみたいになったのが、尚悪かった。贄代由詠は、自分の疑念に確信を抱く。

「夏休みくらいから、真丹と話してると、曇ってるみたいに見える。アクリルボード越しみたいに、くぐもってる。」

 妙に詩的な表現をする。由詠はそういう風に世界を見ているんだと思ったら、少しだけ面白かった。コロナのときに、テーブルに置かれていた億劫な壁を思い出した。

「あんまり、真丹の声が聞こえなくて、不安になる。顔が見えなくて、わからなくなる。なにか、我慢してるみたいで、」

「あんたたちって、いっつもそうだよね。」

 言ってから、はっとする。

 友人に、それも、由詠に向けて発していいような声じゃなかった。さっと血の気が引いて、自分がわからなくなる。

 そもそも、ずっと深刻そうな顔をしている由詠に、わたしは何かを予感していた。いつもは「まに」とか「まにぃ」とかふにゃふにゃ読んでくるわたしの名前を、無駄に綺麗な発音で呼んだのも、その予感を補強する材料だった。

 逃がさない。そう言われているみたいで、居心地が悪かった。

 負けそうになる。

 わたしは、わたしのポリシーを絶対に曲げたくない。

 ずっと、ずっと考え続けてきた。どうして、変わらなくちゃいけないの。

 それは、不文律だ。どれだけ拳を打ち付けても、思い切り力を込めても、決して抗えない大きな力。汗がにじむ。筋肉がぱんぱんに破裂しそうになる。不快な心地の中で、それでも、わたしだけは負けてやらない、と。ずっと、この口を閉ざしてきた。

 このままでいようとした。

 理不尽な不可逆の荒波に、抗ってきた。そうやって踏ん張ったわたしに、とうとう彼らは刺客を差し向けた。不可逆の具象したナイフを持ち、それそのものをメタファーする、贄代由詠。

 この世界の全てが、わたしに言っているような気がした。

───いい加減、成長しろよ。

 いつもは心が和らぐ、贄代由詠の綺麗な顔立ち。日本人離れしたはっきりとした目鼻立ちと、生来の肌の白さ。そこに埋められた鋭い眼が、わたしを見ている。責め立てるみたいに、わたしの牙城を、討ち滅ぼすために。

「変わるのが正しいって、成長とか、そういう耳障りばっかりいい言葉を使って、変わらないでって、変わらないものを大事にしたいんだってわたしの気持ちなんかどうでもよくて、それならそれでいいから、その常識を、わたしにまで押し付けてこないで。

 わたしが我慢しないで、変わっちゃったら、どうすんの?もう、二度ともとに戻らないわたしたちを、誰が責任取ってくれんの?変わっちゃったら、変わっちゃうんだよっ……それの、なにが尊いんだ……わたしたちは、」

 そういえば、冷凍庫の中に、まだ食べかけのアイスが残ってる。

 そんな脈絡のない思考だけが、わたしの怒涛の独白を中断した。どうして思い出したのかは、全然わからなかった。

 由詠の顔が見られない。どんな目をしてるだろう。次、わたしに、どんな言葉を吐くだろう。まだ理性的なわたしの声は、賑わっている店内の喧騒に溶け込むくらいには小さい。

 でも、次にまた、おんなじようなことを言われたら。贄代由詠のナイフが、わたしに突き立てられたら。

 わたしの肺腑は、この喧騒を割るほどの血しぶきを噴きあがらせる。

 わたしたちのテーブルにだけ呼び出された静謐が、じんわりと空気を淀ませる。沈黙が気まずくて、カップに手を伸ばす。けれど、もう飲み終わってしまったミルクコーヒーは、わたしのささやかな目的も果たしてはくれない。

 負けそうになる。負けないようにするために、言葉を紡ぐ。本当に言っちゃいけないことを言わないために、少しだけ言っちゃいけないことを、ひたすら溢す。

「言えないことが……言えなかったことが、変われなかったことが、全部悲劇みたいに言われるのは、我慢できない。関わっていい。口を出していい。馬鹿にしてもいい。でも、わたしだけのこの気持ちを、勝手に感傷とか悲しみに消費されるのだけは絶対に許せない。

 わたしじゃない奴が、わたしじゃないわたしを、勝手に騙らないで欲しい。」

 由詠は、なにも言わなかった。

 なにかを話したら、わたしが次の瞬間にも席を立つことがわかっていたのかもしれない。その眠たげな双眸は、ぼんやりしているようで、結構見通している。耐えきれなくて、由詠の方を見た。対面の席に、由詠がいなくなっている。

