2
(新作の魔術、喜んでもらえてよかった。微細な水の粒子で鳥の姿を作るところまではいいのだけど、動かし方次第で途端に不自然になってしまうから難しかったのよね……)
魔力を繊細に操り、現象を観察しつつ試行錯誤を重ね、本物の鳥の動きだけでなく骨格や筋肉の付き方から学んだ成果だ。うまくいってよかったし、自分自身でも楽しんだ。
(やっぱりみんな、こういう演出には興味があるわよね。たくさんの人に話しかけられたし)
上機嫌で思い返すユージェニーは気づいていない。その大半が魔術よりも彼女自身を目当てに話しかけていたことを。そして、徹頭徹尾魔術の話しかしない彼女にある人は顔を引きつらせ、ある人は脈なしと肩を落とし、軒並み撃沈していたことを。
大勢の人が集まる賑やかな場はどちらかといえば苦手なユージェニーだが、魔術を披露したり魔術の話をしたりするときは別だ。むしろ人が多い方が楽しいとすら思ってしまう。そういったところが、兄たちから魔術馬鹿と呼ばれてしまう所以なのだが。
会場には豪華な料理が用意されているが、ほとんど手をつけず、飲み物で喉を潤すに留めておく。ドレスは極端に絞った形のものではないが、ものを食べるのにはあまり適していない。歩いたりして動き続けることを考えても、食べるのは控えた方がいい。兄たちは食べないと動けないだろうなどと言うが、ユージェニーはむしろ逆だ。食べたあとに動くのはしんどい。消化に余力を取られているのだろうと思っている。
普段も食が細くなりがちなユージェニーは――あまりたくさん食べられる体質ではないということに加えて、魔術に夢中になって食事を忘れることがままある――、折れそうに華奢だとか、妖精のようだなどと言われることもある。
当然のように体力もなく、今もくらりと少しめまいを覚えた。
「大丈夫ですか!?」
「ええ。失礼いたしました。よくあることですので」
数人で魔術談義――と思っているのはユージェニーの側だけだが――をしていた最中のことだったので、みんなから心配する視線を受けてしまう。だが、本当によくあることなのでユージェニーは軽く首を振って流した。
お目付け役のように傍にいた兄のウィルも動じていないのを見て、話し相手の青年たちも安堵したようだった。
「ああ、よかった。しかしそうしたところも可憐で、守ってあげたくなると言いますか……」
「比類ない魔術の才能をお持ちだからこそ、そうした枷もあるわけですね」
「ええと、まあ、生まれつきなので……」
少し首を傾げて応えたユージェニーに、青年たちは再びアピールを始めた。
「ですが、無事にご成人なさった。喜ばしいことです」
「そろそろご婚約やご結婚を考えていらっしゃることでしょう」
「ええと……」
話が魔術のことから離れ、ユージェニーは困って視線を逸らした。本当に困ったら兄を頼るが、まだそこまでではない。ただでさえユージェニーを青年たちから引き離したくてうずうずしている兄をあまり刺激したくない。自分でなんとかしないといけない。
逸らした視線が、そのままなんとなく一人の男性のところへ引き寄せられる。遠目に見ても容姿の整った男性で、周りの女性たちがちらちら視線を投げつつも距離を取って話しかけずにいる、その不自然さが気になったのかもしれない。
ユージェニーの視線を追った男性の一人が不愉快そうに言った。
「ああ、アーデン卿も来ていたんですね。リックス家に縁づけるはずもないのに」
ユージェニーは驚きつつ言葉を挟んだ。
「アーデン様とおっしゃるの。どんな方であれ、お越しくださった大切なお客様ですわ。ご事情がおありだとしても……」
そもそもユージェニー自身が婚約や結婚を考えていないので問題にならないのだが、青年はライバルを蹴落とそうとするかのように言葉を続けた。
「ユージェニー嬢はご存知ありませんか? あの男は非常に優秀な水魔術師だったのですが、重い病にかかったのです。回復して命は取り留めましたが、深刻な後遺症が残って……」
なるほど、とユージェニーは頷いた。見るからに家柄がよく、容姿もよく、話を聞いた感じでは未婚で、でも女性たちが彼を気にしつつも近づこうとしない理由が納得できる。どんな後遺症かは知らないが、魔術師として――そしておそらく、血を残すうえでも――致命的な欠陥を抱えてしまったのだろう。
