オープンワールドの旅路と乙女のフレグランス
「ステータス、オープン! ええい、ならログアウト!」
「What? 何それ」
ヒメノの行動に、アメリコは怪訝な表情をうかべた。
何かを叫び何もない空間を指でつつく。やがてがっかりしたように肩を落とした。
「ここはもしかしてVRMMORPGの中かと思っての。ゲームか仮想空間かと期待したのじゃが……。残念ながら違うようじゃ」
黒髪の少女ヒメノの「日本らしい」発想だった。というか、彼女は日本そのもの……なのだが。
西暦2030年代、五感を量子神経コネクタ――非接触神経接続端子により、仮想空間にフルダイブする技術は確立されていた。
VRMMORPGなどのゲームは没入型仮想現実の代名詞だが、元々は軍事技術として研究開発されたもの。
最先端技術は常に米国と中国が、祖国の威信を掛けてしのぎを削っていた。技術はそこから民生品へと伝播し、医療、経済、各種の娯楽へと多用な場面で利用されてゆく。
アメリコも当然、ここが仮想現実という可能性には期待した。けれど世界を構成するオブジェクトの解像度が詳細すぎる。
土の匂いも、空を流れてゆく雲も、肌に触れる風の感触もリアル。現実としか思えない。2035年代の最先端VRMMORPGであっても、これほどまでにリアルで微細な表現は不可能だ。
「仮想現実でないことは確かね。自分の身体だけじゃない、足元の土や草、空気の感じも現実よ」
アメリコは足元から小花を一本手に取り、太陽に透かしてみた。花弁や葉の葉脈まである。雑草一本とっても違いは明白。ゲームのオブジェクトとして表現できるレベルではない。
「そうじゃのぅ」
ヒメノも肩を落としつつ同意する。
唯一、ゲームらしい部分といえばアメリコが銃器を、ヒメノが刀剣を「召喚」できた部分だが。
「襲ってきた怪物も本物だったわ。倒しても死体はそのまま、消えもしない。経験値もボーナスも入らないあたりもリアルね」
「ははは、確かにのぅ」
「この調子だと、死んだら即、終わりね」
「リアルガチのデスゲームなんてシャレにならんぞい」
「ま、チュートリアルは終いにしましょ」
「そうじゃの。ここでグダグダ考えていても埒があかん」
ヒメノが力無く微笑むと八重歯が見えた。日本人は歯並びが悪いというけれど、アニメやマンガではそれを「KAWAII」チャームポイントとして描く。
欠点をユニークな個性に変えてしまう。日本人はその点において天才だと思う。
「私、ユーを、あなたを知っているわ」
「奇遇じゃの。ワシもお主のことに詳しい」
みつめあう二人。
出逢ったばかりなのに昔から知っている。
遠い過去には戦い、やがて理解し合えた。
他の何処にも負けない絆があった……。曖昧な記憶と自分を形成するすべての意思。渾然一体となった総体意識がそう告げている。
不安だらけの状況下とはいえ、昔馴染みに出逢えたのは唯一の天恵。幸いに思えた。
「あ、そうだ。ユーのこと。ヒメノって呼んでいい?」
「そ、それは構わんが……」
照れ臭そうに視線を泳がせるヒメノ。日本人はどうも目を合わせるのが苦手らしい。
「Oh、サンキューねヒメノ」
「ならワシもおぬしのことを、アメリ子と呼ぼうかのぅ」
発音が同じだし親しみを込めてアメリ子と呼ぶ。ヒメノらしい発想。
「YES、アメリコ! そのままオーケーね」
「アメリ子、よろしくじゃ」
とりあえず何か話していないと不安に押し潰されそうだった。
二人は草原を進むことにした。
倒したゴブリンの死体を調べたが、ボロ布にこん棒ぐらしか身に付けていない。知能の低い怪物がこの世界の主人でないことを祈るばかりだ。
丘陵の向こうに森が見えたので、そこへ向かうことにした。まずは水と食料を確保したい。
現実問題として喉が渇いたし腹もすいてきた。それに、トイレもしたい。せめてゲームならこういう心配もいらないのに。
「それにしても、人が見当たらないわね。村とかないのかしら?」
背の高いアメリコが遠くを眺め、うんざりしたようすで呟いた。
「ここに来るまで怪物しか見とらん。最悪……魔物しかおらんとか、地獄のデスゲームすぎるぞい」
「あまり悪いほうに考えないようにしましょ」