 あれ、置いて行かれた?そう発想して、すぐ隣に温かな感触があった。

「は?……ちょ、なんで……!?」

 わたしの隣に移動してきた由詠が、ぐい、と距離を詰めてくる。

「まにぃの隣は、安心するから。」

 なにか、温かい膜につつまれたように、贄代由詠の温かさが伝播してくる。じんわりと、溶かされてしまいそうな気がする。

「私も、嫌。」

 「なにが……?」そう返したら、由詠は絡みつくみたいにわたしに抱き着いた。体温が上がったのが、自分でもわかった。

 でも、心地が良くて、思わずわたしも腕を回した。

「私も、真丹が勝手に想像されるのは嫌。真丹の知らない真丹を押し付けられるのは、嫌。」

 あんたに気持ちがわかんの?と、そう言えないのは、わたしが、彼女を間近で見続けていたからだ。

 言葉少なで、美貌。ミステリアスな贄代由詠という存在。その知られざる間隙に、誰もが想像を詰め込み続けた。誰も、本当の贄代由詠を知ろうとしなかった。亞城くん以外は。

「真丹はどうしたら、大丈夫になってくれる?私に、何ができる?」

「わたしは……」

 誰も、わたしに介入してきてほしくない。そう持論を開陳した口で、こうやってわたしに向き合って欲しい、と開くのは、お門違いだ。これはずっと、わたしの物語だ。わたしの内省で、わたしの自省。

 わたしが答えを出して、わたしが貫く。だから、わたしが大丈夫になるまでに、由詠には、斎藤さんには、真瀬くんには───亞城くんには。

 久しぶりに、贄代由詠の顔を、そんなにも間近で見たかもしれない。抱擁を解いた彼女は、思わず安心してしまうような微笑を浮かべて言った。

「大丈夫。ずっと、変わらないよ。私たちはずっと、このままで居れる。」

 だから。


「だから、また、いつも通りに戻ろう?」


 贄代由詠は、そう言って笑った。晴れやかな表情だった。少しだけ、泣きそうになった。

 わたしたちは、ふたりだけで帰った。手を繋いで、他愛ない話をして、歩いて。ずっと握られている手が、わたしを安心させてくれた。わたしたちは、ずっと、このままでいれる。


───


 雨が降り始めた。

 亞城くんは、電話越しの真瀬くんとあれじゃないこれじゃないと話していた。冬休みに遊べるのもこれが最後だというのに、わたしが思いっきり足を挫いたせいで、わたしと亞城くんは瞬く間に人ごみに分断されてしまった。由詠と斎藤さんと真瀬くんの場所まで、歩いたらちょっとだけかかる。

「亞城くん、わたし、足大丈夫になってから行くから、さき行ってて?」

 かけてきていた伊達メガネのレンズに、水滴が目立ち始める。ベンチに腰かけて、足首の具合を確認する。

「ここいたら、亞城くんまで濡れちゃうよ。」

 もちろん、簡単に頷いてくれるとは思っていなかったけど、亞城くんは電話しながら微妙な顔をした。「今から行く」と言い残して電話を切った亞城くんは、わたしの前に跪いた。咄嗟に、両脚をぺたりとくっつける。多分、亞城くんはわたしのパンツが見えたところで、ふーん、くらいの反応しかしないだろうけど、女の子としての矜持があった。

「脆渡さん、俺に触られても、嫌じゃない?」

 むしろ、めっちゃ嬉しい……、とマジ顔で言ったところで困らせるだけなので、口が余計なことを言わないように頷くだけで済ませた。もしかしたら亞城くんが触れてくれるのかも、と思ったら、少しだけ物欲しそうな視線を送ってしまう。

 雨足が強くなって、亞城くんのシャツの肩のところで、雨粒がパタパタと音を立てた。このままだったら、本格的にびしょ濡れになってしまう。

 亞城くんに手を取られて立ち上がると、亞城くんは「ちょっとだけ掴まっててね」と言って、わたしをひょいと抱き上げた。

 お姫様抱っこだった。

「ひぇっ……?あ、あじょ、くん、これは」

「ごめん、ちょっと走るから!」

 ダッ、と加速して、わたしの感情が置き去りにされる。少しだけ息切れした亞城くんの横顔が、わたしのすぐ近くにある。

 重くないかな、とか、結構際どいところに触れられちゃってるけど、亞城くん嫌じゃないかな、とか、そんな考えを優に追い越す熱い昂りみたいなものが、曇天をどぱんと晴らしていく。

