1 2人の冒険-船―脱出―飴玉
ジャングルの中で2人の子どもが颯爽とかけている。木々の間をくぐり抜け、素早く身軽に葉や石をよけていくのは見ていて気持ちが良い。
しかし、穏やかな木漏れ日に目もくれず、2人は顔を強ばらせて鞄をぎゅっと握りしめて怯えるように一目散に走っていた。10秒ほど走った所で
「ま…まって……」
体力がつきてぬかるんだ土に足を取られ、走っていた一人がバランスを崩した。一気に走る速度が落ちる。
前を走るもう一人は振り向き、一瞬立ち止まって目を見開くと慌てたように彼に駆け寄っていった。転びそうによろけた体を急いで支える。
「はぁ、はぁ……大丈夫、リア」
息を整え、彼を支えた彼女は辺りを見回す。白い肌に紅潮した頬、ぱちりと見据えた目は大きく強い輝きを放ち、気の強さを表す。少女の名前はアナ、心配そうにリアを覗きこんだ。
リアは青ざめた顔で、まるでいつもの何倍もの重力に体が押し潰されるように感じていた。
駆ける足音が止まった今、木の葉を踏みしめる音も止まり、一転ジャングルは静けさに包まれる。リアに寄り添いながら、アナは上空を見上げた。
背の高い木々がそびえ立ち、小柄なアナ達を威嚇するように囲んでいて、アナは身を固くする。気味の悪い静けさだ…生まれて初めてこんなに異様な場所に来た。アナ達が住んでいた世界とまるで違っている。
暑さで体がずっとだるく、不気味な悪寒に心臓がヒヤリとする。暑さからなのか冷や汗なのか、アナは湧き出して止まらない気持ちの悪い汗を拭った。
「ごめん、アナ…」
アナに寄りかかったリアは申し訳なさそうに膝に手をついてなんとか体を支えようとしているが、今にも倒れそうだ。足を踏ん張ろうとしても疲労と脱水症状で力が入らないようだ。
リアもアナも熱帯に珍しく真っ白な肌で金髪をしていた。けれど2人とも髪も体も服も土で汚れてくすんでいた。体が熱いような寒いような、力が抜けていく。視界は揺らいで頭は熱くジンジンとした痛みが響く。
「もうアイツは追ってきてないみたい。ちょっと走りすぎたね、少し休もう」
自身も重い体のままアナはリアの腕を肩に回して近くの大木に引きずってゆく。半分目を閉じかけたリアの体がどんどん重くなっていくように感じる。彼らが森に入って2日近く経過していた。
アナとリアは大きな木の根本で身を寄せ合って座り込む。リアは目を閉じて意識が朦朧としているようだ。
アナも慣れない暑さと走った後の喉の渇きで胸が苦しかった。このまま意識が途切れてしまえば楽なのだろうが、この大自然の中、どこから猛獣が襲ってくるかも分からない。
脈打つ心臓はアナの意識を覚醒させ続けた。どうしたら生き延びられるだろうかーアナは再び辺りを見回して深呼吸をした。
1日前、アナとリアは港町の船着き場に着船した。船といっても雨ざらしの細長い小型船で人や荷物でギュウギュウ詰めになり今にも沈みそうなグラグラした船だった。
アナとリアは両手を縛られ、船の後方に座っていた。船の中は同じ年頃の少年少女達で押し合うほど狭苦しかった。
「リア、縄はなんとか切れたよ、リアもこれを使って、次に陸地に着いた時に逃げよう。」
アナは大人達に聞こえないように小声で後ろのリアに話しかける。身動きがとれないので体は前に向けたまま、こっそりと隠し持っていたナイフをリアに渡す。顔は見えないがリアの驚いた息づかいが聞こえた。
「逃げるって…あの人達に捕まらないかな……それにカバンがとられたままでどこにあるか分からない、アレがないと逃げ切れないよ。」
リアが震えた声でささやく。船頭で舵を取る男達を見る。つい数時間前、彼等に捕まってどこへ行くか分からない船に乗せられてしまった。持ち物は取り上げられ、体のでかい男達に抵抗することも出来ず両手を縛られて先に乗っていた少年達と繋がれてしまった。
強引に縛り上げられた痛みを思い出して手が震えたが、なんとかリアも縄を切ることができた。
「カバンはあの荷物が集まっている所にある。2つともまとまって置いてあるから下りるときに掴んで逃げれば大丈夫。」
アナはカバンを取られた時に男達が持ち去っていくのをしっかりと見ていた。そして捕まる時も直前でこっそりとナイフを服の下に隠していた。
よくバレなかったものだと自分で感心していた。運が味方している、そう思いアナは逃走の成功を確信していた。
強い日差しが水面を照りつけてキラキラと水面が反射する。濁った水をオールで漕いで小舟はゆっくりと流れの穏やかな河に沿って運行する。
その上でアナは陸地に着くときを待ちわびていた。1時間が経過して、左岸に森が切り開かれた町が見えた。川岸には船着き場があり、3つの小型船が紐でくくりつけられていた。
アナ達を乗せた舟はそこへ近づいていく。舟は穏やかに桟橋の前について止まった。男達が大声で何かを言いながら積み荷を下ろしていく。
アナとリアの知らない言語なので、2人は何を言っているのかさっぱり分からなかった。しかし、桟橋で舟の到着を待っている人が複数人いて、荷物も置いてあるのを見ると、貿易というものをしているのだろうと、アナは故郷で出会った旅人の話を思い出した。
