2 森の中―木登り―樹上で―ツタ
アナは掴んでいたカバンをリアに手渡す。そして自分の肩から掛けているカバンの中身を確認した。
大切な丸瓶や水筒、ほんの少しの藁半紙、革で巻いた木炭等、何も失ってないことに安堵する。ナイフをなくしたのは少し惜しかったが、リアのカバンにはまだあるはずなので問題ない。
ただ、外套や靴は取られてしまった。ここはとても暑いので防寒着は必要なかったが、どちらも故郷から着てきたものなので愛着があった。
特に外套には自分でつけた刺繍が縁取られていてお気に入りだったのに。まぁ、とにかく身軽な格好にはなった。けれど足下は心許ない。
「一応足は守っておきたいよね、何か靴の代わりになるものは……葉っぱでも巻きつけとく?」
アナは近くの大きなうちわのような葉を散切ろうとする。けれどアナの背丈ほどある葉っぱは茎もしっかりしていてなかなか取れない。
「何これ、葉っぱだよね、こんなに力みなぎる葉っぱはじめて!私達が住んでた森と全く違うよね、何だか面白くない?…ウゥー!散切れないなぁーリア、ナイフ貸して」
「うん」
「ほら、もうそんな顔しない!この森だってどんな猛獣がすんでるか分からないでしょう。これから先の事に集中しなくちゃ」
リアからナイフを受け取り葉の茎を切断すると、地面に座る。足の裏の泥をはらうと、多少かすり傷がついていた。
「こんなにでかくて細長い葉っぱ見たこと無い」
リアも横にしゃがみこみ、足の周りを葉っぱで覆っていく。この森の草葉の生命力の溢れように愕然とする。長年故郷では森の中で暮らしていたが、あり様が違いすぎる。
「本当に。こんなにぶっとい木切れると思う?」
アナも頷く。苦笑しながら背後の巨木をコツコツとたたく。幹のまわりは数メートルもあり、どうどうとそびえ立っている。
「倒れるところが想像できない」
リアも失笑の声がもれた。
「さて、どうしようか」
アナが立ち上がり上を見上げる。大きな葉が木漏れ日を受けて美しい模様をつくっている。舟上の遮るものが何もない開けた大きな河とは違い、ひんやりした空気につつまれている。とはいっても蒸し暑い気候で体力が奪われていく。
「喉がかわいたな、水を飲みたい!――川まで戻ろうか」
アナが眉を下げてクックッと笑う。
「い、嫌だよ、まだあの人達がいるかもしれないし、危険だよ」
リアが眉を顰めて後ずさる。
「そうよねー、また見つかったら面倒だし。そもそも戻り方も分からないしなー」
アナは生い茂る葉を見上げながらくるっと辺りを見回す。四方八方緑に囲まれていて、夢中で走っていてどこへ来たのかわからなくなっていた。
けれどかなりの距離を走ったので川からは相当離れた森の奥だろうと思った。
「僕も、すごく水が欲しい」
リアも動悸が落ち着いてきて、一気に体のだるさと喉の渇きを感じ始めた。唾を飲み込もうとするも、口の中が乾燥していて気を紛らわす事も出来ない。
アナは再び上を見上げて、木々の間から漏れる眩しく鋭い光は雨が降る気配などみじんも感じさせてくれなかった。
「じゃあ、一回木の上にでも上ってみる?周りの状況が見れるし、もしかしたら何か実がなっているかもしれないし」
アナは図太い木の根元をつかむ。木の幹は太くて硬く、まるで生きているかのようにくねくねと曲がって上へのびている。
「えぇ……木の頂点が見えないし、こんなにでかい木登れるかな?」
リアも巨木を見上げ、その余りのでかさに気後れする。走りつづけて疲労困憊している体で上りきれる自信は全くなかった。しかし、アナはリアに振り向かず、大きな木に足をかけ登りはじめる。
「ア、アナ」
リアが落ちないかと心配している間に、アナは器用に足場を探して軽々と上へ進んでいく。そしてあっという間に数メートルも登って下から見上げて小さくなってしまった。
置いていかれたリアは慌てて周囲を見回す。周囲に広がる緑の植物達はリアの小さな体をつつんで守ってくれるようでありながら、圧迫を受ける。
長身の木々が覆い重なり、薄暗くて遠くははっきりと見えない。その陰に獣が潜んでいるのではないかと想像すると、恐怖で体がすくんだ。
思わず後ずさると背中が木につき、肩が震えて、悲鳴を漏らしそうになった。目をぎゅっとつむる。このまま一人で取り残されるくらいなら木を登るほうがましだ。
「ま、まって」
リアも仕方なくアナを追いかけて必死に木を登りはじめた。
