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必要なことだった。救助行為だった。それは分かっている。だが――キスだ。
嫌だとか嫌ではなかったとかいう問題ではなく、もっと実際的な問題がある。未婚の、婚約者も決まっていない貴族令嬢が――既婚や婚約済みであってもそれはそれで大問題だっただろうが――規模の大きいパーティの場で、こんなところを見せてしまったのだ。なんとか片をつけなければ収まらない。
「……そんな、泣きそうな顔をなさらないでください」
ライルに困ったように言われ、ユージェニーは首を横に振った。案じているのは自分のことではなく、彼のことだ。
「ごめんなさい、私のせいで……! 医療行為なのだとみんなに納得してもらえるといいのだけど……」
人は面白い方の話に飛びつく。パーティの主役である令嬢が倒れ、医療行為を受けた――ではなく、例えば……令嬢に思いを寄せていた青年が思い余ってしまった、などという話の方が圧倒的に受け入れられやすく、広まりやすい。医療行為だったという理由は面白くないが、色恋の話なら面白い。そして理由はどうあれ、絵面として……ユージェニーはライルから、長いキスをされているのだ。
たとえこの青年が訳ありで、結婚を想定していない状況であったとしても……こんな状況が愉快なわけはないだろう。彼にしてみれば単なる救助行為で、善意での行為なのに、巻き込まれた形になってしまう。からかわれたりもするだろうし、煩わしいことも増えるだろう。この上さらに迷惑をかけてしまうことになるのだ。
おろおろしながら考えを巡らせるユージェニーに、ライルは苦笑した。
「私のことを心配してくださっているのですか?」
「ええ……。助けてくださったのに、さらにご迷惑をおかけすることになるのが心苦しくて……」
「…………」
悄然と俯くユージェニーに、ライルが少し沈黙した。ややあって感情の読み取りにくい声で言葉を返す。
「……私は男ですよ? パートナーもいませんし、このことで不都合なことが起きたりはしません。あなたを助けたことでもしも何かあれば、それはむしろ勲章です」
「……そのように言ってくださるのは嬉しいのですが……」
「あなたは……他人のことばかりですね。大変なのはご自身でしょうに。…………いつもそうだ」
「すみません、なんて仰いました?」
付け足すように小さく呟かれた言葉が聞き取れず、ユージェニーは聞き返した。
「いいえ、なんでも。私のことより、あなた自身のことです。未婚のご令嬢にとって醜聞もいいところですが……」
「そうだぞ! ジェニーを助けてくれたことには礼を言うが、どうしてくれる!? 嫁に行けなくなってしまうかもしれないじゃないか!」
口を挟んだのはウィルだ。そのウィルに、ライルは冷めた視線を送った。
「妹は嫁になどやらない、ずっと近くにいてもらうんだ、といつも言っていたのは誰だったかな?」
「うっ……! だが、それはそれだ!」
「清々しいほどのシスコンだな」
呆れた口調で切り捨て、ライルはユージェニーに視線を戻した。
「だが、そこのシスコンの言うことも尤もです。責任を取らせていただけますか?」
「え……? 責任なんて、そんな……」
「通じていないみたいですね。もっと直接的に申しましょうか」
ライルは再び苦笑した。そしてユージェニーを見る視線に熾火のような熱が籠っていると感じるのは気のせいだろうか。
「責任を取って、あなたに求婚いたします。ユージェニー・リックス嬢。このパーティはあなたの成人を祝い……婚約者を定めるもの。そういった位置づけのものとされていたはずですね?」
「…………!?!?!?」
ユージェニーは目を白黒させ、口をぱくぱくと動かした。
(責任って……責任って、そういう……!?)
頭が真っ白になったユージェニーの、その視界も真っ白になった。強い光が目を灼く。
何が起きたのかと驚くユージェニーの横から、飛びすさるようにライルが距離を取った。
「危ないな。彼女に当たったらどうするつもりなんだ?」
「当てるわけないだろう。それに、そう言うんなら守って庇ってやればよかったんだ」
「庇うよりも離れた方が守れると判断したまでだ」
舌戦を繰り広げながら、ウィルとライルが魔術の応酬をしている。正確に言えば、ウィルが一方的に水の矢を飛ばして攻撃するのを、ライルが防いでいるという構図だ。先ほどの光は、どうやらライルが魔術を防いだときに発生したものだったらしい。理解したユージェニーは思わず立ち上がって兄を諫めた。
「お兄様!? 何をなさっているの! ここは屋内よ!? 人も多いのに! そもそも攻撃魔術を人に向けたら駄目でしょう!」
ふわりとユージェニーの髪が魔力をはらんで広がる。魔術が発動する気配に、ウィルは慌てて喧嘩腰の態度を引っ込めた。
「ジェニー、駄目だ! さっき倒れたばっかりだろう!? いま魔術なんて使ったらいけない!」
「そうさせるようなことをしているのは誰!? それに、私はもう大丈夫よ! 助けていただいたもの」
「それが! 気に入らん!」
「…………私は八つ当たりされているのかな」
ライルが嘆息した。
「八つ当たりなどではない! ジェニーの婚約者になるなら、このくらいの魔術は寝ていても防いでもらわんと困る! ジェニーを守ってやれるようにな!」
「……なるほど、試し……と称した八つ当たりか」
自棄になったように放たれた水の矢を軽々と打ち消し、ライルは再び嘆息した。
その様子を見ながらユージェニーは目を見開いていた。
(すごい……最小の魔力で正確に魔術を発動させ、完全にコントロールしている。攻撃に比べて防御は難しいのに、過剰な力を極力出さないようにしながらも必要十分な魔力を使っている……)
はたと気づく。彼が今使っている魔力は、自分が流し込んだものだ。
そしてそれの受け渡し方法についても、再び思い出してしまう。
「――――!」
「ジェニー! 落ち着くんだ! 魔力が溢れてるぞ! 髪が! 湿ってきている!」
「溢れたらまた私が引き受けますが……いいんですか? 私は役得ですが」
「誰がいいと言った!」
騒がしいやりとりを聞き流すようにしつつ、先ほどのようなことになるのだけはまずいという判断くらいはできる。ユージェニーは必死に魔力を抑えた。
「お辛いなら引き受けますよ?」
提案するライルはわざとだろうか。ユージェニーの混乱を見て楽しんでいるようにすら思えてくる。そんな彼をウィルが睨みつけるのももはやお決まりの流れだ。
こうして、大多数の参加客を置き去りにした――と言うよりも、大多数の参加客を観客とした――見世物のようなパーティは幕を閉じた。