彼は物々交換をして生計を立てて旅費にしていると話した。そしてアナ達の村に泊まった時に代価として砂糖を渡していった。他にも旅の愉快な話をアナ達に語ってくれた。
今、アナやリア、縄で数珠繋ぎにされている人達は積み荷と同じく売り物になるのだろうと察した。
「リア、逃げるよ」
売り物にされるなら尚更早くこの舟から抜け出さなくてはならない。売られた後にどうなるのか何も知らないし、どこに連れて行かれるかも分からない。
それにお金を払った後は監視が強くなって逃げにくくなるかもしれない。周囲の沈んだ覇気の無い様子を見るに、売られた先にろくな未来はないだろうと思った。
「身動きがとれないのにどうやって、この人達を押しのけている間に見つかって捕まっちゃうよ!」
「それでもこのままここにいたら悪い未来しかない、行こう」
「強行突破なんて無理だよ」
リアは俯いてカタカタと震えている。
「見て、前にいた人達がおろされていってる。私達も縄でつながれたままのふりをして舟から下りる時に一気にあの森の中へ逃げ込もう」
一人、また一人と下りる度に人の列は少しづつだが間隔がゆるまって前へ進んでいく。もう前半分の人が舟から下ろされた。アナの心臓も前の人が減ってゆくにつれてバクバクと高鳴る。
この音が大人達に聞こえてバレてしまうのではないか、緊張した顔が男達に見られないようにこっそりと身をかがめた。もう前にいるのは10人程になった。アナの前に座っていた子が前につられて立ち上がる。
その隙にアナは自分達のカバンへ手を延ばした。素早く掴んで引き寄せる。アナは男達が目をそらしているのも見ながらバレないように注意した。けれど、カバンを引いた勢いで小箱が川へ落下して音が鳴った。
「走って、リア!」
男達の視線が集まる。その前にアナはカバンを持って走りだした。一つは肩に掛け、もう一つはしっかりと握りしめる。アナが舟を蹴ると船体が大きく揺れた。人を避けて桟橋に乗り移る。
男達が大声で喚き脱走者を捕まえようと動き出した。アナを捕まえようと前にのびてきた手を俊敏にかがんで避ける。その低い姿勢のまま桟橋のへりをけって横の水上に飛び出した。
そして停まっていた空船に身軽にに着地した。リアは無事に群集を抜けれただろうか、アナは後ろを振り返る。リアもアナが通過した後につづいていた。しかし、アナの立っている舟に飛ぼうとした所で左手をつかまれた
「リア!」
リアは前に跳ぼうとした体を引き戻されて、思わず息がつまる。
「うっ」
アナはカバンから丸瓶を取り出し中から赤と黄色の飴玉のようなものをつまんで口の中へ放り、噛み砕いた。カバンを取り返せたのは幸いだった。この力を使ってリアを助ける。
リアは体制を崩され、必死に体をひねって男に振り向くと勢いのまま右肩にナイフを突き刺した。ナイフは柄まで深々と刺さり、血が流れた。
男は大声で呻いてナイフを抜こうとする。リアへの注意が逸れた。
リアは手を振り払って半身後ろ向きのまま桟橋を蹴った。不安定な状態のまま飛び出したので川に落ちそうになったが手を伸ばした先をアナが舟から大きく体をのりだしてリアの体を支える。
なんとかリアも同じ舟に乗り移る事が出来た。アナが常人でとても耐えきれない重さを支えられたのは飴玉の力だった。男達が怒号をあげて追いかけようとする。
アナはリアの口にも黄色の飴玉を入れて、2人は舟をつたって森へ入った。後ろで2人のように舟へ飛び乗ろうとして水に落ちた音がした。
2人は森の中をめちゃくちゃに走って男達をまくことに成功した。かなり川から離れた所でアナが走るのを止めた。
「はぁ、もう大丈夫でしょう。やったねリア、逃げ出せた!!」
アドレナリンがでて暑さも恐怖も興奮へ変換されている。達成感からアナは跳ねて、リアの手をとった。
「はぁ、はぁ…うん、怖かった……」
リアは力なく顔を歪める。
「僕、無我夢中で、…人を……刺しちゃった…痛かったよね、どうしよう」
リアの心は罪悪感にさいなまれ、ナイフを刺した手の感触がいまだに残っていた。リアの暗い顔にアナも冷静になっていく。
「そんなの気にする必要ないよ、あの状況じゃ仕方なかったし、むしろ最善の判断だったんじゃない。それにリアは甘いよ、私なら絶対に逃げられるように首を切って殺してた。自分の身を守る為なら容赦なんてしてられないでしょ。」
アナが優しく肩をなでてもリアは俯いたままだった。
「あんなのかすり傷でどうってことないでしょ。それにあいつらのやってたことこそ悪徳よ、あんなことが行われてるなんて知らなかった。」
「どういうこと」
「あいつらは人間を物のように売買してお金を稼いでるのよ。あんな風に人を縛って…。逃げ出すのに失敗していたらきっと非道いことになってた。もしかしたら死んでいたかもしれない。あの悪魔が!あいつらは人じゃない」
アナが悪態をつく。
「それじゃあ、あそこにいた人達は…僕達は見捨ててきた…」
「分からない。でも、苦しむでしょうね」
自分達が生きていくのに見知らぬ人を助ける余裕はない。だからアナは今まで考えないようにしていた。けれど、彼等の惨憺な未来を想像すると、自分の冷酷さへのふんぎりを完全につけることはできなかった。