アナは緑の中を抜けて、木のてっぺんへ到達した。日差しが直に当たり、遠くを見渡せる。
「うわぁー」
思わず声をもらしてしまうほど、辺り一面に緑のじゅうたんが広がっていた。アナは言葉にならない感動に瞳を輝かせる。
今登ってきた木はここらでもかなり大きかったらしく、遠くまで見晴らしがよかった。緑の木々が延々と頭を出していて、踊りだしたい気分になった。
「はぁ、はぁ」
後れて、リアも頂上まで辿り着いた。全身から汗が吹き出てフラフラと頼りなく倒れそうだ。
「リア、見て、この景色!」
アナは膝をついていたリアの手を引っ張ってジャンプする。アナのような元気はないが、うっすらと目を開き、眼前に広がる吹き渡る緑の景色を見ると、リアを思わず疲れを忘れて息をのんだ。
アナとリアは2人手をつないで木の上に立ち、どこまでも広がる雄大な森を眺めた。蒸し暑さもこの森から立ち上っているかのようで生命力を感じて不快さも感慨深いものに変わるのだった。バサバサと羽音が聞こえる。
「わぁ、びっくりしたー姿は見えなかったな、でもこの森で初めて動物の気配を感じられたね」
アナが音に反応して目を向けたときにはすでに姿を消していたが、生物の動きを確認できてほっとする。
「あれ、あそこにいるのも動物じゃないかな…木の枝をつたってる」
リアが目を凝らして離れた距離の木々の隙間から垣間見える動きを捉えた。遠くの下方でよく見えないが、鳥ではなくて手が長い茶色い毛を生やした動物だ。
「え、どれどれ、どこにいるの?――うーん、よく見えないな」
アナもリアの指差した所を見るが見つけられない。
「あ、どこかへ離れていっちゃったみたい」
「えー、残念。見たかったな。――ところで、なかなか果物は見あたらないよね、登ってくる途中も見なかったし。リアはなにか見つけた?」
アナは木の枝に座って足をブラブラさせる。
「えっと、見てないな」
リアは登ってくる最中、周りをみる余裕なんてなかったのだが。今も高い場所にいる恐怖で落ちないようにしっかりと太い木の枝を掴んでいる。登っているときに下を見ていなくて本当に良かったと思う。
さっきは絶景で怖さを忘れたが、こんなに高い所までくるとは思っていなかった。今までの木登りの比にならない高さまで登っている。途中で下をみてしまっていたらきっとパニックになって滑り落ちて死んでいただろうから。
アナとリアは四方八方を探察する。森にはうっすらと白いベールがかかり、上空には断雲が散らばっていた。
「遠くまで見通しにくいけど…あそこの木々が薄いところって川が流れてるんじゃない?」
アナが再び木の上に立ち上がり片手で枝を持ちつつ身を乗り出しつつそう言った。
「果物、なかなか見つからないし、やっぱり川まで戻った方がいいかもしれないね」
くるっと枝を軸にしてアナが回転し、振動で木の端が揺れて葉っぱが震えた。リアは転落しやしないかと冷や冷やして見ている。
「危ないよ、アナ」
「まぁね、たしかに悪人達はまだいる可能性があるし、もう遭いたくないけど―水分を得ないと干からびて死んじゃうし…それにここからまぁまぁ距離があるから…そうだ!明日、川に行かない?」
名案を思いついたというようにアナは笑って左手を空へ向けた。正直我慢できないくらい喉を突くようなひどい乾きが襲っていたが、昼過ぎの太陽が少し傾いている時間からあと5時間もすれば夕暮れ時がきて辺りは闇に覆われるだろうし、慣れない土地で闇夜に歩き回るのはリスクが高すぎる。あと1日くらいはなんとか我慢できるとアナは思った。
「――……うん」
リアも今までに無いくらい複雑な表情で頷いた。彼もまた水に飢えているのだろうが、アナと同じように考えを巡らせたに違いなかった。
「じゃあ決まり!それで今日の寝床だけど、とりあえず木から降りない?ここで過ごすのも安全かと思ったけど、日差しに当たりすぎるし」
アナは眩しい太陽光に目を細める。理由は他にも少しでも川へ近付いておきたいことや不安定な木の上では火を点けられないこともあった。アナは下を覗き込む。緑が折り重なって遙か遠くに地面が隠れていた。
「それじゃあ、お先!」
アナは近くの幹に巻きついたツタをくいくいと引っ張って強度を確かめるとそれにつたって急降下していった。
「ヒャッホーーーー!!」
暑苦しさや汗が風で冷やされる。アナは全身に風を感じて髪をなびかせ今日一楽しそうな歓声を響かせた。