少しだけ、共感を覚える。ユージェニーの虚弱さは先天的なものだが、彼は後天的に困難を抱えてしまったのだ。
(すごく美しい殿方だけど……)
金の髪に、均整の取れた体躯。顔立ちがはっきりと見えない距離でありながら、その造作の美しさを確信させる。問題を抱える前はさぞかしもてたことだろう。
「その話はここで終わりにしてくれ。彼は私の友人なんだ」
「! 失礼いたしました!」
口をはさんだウィルに、青年は直立不動になった。ユージェニーと距離を縮めたくて話したことが逆効果になってはたまらないとばかり口を噤む。
「そう、お兄様のご友人なの……」
もう一度だけ、ユージェニーはちらりとアーデン卿を見た。我関せずといった様子で端然と佇み、グラスを傾けている。
その彼と、一瞬だけ視線が交わった気がした。
パーティは滞りなく進み、招待客たちの雰囲気もいくぶん柔らかくなってきた。最初は緊張したり場の雰囲気に呑まれたりしていた者も、時間が経って慣れてきたものとみえる。
ダンスをしている者も多いが、ユージェニーは相変わらずダンスそっちのけで魔術談義に興じていた。いま話し相手になってくれている年かさの男性は経験豊富な火魔術師で、他属性の話を聞けるのが面白い。
楽しく話していたのだが、またしてもユージェニーは目まいを覚えた。先ほどのものよりもひどい。
「……申し訳ありません、めまいが……。少し失礼してもよろしいでしょうか」
「ええ、もちろん。大丈夫ですか?」
「よくあることですので。少し休んでまいります」
魔術談義の時間は惜しいが、ユージェニーは無理せず少し休むことにした。せっかく楽しく話していたのに勿体ないし相手にも申し訳ないと思うが、無理はしないことにしている。男性がエスコートしてくれようとするのを断り、ゆっくりとした歩調で会場の外へ向かった。
(今日の主役は私だけど、少しくらい席を外したって問題ないわ。ご挨拶は終えたし、私の事情は皆様ご存じだし。静かなところで少し座って休もう。少し長くお話をしすぎたかしら……)
ユージェニー一人がいなくてもパーティは続くし、何かあれば頼れる兄たちが何とかしてくれる。ありがたく当てにさせてもらうことにしてユージェニーは伯爵家の私的な場所へ引っ込もうとした――のだが。
どくん、と心臓が不吉に大きく鳴った。ぶわりと汗が湧き出てくる。めまいはさらにひどくなり、壁にすがらないと足元を失ってしまいそうだ。
(目まいに、動悸に、発汗……まずい……)
ユージェニーの中で「まずい」の基準は、他者に具合の悪さを隠し通せるかどうかだ。もちろん家族はユージェニーのちょっとした異変にも目ざとく気づいてくれるのだが、この会場は薄暗いし、少しくらいの具合の悪さなら慣れで隠しきってしまえる。だが……今回は、無理そうだ。
ユージェニーは座り込み、壁にすがるようにして浅い呼吸を繰り返した。あのまま立っていたら頭から倒れてしまいそうだったので、先に姿勢を低くしておいたのだ。体は苦しいが、頭はまだ冷静だった。
異変に気付いた周囲の人々がおろおろしたりざわめいたりする気配を感じる。兄の誰かがすぐに駆けつけてくれるだろう。目立つ形になってしまって申し訳ないが、抱えていってもらおう。このパーティ中の回復は望めないだろうから。
(……少し、魔力を使いすぎたわ……。疲れや緊張もあるのだろうけれど、結構な量の魔力を一気に使ってしまったことが失敗だった……)
頭だけは冷静に、自分の現況を考察している。これは――魔力過多だ。使った分の魔力を補おうとした体が魔力の生成を過大にしてしまい、行き場を失った魔力が体の中で暴れている。体内の水の流れを狂わされて、汗だけでなく涙も滲んできてしまう。
ユージェニーは魔力過多をしばしば引き起こすので、経験上、この症状は短時間での回復が望めないとすぐに分かってしまった。
魔力を放出できればいいのだが、この状態で繊細な操作は無理だ。人のいない庭などであれば水として撒き散らしたりできるが、人の多いホールでそんなことをするわけにはいかない。ましてユージェニーは客ではなく主催者側なのだ。
(お兄様……お願い、早く来て……助けて……)