周囲には人工物は見当たらない。
とりあえず一時間ほど進み、草原の向こうに広がる森を目指す。歩む方向は「こっちのほうが良さそう」というアメリコの勘に頼る。
「……こういうの何て言うんだっけ?」
「オープンワールド、というやつじゃな。何をしてもいい、自由に世界を歩けるゲームの総称じゃ」
オープンワールドにしてもクソゲーすぎる。
ほとんど放置系といえなくもない。
「うーん! 自由! フリーダム! いいじゃない、悪くないわ」
自由という単語に反応し、青い瞳を輝かせるアメリコ。ヒメノは思わず苦笑する。
「前向きじゃのー」
アメリコは前向きにこの状況さえも「自由ですばらしいこと」と考えているのだ。
「YES! 息苦しい制約はなし。自由に、好きなところにいける。目的も無し、何をしても自由! これこそがアメリカの建国精神そのものよ。昔おじいちゃんがいっていたわ。西部の開拓時代のことを。西に向かって進んでインディアンと仲良くなったって。ヒイヒいお爺ちゃんから聞いたわ。あれ? ヒイヒイヒイだったかしら……。そうだわ! ここを開拓して牛を飼うのはどうかしら?」
「牛がいればの話じゃがの……」
アメリコは意外にもよく喋る少女だった。
ヒメノは耳を傾けつつ、牛どころかミノタウロスでも出現しないかとヒヤヒヤしていた。
そもそも、ここは安全だとはいえない。怪物たちがまた襲撃してくるかもしれないのだ。せめて見通しのいい草原なら対処もしやすいが、森となれば危険も増すだろう。
未舗装の道がどこまでも続いている。すくなくとも人間か魔物が歩いた道だ。轍が無いところから察するに車両、あるいは馬車さえも通らない場所のようだ。
森が近づいてきた。手前を小川が流れていたので、駆け寄る。小川は浅く、澄んだ水が流れていた。
「ヒメノ、水だわ!」
「鉱物毒、病原菌に寄生虫。せめて煮沸せんと飲むわけには……って飲んでるし!?」
アメリコは川に顔を突っ込んで水を飲んでいた。ゴキュゴキュと喉を鳴らしている。顔をあげて、サムズアップ。
「んー! YESオーケー、ピュアウォーターね」
「お、おぅ。開拓民精神じゃの……」
「大丈夫、平気よ。それより水浴びしたいくらいね」
「流石に今は……遠慮しとくぞな」
ヒメノの汗ばんだ頬に黒髪が一筋、張り付いていた。切り揃えた黒髪から細いうなじが見えかくれする。ごくり、と生唾を飲み込むアメリコ。
「……ねぇ、一緒に水浴びしましょ。だって、シャワーもないのよ? お風呂とか入らないと臭くなるじゃない」
「ワシは安全な場所じゃないと風呂なぞ入る気にならん」
「平気よ、私が見ていてあげるから」
執拗に食い下がるアメリコ。目が怖い。
「あ……大丈夫じゃ、アメリ子は臭くない、水浴びとかいらんと思うぞな」
すっと目をそらすヒメノ。
ピンときた。これは日本人特有の言動の不一致というやつだと。ホンネとタテマエというやつだ。大丈夫の反対は、大丈夫じゃない。
つまり臭い?
「フアッ!? ミーのどこが」
憤慨しつつもアメリコは、腕を上げて自分の脇の臭いを嗅いだ。
「Oh……」
大丈夫じゃなかった。隣を歩くヒメノにまで汗の臭いが届いていたとは、ショックだ。
「ヒメノの匂いもチェックさせなさいよ!」
「なんでそうなる!? 嫌じゃ」
「いいからカモン!」
「ぎゃー!?」
腕を掴まえて有無をいわさず、ヒメノの脇に鼻先をつっこむアメリコ。
「すーっ、はぁーぁ♪ これはこれで……Oh」
「やめんかぁああ!」
「お願い、もう少し嗅がせて」
「嫌じゃ!」
アメリコの目が血走っていた。ヒメノは身の危険を感じ飛び退いて距離をとった。
「……匂うわ」
「どんな特殊性癖じゃ!?」
「違うのヒメノ、なにか……甘いフルーツみたいな匂いがする」
くんくん、とアメリコは鼻をすする。森から何か甘い、果物のような匂いがふわりと流れてきた。
「……ほんとじゃ。これは何かの果実? 花かの?」
「行ってみましょ、食べ物があるかも!」
次回、二人の運命の歯車が回り始める……!
続きが気になる方はブックマークをお願いします。
また★評価など頂けたら励みになります!
では、また読みに来てくださいね。