 裏腹に、現実の雨は苛烈さを増して、少し遠くのところで雷鳴の残響が聞こえた。

 ちょっとだけ、欲が出る。

 掴まってて、って言ったのは、亞城くんだから。それを免罪符にして、ぎゅっと亞城くんに身体を寄せた。

 あーあ、こんな思い出貰っちゃったら、ほんとに、忘れられなくなっちゃうんだ。亞城くんはずっとわたしに、これからもずっと、そういう目で見られちゃうんだ。ざまーみろ。

 凄い速度で景色が通り過ぎていく。


「ここまで来たら、大丈夫かな……ごめん、結構濡れちゃった。」

「ううん、助かった。ありがとうね。」

 道すがらの公園の東屋で、亞城くんにハンカチを差し出す。受け取ってもらえなかったので、わたしが拭いてあげた。

 わたしはいいって言ったのに、亞城くんはまだわたしを抱えたままだった。流石に持ち上げてはいなかったけど、ずぶ濡れのベンチに座らせるのは違うって言って、わたしを抱えたまま地面に座り込んでいた。

 亞城くんを椅子にするのは、ちょっとだけ背徳感があってよかった。亞城くんにまわしたままの腕が解かれないのが嬉しかった。

 でも、さっきからずっと気になっていることがあった。

 わたしは知っている。お姫様抱っこは、結構現実的じゃない。

「亞城くん、わたし、重かった?」

「……ごめん、ちょっとだけ」

「あははっ……!言った!女の子に重いって!」

「いやっ、平均値!平均値より軽かったはず!」

「ふふっ、いいって別にぃ……わたしもちょっと思ってたし」

 わたしがあんまり笑うから、亞城くんは不満そうな顔をした。

 身長が高い、というわけじゃないけど、女子の中で見たら多分わたしは大きい方。健康的な実感のお陰で、発育もいい。もう立派に、私の成長は終端速度にある。そんなほぼ成人女性みたいなわたしを、いくら男の子の亞城くんでも軽々抱き上げられるわけがない。

 多分、気を遣わせないように無理してたんだろう。

 ヒロインを軽々抱き上げられる主人公。小説の中みたいに、そんなことされちゃったら、亞城くんのこともっと好きになっちゃう。

 でも結局、そういう亞城くんの情けないところは可愛いから、また好きになる。

 挫いたほうの足をふらふらと振ってみる。うん、大丈夫。

「ね、亞城くん。」

 なに、と応じる前に、ぎゅっと抱き着いた。微かに湿ったわたしたちの身体は、そのせいでより扇情的に密着した。その上半身の動きだけで、亞城くんが驚いたのがわかった。

 あぁ、少しは意識してくれてるんだ。

 なら、わたしにも、まだ、チャンスがあるかな。

 血管を突き破ってしまいそうなほどに、心臓が鼓動している。あがった呼吸の吐息が、亞城くんにかからないように、その耳元に唇を寄せた。体温を吸い上げた雨粒が、わたしたちの間に生温い膜をつくる。亞城くんとわたしの接触面で、布同士がこすれ合う湿った音がした。

「かっこよかったよ。だから、ご褒美。」

 好きなのが抑えられなくて、全力で抱きしめちゃった。それでも、亞城くんの身体は全然平気そうだった。やっぱり、男の子とは力が全然違う。

「こんなの、ご褒美にならないって顔してるな~」

「な、なります……でも、その、これはくっつきすぎじゃ」

「いいよ。ご褒美なんだもん。」

 弾んだ声が出て、自分で恥ずかしくなる。なんで急に、こんな大胆なことしちゃったんだろう。

 吐息して、少しだけ頭を冷やす。亞城くんの手が、わたしの背中に触れた。亞城くんに、抱きしめて貰えた。

「ぁ……」

 頭の中が、馬鹿みたいに桃色になる。ショッキングピンクみたいに、好きが溢れる。

 ちょっとだけ、涙が出た。でも、雨に降られてたから、大丈夫。

「ごめん、落ちそうだったから。」

「そ……そう、だよね、落ちそう、だったから……」

 沈黙、静謐、雨粒が滴る、微かなBGM。わたしが亞城くんを好きだった時間から、亞城くんが由詠と付き合いだした時間を引く。そこに、わたしの罪悪感と、由詠を大好きな気持ちを掛け算する。そうして導き出した時間分、わたしは、この幸せな時間を引き伸ばす。

