生け贄の少女と、人道的救出
「こっちね」
「アメリ子は、鼻がよいのじゃな」
「良い香りには敏感よ、ヒメノ」
ねっとりとした微笑みをヒメノに向けるアメリコ。
「お、おぅ……」
一歩下がってヒメノはついてゆく。アメリコはプラチナブロンドの髪を歩きながら束ねた。
やがて森へと二人は足を踏みいれた。人の往来を感じさせる小道が、森の奥へと続いている。
「向こうから熟れた果実の匂いがする」
「うむ、確かにのぅ」
香りが森の奥から運ばれてくる。森の中は意外に明るく、足元も乾いている。
鳥なのか何かの動物か、時おり生き物の気配がして、鳴き声があちこちから聞こえてきた。
食料が見つからなければ最悪、小動物を捕らえて食べる狩猟生活の始まりだ。
どんどんと森の奥へと進む。振り返ると草原が木々にかくれて見えなくなっていた。
やがて小道の奥が開け、明るい広場のような場所に出た。
「ここ、人の手が入っているわ」
直径は五十メートルぐらいだろうか。ぼっかりと広場に光が差していた。森の木々が伐り倒されて出来た場所のようだ。
「近くに人間がいるのじゃな!」
切り株がそこかしこにあり、森の木々を伐り倒した丸太が積まれていた。人間が開墾している場所に思えた。
思わず二人で顔を見合わせて頷く。これで少しは希望が見えてきた。
「アメリコ、あれは何じゃ?」
「オブジェ……?」
広場の中央部に何か構造物があった。細い木の枝を組み合わせたやぐらと簡素な祭壇にみえた。赤い布で出来た旗のようなものが、やぐらの天辺で揺れている。
慎重に近づいてみると、やぐらの周囲には熟れて腐りかけた果物が、山のように積まれていた。
「……匂いの原因はこれだったのね」
「まて、人間じゃ!」
祭壇の上にも果物が積まれて、埋もれるように人が横たわっていた。手足を縛られ、眠っているのかまったく動かない。
「ヘイ! ユー! オケー!?」
アメリコが駆け寄り揺さぶる。かすかに目蓋が動いた。生きてはいる。薬かなにかで眠らされているのだろう。
痛々しく結ばれた荒縄が、この祭壇に乗せられた子供が供物、つまりは「生け贄」であることを物語っていた。
「この子まさか、生け贄……かの」
年のころは十歳ぐらいだろうか。うっすらと日焼けしたような肌に、青っぽい髪。髪は肩まであり体つきからしても少女だろうか。細い身体には綿織物のような質感の、白い寝巻きのような服を纏っている。
「助けましょ!」
「待つのじゃアメリ子、どんな事情か、まずは調べてからでないと……」
「フアッ!? 何をいっているのヒメノ! この子は助けを必要としているわ。人道的に見過ごせない。こんな風に子供を縛り付け、自由を奪っていることは犯罪よ!」
「それはお主の国の法じゃろう、いまいるこの世界ではこれがどういう事か、わからんぞな」
「――――ヒメノ!」
アメリコの表情が険しいものに変わる。憤り、激しく睨み付ける。
「一方的な価値観で良し悪しを判断するのは少々待て、というておるだけじゃ」
ヒメノの言っていることがまるで理解できない。
自由を奪われた子供を助けることに何の理由が、躊躇いがいるのだろうか。
どんな事情があるにせよ、明らかに危険にさらされている。魔物がうろつく世界での拘束など、命が危ないのだ。
「……とにかく! 手足の縄を解くわ。ヒメノ、手伝って」
「そうじゃな。話はそれからでも……」
森が揺れた。
強風が吹き抜け、小鳥や蝙蝠のような生き物たちが一斉に飛び上がった。それは森の奥から響くすさまじい咆哮だった。
アメリコとヒメノがハッとして周囲に視線を巡らせる。巨大な影が森の奥から姿を現した。それはマウンテンゴリラを縦に伸ばしたような、巨大な体躯の怪物だった。一匹だけだが身長は三メートル近くある。
全身が妙に生々しい肌色で、顔は醜い。歪んだ人間とブタの醜悪な混合体のようだった。
口からは汚ならしい涎が、ボロ布で隠した下半身からは謎の液体が滴っている。
『ギブブブァアアア……! メスノォオオオ! 準備ハァアアア! 出来デラガァアアアア……!』
人語まじりの咆哮に戦慄する。
欲望に滾りまくった豚顔の怪物は、ファンタジー世界ではお馴染みのオークに似ていた。簡単な人語を理解し、人間の女を攫う。おぞましいモンスターに。
ブギィイ! と豚のように叫ぶや否や接近してきた。森の暗がりの向こうにも何匹かの影が見えた。小型のオーク、仲間だろうか。広場に出現した巨大な怪物よりはずっと小さい。そちらは動く気配もなく怯えた様子でこちらの様子を窺っている。
『イヂジィイ! ニィ……サァアアアン! メスゥウウ! 嫁ェエエ、エェエンドォオ、フレッシュミィイイイイイトォオオ!』
大口を開けながら目を血走らせ、迫る怪物。
呆気にとられていたアメリコとヒメノは、同時に我に返った。
「前言撤回、アレは……ダメなやつじゃ」
「同感。あたしたち女と子供の……敵よ!」
アメリコの精神的興奮と闘争心に呼応して、突き出した右手に光が集まり、黒い銃器が出現した。
ずしりと重く冷たいスチールの手応えを確かめる。
「コルトM1911ガバメント・モデル(※官給型)!」
アメリカ合衆国を代表する銃器メーカーコルト社の銃。百年以上作られ続けた伝統と信頼、アメリカの魂を具現化した武器は文化といってもいい。
装弾数はシングル・マガジン、計8発。
『ブギィイイ! イッタダキギイイマァア――』
重い金属的な炸裂音が二発。同時に巨大なオークの左肩と右太股から赤黒い飛沫が散る。
オークが顔を歪め絶叫。進撃の速度を緩め、よろめきつつも突っ込んでくる。
「この銃の阻止力、ストンピング・パワーでもダメなんて……!」
「アメリ子、避けるのじゃ!」
地面に落下する薬莢を残し、アメリコとヒメノは左右に散開しオークの突進を避けた。
「ショット!」
振り向き様に弾丸を二発叩き込む。
至近距離からの射撃で頭部を狙うつもりだったが、相手が大きすぎて射角が確保できない。弾丸は腕と脇腹に命中、赤い穴を穿つ。
『ギビァ!?』
45ACP、45口径の弾丸は前回召喚したグレッグの38口径よりも格段に威力が大きい。撃った瞬間にガツンとした衝撃もある。にもかかわらず致命傷には至らない。巨大なグリズリーよりも質が悪い。
オークが地面を蹴った。土煙と砂礫がアメリコの視界をわずかに奪う。
「くっ! しまっ……!」
『ォオ嫁ェエエエ、サンバァアアアッ!』
豚顔の怪物がアメリコにつかみかかろうと肉薄する。
その時だった。一陣の風が怪物とアメリコの間に割り込んだ。
「刀剣、召喚……!」
白い巫女衣装が舞い、銀色の輝きが三日月描いた。
『ブッギブギャァアアアア……!?』
オークの肘から先の腕が宙を舞い、血飛沫が放物線を描き花開いた。
「ヒメノ!」
黒髪の乙女、巫女装束のヒメノの手には刃が握られていた。