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(どうしよう……。やっぱりやめておく? ……いえ、でも……せっかくここまで来たのだし……)

 大きな白い建物を見上げ、ユージェニーは足を止めて逡巡した。

 ここはライル・アーデンが勤める病院、その総合受付のある棟の前だ。広い敷地内に、清潔感とともに無機質な印象を与える白い建物が立ち並んでいる。人々に治療を施す場というだけでなく、奥の方の建物は研究施設であるようだ。

 ライルは爵位を持っているが、体裁を考えて最低限与えられたというだけらしい。病を得たあとに実家から勘当され、ほとんど名目ばかりの爵位を与えられて追い出されたということだ。

 とは言いつつ、実家にいたときからライルは医療魔術師として病院に籍を置き、研究活動に当たっていたそうだから、勘当がどこまでの痛手であったのかは分からない。尤も、そうして生活の基盤ができている状況だったからこそ実家の者も気兼ねなくライルを追い出すことができたのかもしれないが。

 集めた噂話を思い返しつつ、ユージェニーの足は行ったり来たりを繰り返す。総合棟の玄関口へ続く道の周囲は芝生広場で、人の行き来もそれなりに多い。ユージェニーひとりがうろうろとしていたところで邪魔にはならないのだが、いつまでもこうしていても埒が明かない。

(どうしよう……。いえ、どうすべきなのかは分かっているのだけど……)

 彼と話をしなければならない。

 責任を取る――ユージェニーの婚約者になる――と言った彼と。

(……無理! 無理だわ、どんな顔で何を話せばいいの!?)

 パーティが終わってから数日、まだ心の整理がついていない。結局あの後はうやむやに終わってしまったし、沸騰寸前のウィルに加えて合流した上の兄と下の兄もライルに対して感謝しつつも腹を立てているようだったので、兄たちには何も相談できなかったのだ。

 ライルに対して、手紙を送ることも考えた。だが、書面だけのやり取りは時間がかかるし、対面よりも誤解が生じやすいだろう。かと言って彼の自宅に直接押し掛けるのもまずいし、兄を通してやり取りするのはもっとまずい。まとまる話もまとまらなくなる。

 そうなるともう、勤務先に行ってみるしかない。休憩時間か退勤時間を教えてもらって、なるべく邪魔にならないように短時間だけ話をする。それしかない。

(分かっているのだけど、足が、言うことをきかない……!)

 勢いをつけて来てみたはいいものの、ここから先へ進むには足が重すぎる。体が弱いユージェニーは病院に通うことも往診で診療を受けることも多いのだが、そうした時とはまた違った足の重さだ。

「……どうされましたか?」

「ひゃ……!」

 いきなり声をかけられて、ユージェニーは驚いて小さく声を漏らした。

 しかもかけられた声に、なんだか聞き覚えがあるような気がする。おそるおそる振り向くと、眼鏡をかけた白衣の青年がいた。

 格好はもちろんパーティの時と変わっているが、さらりとした金髪にも、端正な顔立ちにも、嫌というほど見覚えがある。

「…………アーデン様?」

「はい。奇遇ですね、ユージェニー嬢」

「……えっと、そうですね? あの、ええと……」

 奇遇も何も、彼に会うためにここへ来たのだ。だが、そのことが言い出しにくい。それに、奇遇であることも間違いない。まだ建物に入ってすらいなくて、誰にも取次を頼んだりしていないのだ。

 ライルが咳払いをするように横を向いた。その肩がかすかに震えているのを見て、自分がどうしてここに来たのかを見透かされたと悟る。笑われてももちろん怒りは湧かないが、気まずいことこの上ない。

「……失礼しました」

 ややあって笑いを収めたライルが謝った。だが、その目はまだ状況を面白がっており、唇には笑みの余韻が残っている。それを見たユージェニーもつられて肩の力が抜けた。

「こちらこそ失礼をいたしました。先日のことについてお礼を申し上げたくて、お話もしたくて、不躾にもお訪ねしてしまいました。よろしければ少しだけお時間をいただきたいのですが、いつでしたら……」

「今で大丈夫ですよ。休憩中ですので。立ち話も何ですから、座れる場所に行きましょうか。飲み物でも用意しましょう」

「えっと、ありがとうございます。それなら、これを……」

 ユージェニーは持ってきた包みを開いた。お礼として用意した焼き菓子だ。ライルの好みが分からないので甘いものから甘くないものまで詰め合わせてある。万が一どれも食べられなかったとしても、周囲の誰かが食べてくれるだろう。

「先日は助けてくださって、本当にありがとうございました。差し入れとしてお菓子を用意いたしましたので、よろしければ召し上がってください」

「それはご丁寧に、ありがとうございます。嬉しいですね。せっかくですから飲み物と一緒にいただきましょうか」

 包みごと箱を受け取り、ライルは微笑んだ。そのままユージェニーを案内し、総合棟を回り込むようにして中庭へと向かう。ユージェニーを木陰のベンチに座らせてから建物に入り、二人分のお茶のカップを持って戻ってきた。

「すみません、ありがとうございます」

「いえいえ、こちらこそ結構な差し入れをありがとうございます」

 立ち上がって飲み物を受け取り、お礼を言う。ライルも気楽な調子で言葉を返した。

(……良識的で、紳士的な方だわ)

 いざライルを目の前にしたら何をどう話せばいいものか分からなくて不安だったのだが、難しい相手ではなさそうだ。パーティの場では観察するどころではなかったが、そもそも兄の友人なのだ。悪い人ではないはずだ。

 いただいたお茶に口をつけると、果実の味がした。乾燥果実を混ぜた茶葉で淹れたものらしい。さっぱりと飲みやすくて美味しかった。

「……美味しいです」

「お気に召したようで何よりです。眠気覚ましのコーヒーよりもこちらを選んでよかったです。他にもいろいろとあるのですが」

「他のものも気になりますね」

 軽いやりとりをしつつ、ライルの目元に視線が向く。彼はいま眼鏡をかけているが、パーティの時にはかけていなかったとなんとなく考える。

 ユージェニーの視線の意味を察してライルは答えた。

「私はふだん眼鏡を使いますが、魔術で補えば眼鏡なしでも問題なく見えますよ。目の表面に薄い水の膜を張って屈折率を調整すれば問題ありません。でも、それなりに神経を使う魔術なので、仕事中は眼鏡に任せています。それなら繊細な魔術を行使するときも妨げになりませんしね」

「なるほど、水の膜を……」

「ええ。いわば水のレンズですね」

 簡単そうに言うが、そうとう高度な魔術だ。さすが医療魔術師だと感心する。

(魔力が体内で作れなくなったということだけど……何だかあまり不自由していなさそう。魔力の調達手段って、まさか……)

 ライルは何気なくポケットから魔力結晶を取り出した。

「仕事柄、割引価格で魔力結晶を手に入れられるので、なにかと重宝しています。目に水の膜を張る程度ならほとんど魔力も使いませんしね」

「簡単そうに仰いますが、難しい魔術ですよね? 技術的な問題として、まず表面張力が……」

 うずうずしてきてユージェニーは思わず話を深めた。魔術馬鹿と言われる者として、興味深い魔術を目の前にぶら下げられると我慢できない。ライルは嫌がることもなく専門的な話に付き合った。

(……楽しい)

 話しながらそう思い、お茶を飲み切ったユージェニーは、そこでようやく、本来の目的をすっかり忘れていたことを思い出した。

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