 気まずそうに言った亞城くんが、どんな顔してるのか。見ちゃったら、多分告白してしまう。

「ねぇ、亞城くん。……このままでいようよ。」

 ぴょん、と飛び降りて、「あ」と声を上げた亞城くんに、片足を振って見せる。ほっとしたような顔をする亞城くんに、隙間を埋めるみたいに言った。


「わたしたち、ずっと、このままでいよう?」


 ずっと、ずっと。わたしは、貴方と過ごした思い出を、宝箱の中に仕舞って、デスクの上の写真立てに入れて、スマートフォンのホーム画面にして、ずっとずっと、生きていく。それって、なんて、素敵な人生なんだろう。

 わたしたちはずっと、友達のまま、たくさんの思い出を作っていって、さいっこうのエンディングを迎える。

 少し遠くの方から、由詠たちが歩いてくる。五人が集まる。心が、温かくなる。


───


 夕方。体力作りのための散歩をしていたら、なんとなく、学校まで来てしまった。

 明日から学校だからだろうか。校門は空いていて、ロータリーの奥にある職員室に、先生がぞろぞろと入っていくのが見えた。

 それなら、と思って、階段を上って脱靴場まで行ってみる。目論見通り扉は開いていて、靴を履き替えて校内を歩いた。

 夕方だったから、部活動生もいなくて、先生たちは多分職員会議。自分しかいない学校の中を、ふわふわした気分で歩いた。階段を上り、渡り廊下に出る。

 雨が降ったのは昨日だけで、今日は冬特有の曇り空が広がっている。

 ダッフルコートの懐で、ずっしりと重みを持ったナイフ。取り出して、検めて、その不可視の刃渡りが、亞城くんに突き刺さらなかったことに安堵した。

 すぅ~、っと思いっきり息を吸った。もう、これ以上は吸えないってくらい。それで、


「亞城くん、好きだぁーーーーーーー!!」


 自分でもびっくりするくらいの大声で、叫んでやった。

 なんだかすかっとして、ぜぇぜぇと息を切らしながら、おかしくて笑いが止まらなくなる。ひとしきり笑って、今の自分が相当奇妙なことをしているのに、妙な恥ずかしさが湧いてくる。

 図らずも、青春小説みたいなことをしてしまった。

 ふぅ、息を整えて、手にしたナイフを空に透かした。

 これを突き立てたら、きっと、今の状況を変えられる。だから、貴方はこれを、自分の首に突きつけたんだね。

「う、らっ……!」

 ぶん、っとナイフをぶん投げた。

 もう、由詠に心配されるようなわたしからは決別する。わたしは、わたしの気持ちを、なによりも大事に抱えることができた。誰にも、この持論を曲げさせなかった。わたしが何度も挫かれて、何度も泣いて、何度も再起を誓った、この忸怩たる思いから、勝ち切った。


 脈絡もなく可変性について考えていたら、その思考に脈絡が生じ始めた。

 わたしはその思索の果て、ある結論に辿り着く。


 わたしは、変わらないものをずっと、抱えて生きていく。貴方との思い出を、懐に忍ばせながら生きていく。

 晴れやかな気持ちで振り向いたら、体育の先生がわたしを見ていた。「脆渡、私では不足かもしれないが、悩みがあるなら、聞くぞ?」わたしは、真っ赤な顔でダッシュで帰宅した。


───


「あ、そうだった。」

 冷凍庫を開けたら、わたしが途中で飽きてしまったスーパーカップが入っていた。

 取り出してリビングのテーブルに置いてから、不安になって調べる。

「へぇ……アイスって賞味期限ないんだ」

 なんと、アイスとは基本的に不変らしい。途端に、ただのラクトアイスが凄い物のように思えてくる。味は少し落ちるかもしれないけれど、基本的な品質は変わらないみたい。

 えい、と意を決してぱくついたアイスは、あの日と全然変わらない美味しさだった。


挿絵(By みてみん)


贄代由詠の誕生日を記念した作品です。彼女のことをとても愛おしく思います。

脆渡真丹のことを、とても愛おしく思います。

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