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ウィルの言葉にユージェニーはさらに首を傾げた。
「私が何を覚えていないって……? 綺麗という言葉に引っかかったのもどうして?」
問うと、ウィルは答えようとして少し思い直したようだった。
「まあまあいいじゃないか。覚えていないなら覚えていないということで」
煙に巻こうとするので、ユージェニーは目を眇めた。
「ウィルお兄様が聞かせてくださらないなら、他を当たろうかしら」
「うんうん、聞いてみたらいいんじゃないか? これは俺しか知らないことだが」
そう言ってのけるウィルは余裕の態度だ。上の兄も下の兄も知らないことらしい。
ユージェニーは少し考えた。他の兄たちに確かめてみてもいいが、そこまでするほどのことでもないかもしれない。ともかくも、目の前にウィルがいるのだから彼から聞けばいいことだ。
「ウィルお兄様に教えていただきたいわ……。教えてくださったらすごく感謝するのだけれど……」
ちらりと上目遣いで見上げると、ウィルが悶絶して胸を押さえた。
「ああ、ジェニー……! ずるい! 可愛い! あざとい! そんなふうに聞かれたら教えるしかないじゃないか……!」
「えっと……」
そんなふうに言われたユージェニーは苦笑いだ。相変わらずウィルは――というか他の兄二人も、父母も――ユージェニーに甘すぎる。こんなわざとらしい仕草で絆されてくれるなんて大丈夫だろうか。自分でやっておきながら何だが、心配だ。
妹に心配されているとはつゆ知らず、ウィルは拳を握った。宣言するように勢いよく言う。
「可愛いジェニーの頼みだから何でも教えてあげよう! ジェニーが覚えていないんだなと言ったことだが、ライルのことだ。ジェニーは昔、あいつに会ったことがある」
「えっ!?」
記憶のどこを探ってもそんな心当たりは無く、ユージェニーは思わず声を上げた。そうだろう、というようにウィルは頷く。
「昔のあいつは今と全然印象が違ったからな。青白かったし細かったし、見た目がひ弱すぎた。だが気骨はあったな。自分の魔力過多は自分で治すのだと言っていた。俺たちが友人同士になったのもその時だったな。……まあでも結局、あいつは病の後遺症で大変なことになったわけだが……いや、そんなに大変でもないのか? 見た目は健康そうだしな?」
そんなふうに首を傾げるウィルを横目に、ユージェニーは驚きに目を見開いていた。
(まさか、あの子がそうなの……!? 病院で出会って、魔力過多で体が弱いという共通点から仲良くなった、小さい男の子が……!?)
その子と語り合った内容は覚えている。つらさを紛らわせるために拠り所にしていたから。でも顔なんてまったく覚えていないし、確かに痩せて小さい子だとは思った覚えがある。今のライルとはまったく結びつかない。
そういえば、ちょうど薬を切らして苦しそうにしていたその子に、ユージェニーは自分の薬をこっそり分けてあげたことがあった。
その日の分の薬を飲んでいないのだと苦しそうにしていたことに驚いて理由を聞いたら、家の人に意地悪をされたのだという。ユージェニーは家族から大切にされていたので、まさかそんなことがあるなんて想像したことすらなくて驚いた。ただでさえ苦しいのに、間接的に家族からも苦しめられているのだと思ってたまらなくなった。自分の薬を抜いてでもその子を助けたかった。
平気そうに振舞ってみせたつもりだが、頭は朦朧としていたし、なんだか視界がかすんでいたし、その子の外見のことはあまり覚えていなかった。聴覚だけははっきりしていたから――死の間際でも、聴覚だけは最後まで残ると聞いたときは道理でと思ったものだ――、話の内容は覚えていたのだが。
そこまで考えて、はたと思い至る。
「待って、それでは……ライル様は私のことを覚えていたはずよね? どうして仰らなかったのかしら」
そこでウィルと友人になったというのなら、ユージェニーが妹であることも認識していたはずだ。ウィルとはその後も友人づきあいをしていたのだし、ユージェニーのこともさんざん聞かされていたはずだ。ウィルはユージェニーのことが絡むと別人のように細やかになるというようなことを確かライルが言っていた。
「そういえばあいつ、誘ってもうちに来なかったし……さてはジェニーのことを意識していたな!?」
「お兄様! 飛躍しすぎ!」
なんでもかんでも妹を持ち上げる方向に持って行かないでほしい。本人が止めるのもなかなかどうして気恥ずかしいし、感覚がおかしくなってしまう。一応ユージェニーはリックス家の中で一番の常識人を自任しているのだが。
「いや、絶対そうだ」
断言するウィルを宥めつつ、ユージェニーはウィルの言葉について考える。もちろん直前の言葉ではなく、後遺症で大変なことになったのか、それとも意外とそうでもないのか、そのことについてだ。
(確かに、見た目はすごく健康そうでいらっしゃるのよね……)
魔力の生成器官は損なわれたが、言ってしまえばそれだけだ。本人は問題なく生活しているようだし、全然気にしていないように見える。後遺症が子を持つことを妨げるものではないとも言っていた。そのような噂を流したのがライル本人なのか、噂を助長したのか、否定しなかっただけなのか、そのあたりは分からないが……。
(……? もう一つ分からないことがあるわ)
なぜ今になってライルは、自分に都合のいい噂を否定することをしたのだろうか。彼は噂を逆に利用して煩わしいことを遠ざけていたが、メアリーとの会話でその切り札をあっさりと切ってくれた。それで叔母は満足してくれて話が早く終わったが、それと引き換えにしていいような軽い情報ではないはずなのだが。
(なんだか……目的を達したというような印象を受けるのだけど……)
まるで、ユージェニーとの婚約が成ったから用は済んだとばかりの扱いなのだ。
(……考えすぎ! お兄様たちに褒められすぎて自意識過剰になっているわ、注意しないと!)
家族はユージェニーのことを際限なく褒めてくれるので、自分で自分をなるべく客観視しなければならない。そうでないと、うっかり勘違いしてしまいそうだ――
――ライルが自分のことを好きなのかもしれない、などと。
(だから、考えすぎ!)
ユージェニーは頭を振った。だが、どうしても思い出されてしまう。時折彼の瞳の奥に感じる熱を。
(自意識過剰!? それとも……私の潜在的な願望……!? )
「……一度ライル様とお話した方がよさそうだわ……」
ユージェニーは疲れた気分で呟いた。仮定の話に振り回されていても埒が明かない。
(それにしても……あの少年は無事に成人できたのね。本当によかった……!)
魔力過多の男児は女児よりも育ちにくい。女児であったユージェニーでさえつらかったものを、男児としてライルが乗り越えたのは本当にすごいことだと思う。病の後遺症とはいえ、結果的に魔力過多から解放されているのだ。
(…………?)
ユージェニーは引っかかりに少し唸った。
(病ってどういうものだったの? 後遺症がそんなに都合よく残るなんてことはあるの……?)




