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「ジェニー!? 何を言って……」
「おさまったのなら、良かった。体は苦しくありませんか?」
青年が微笑み、ユージェニーを心から案じる視線を送る。類まれな美貌に浮かべられた笑みに気を呑まれ、ユージェニーはぎこちなく頷いた。
「……ええ、大丈夫みたいです」
(私の気のせい!? 気のせいよね!?)
その美しい笑みの奥に、こちらへの恋情が見えるなんて……気のせいのはずだ。
勘違いだとしても、勘違いではないとしても、どちらにしても恥ずかしい。ユージェニーの頬が赤くなる。あまり日に焼けていないユージェニーの肌は白く、血の色が鮮やかにのぼってしまう。その様子を見た青年が目を細めた。
いっぱいいっぱいだったユージェニーも、怒り心頭のウィルも、気づかなかった。ユージェニーのような状況でこうした症状を呈するなら、普通は魔力過剰ではなく魔力欠乏を疑うものだということに。青年がユージェニーの病状を魔力過剰だと分かっていたことの不自然に。
気づかず、ウィルが再び低い声を漏らす。
「もう一度聞くが、ライル、どういうことだ? ジェニーにこんなことをしておいて……返答次第では、生きて帰れると思うなよ」
青年はライルという名前らしい。ウィルは彼と友人だと言っていたが、友人を相手にしている口調ではない。まるで親の仇を目の前にしているような調子だ。
ライルは臆したふうもなく、涼やかな視線を返した。
「君が妹を大切にしていることは重々承知しているよ、ウィル。私は彼女を助けたつもりなんだが」
「……どういうことだ?」
「彼女の過剰な魔力を吸収した。魔力過剰を解消し、回復を助けた。……そうですね?」
最後の確認はユージェニーに向けたものだ。まさか嘘をつくわけにもいかず、ユージェニーは素直に頷いた。
「ええ。楽になりました。ありがとうございます。でも……あなたは大丈夫なのですか? かなりの量の魔力が渡ってしまったはずですが……」
ライルは頷いた。
「私は後天的に、体にトラブルを抱えておりまして。自分で魔力を生成することができないのです。魔力貯蔵器官は無事なので外部から受け取ることはできるのですが」
「…………!」
ユージェニーは目を見開いた。それは魔術師としてほとんど致命的な欠陥だ。
だがライルはユージェニーの考えを読んだように首を横に振った。
「不便なことは多いですが、意外と何とかなるものですよ。魔力結晶を使えば魔術を行使することもできます」
「それは……ようございました」
魔力結晶とは、その名の通り魔力の結晶だ。魔力の属性は地水火風の四つあり、魔力結晶も四種類ある。水魔力の結晶であれば、水結晶だ。
魔力は世界のいたるところに満ちている。空気中であれば気体として、生物の体の中であれば血液とともに液体として、土中にも化合物として。そうした魔力を純粋な形で取り出し、結晶化したものが魔力結晶だ。魔力を持たない人であっても、結晶を使えば理論的には魔術の行使が可能だ。……そうした人はそもそも体内を魔力がめぐる感覚を知らないため、実際に可能かと言われれば疑問ではあるが、理論上は可能だと言える。
もちろん、もともと魔力を持っていたが失ってしまった人であれば、魔力結晶を使えば魔術を使うことができるだろう。
問題は、値段だ。魔力結晶は高価なのだ。生成できる者が限られるし、魔力結晶の材料として魔力を提供する、いわば「売る」ことに抵抗を示す者も多い。さらに厄介なことに、魔力結晶には個人の「色」がつく。たとえば水結晶であれば青系統なのだが、元になる魔力の違いによって色合いや濃淡に差ができてしまう。詳細に調べれば個人を特定することさえ可能になる場合もある。
そういうわけなので、魔力結晶を使えば魔術を使える、というライルの言葉に、手放しに安堵したり安易に慰めたりできないのだ。魔術が使えないという最悪の事態ではないものの、彼は依然として重いハンデを背負っている状態だ。
魔術師として生きることに誇りを持っている者であれば、絶望してもおかしくない状況のはずだ。だが、彼はまったくそうした様子を見せず、穏やかに微笑んでいる。
……威圧感を振りまいているウィルの視線にも動じず端然としていられるあたり、只者ではない雰囲気がある。
「……お前のそういう事情は分かっている。魔力が生成できなくなったことも、貯蔵器官は無事なことも知っている。ジェニーの大きな魔力を受け取ることができたというのなら、そうなのだろう」
ウィルは言葉を切って――
「だが――なんでこんな……ふしだらなことをしたんだ!? 俺の大切な大切な妹に!!」
――吠えた。私的な場でもないというのに、一人称が砕けてしまっている。キスという言葉を言えなくてぼかしてしまっているあたり、認めまいとする意志を感じる。
びりびりと肌に響く叫びを受けても、ライルは相変わらず涼しげな表情のままだ。ユージェニー一人がおろおろとしている。ライルは冷静な口調で言った。
「れっきとした医療行為だ。魔力の受け渡しは皮膚を通して行われることが多いが、粘膜接触なら比較にならないほど効率が上がる。多量の魔力を短時間に受け取ろうと思ったら、粘膜を介すのが一番いい。魔力を渡す側の負担も小さい」
「……っ! 確かにお前は医療魔術師だが、俺が詳しくないからって適当なことを言ったりしてないだろうな!?」
「まさか。そんなすぐ分かる嘘などつくものか。私から聞いた話を鵜呑みにせず後で裏を取るつもりだろう? 妹のことが絡むと別人のように細やかになる君のことだから。それに、君の兄君と弟君も一緒になって動くのだろう? 君たちをまとめて敵にするつもりなんて私にはないよ」
「ぐっ……うう……」
ライルの言い分がもっともだと納得させられてしまったらしい。ウィルが唸る。
ユージェニーは他人事のように感心していた。
(私のことになると人が変わったようになってしまうお兄様を、こんなにあっさりと……。ご友人というのは伊達ではないのね。それに、医療魔術師でいらしたの……)
そんな人が居合わせてくれて運がよかったと言うべきだろう。ユージェニーはすぐに回復することができた。
(これでパーティにも戻れる…………本当に……?)
ここにきてようやく周囲に気を配る余裕ができ、ユージェニーはおそるおそる首を動かして辺りを見回した。
当然のことながら、ホールで踊っている人などいない。食事や談笑を楽しんでいる者もいない。ここにいるのはいきり立った兄と、座り込んでいるユージェニーとライル、三人だけだ。
そして、少し離れたところから――ユージェニーの兄二人に牽制されながらも――こちらを物見高く注視しながらざわめいている招待客たち。
「――――!」
ユージェニーは声にならない悲鳴を上げた。
(私、大勢の人が見ている前で……この人と、キスしてしまったの……!?)