白百合
「なんだ、これは……?」
ローゼンハイン侯爵から届いた手紙に俺は困惑していた。そこには『娘を貴殿へ嫁がせたい。今から向かわせるので、詳細は娘から聞いてくれ』と書かれていたのだ。
ローゼンハイン侯爵のご息女といえば、大層麗しい上に才気煥発。侯爵が掌中の珠の如く愛でていると聞く。それに、ベルンハルク国の王太子と婚約していたはずだ。それがなぜ俺へ嫁ぐという話になるのか、皆目分からない。
実は何かの暗号なのかと思って手紙を矯めつ眇めつ調べたが、特に不審な所はなかった。
出迎えに向かわせた騎士に連れられて現れたクリスティーネ嬢は、評判通りの美女だった。透き通るような白い肌。腰まで届く真っ直ぐな銀髪は艶々と輝き、華奢な身体によく似合っている。白百合のようだと思った。
何よりも、あの眼。こちらをじっと見つめる琥珀色の澄んだ瞳に、吸い込まれそうな気分になる。
彼女は淡々と経緯を語った。
とある令嬢へ惚れ込んだ王太子殿下に婚約を破棄されたこと、あらぬ罪を着せられ国外追放となったこと。そして、それが全て侯爵閣下の策であることも。
詳細を手紙に書かなかったのは、それが政敵の手に渡ることを懸念したからだろう。クリスティーネ嬢の明瞭かつ順序立てた説明はとても分かり易く、彼女の優秀さを物語っていた。
「事情は理解しました。御父上とは、盟約を結んだ仲でもあります。貴方を当家でお預かりしましょう。なにぶん田舎ですからご不自由な所も多々あるでしょうが、貴方が快適にお過ごしになられるよう努めます」
我が領地はベルンハルク国との国境付近にある。国境にある水源を巡り、かの国の地方領主とは度々トラブルが発生していた。こちらからの抗議をのらりくらりと躱す王家の代わりに、調停を行ったのがローゼンハイン侯爵だった。
その際、我が王の命で密かに侯爵と盟約を結んだのだ。あの王家よりよっぽど信頼できる相手だと、主君も判断したらしい。
「ありがとうございます。ですが、私は貴方様の妻となる身。過剰なお気遣いは無用でございます」
「いや、しかしそれは」
そんな旨い話があるわけはないと思った。俺にとっては有難い話だが、ローゼンハイン侯爵側にはこの縁談に何ら利がないはずだ。
だが彼女はその疑問も予測済みだったらしい。
「いずれ、王家は立ち行かなくなる。王太子が私を呼び寄せようとするのではないかと、父は懸念しております。私もそれには同感ですわ」
「なるほど。それでは白い結婚ということですね」
もし王太子が再度彼女を妃にしようとしても、既婚者であれば応じることは出来ない。
とはいえ侯爵は、こんな年の離れた田舎領主に本気で娘をやるつもりはないだろう。事が落ち着けば離縁を申し立て、しかるべき所に嫁がせる。閣下の意図はそんなところか。
「いいえ。父はヴァルツェル辺境伯であれば、私を嫁がせるに相応しいと申しております。それを聞いて、私も覚悟を持ってこちらへ来ました。突然の勝手な申し出であることは分かっております。辺境伯様にはご不満もおありでしょうが、どうかこの縁談、お受け頂けないでしょうか」
熱っぽい目でそう訴えるクリスティーネ嬢。何度も確認したが、白い結婚でなく本当に俺へ嫁ぎたいと答える。
こちらが否であろうはずもない。
俺は主君の許しを得て、彼女を娶った。
「本当にいいのか?俺でなくとも、君ならいくらでも良い嫁ぎ先があるだろうに」
「私は貴方様が良いのです」
初夜を迎える前にもう一度問うた俺に、クリスティーネはそう答えて嬉しそうに微笑んだ。それを聞いた俺が獣になってしまったのは言うまでもない。
「農作物の取引量が先月より目に見えて増えているな。君の言うとおり、街道を整備させて正解だった」
「ここへ来る間、悪路の多いことが気になりましたの。お役に立てて良かったですわ」
辺境伯夫人となったクリスティーネは、領地経営を手伝うようになった。主に指導したのは家令だが、彼もクリスティーネの呑み込みの早さに驚いていた。
あのままつつがなく王太子と結婚していれば、素晴らしい王妃になったであろうに。
「どうかしました?」
俺の視線に気づいたクリスティーネが、首を傾げる。
「良い妻を貰ったと思ってね」
「まあ……嬉しいですわ」
彼女は恥じらいながら赤くなった頬を押さえた。今日も、俺の妻は愛らしい。