魔導師リュー・キンフェイの野望
◆◆
「……なんたることだ、ガテル・ナンディヌまでもが敗れるとは」
荒れ果てた王宮の広間に、忌々しげな声が響いた。
盲目にして全てを見通す「目」を持つ者――レドム・アイギス。毒キノコのように肥大した頭部の超感覚器官により、戦況を監視し続けていた。
だが――。
三人の隷属魔導師たちが殺害された。
「バカな、こんなことになろうとは……!」
剣術使いと魔導加速兵器を使う二人の女。
あれがリュー・キンフェイ様が申されていた敵。『イレギュラー』なのか。
刺突結界のラダマンディス、花弁結界のアフラ・マズダ。そして、最強の二重結界の使い手ガテル・ナンディヌ。三人は未熟で不安定なミヒラクラとは格が違う。いずれもが戦闘能力の高い猛者ぞろいだった。
王都の主力軍勢を蹴散らし、理想を阻むものたちをことごとく葬ってきた。
人々の汚れた肉体から魂を開放する。
それこそが究極の救済。
美しく清らかなる世界をつくるための布石。
私たち隷属魔導師はそのために存在する。リュー・キンフェイ様の美しき夢、ただひとつの理想の実現のために。
「……なのにッ! なんだ、このザマは……!」
ドウッ! キノコ頭が肥大し、無数の眼球がギョロ目を剥いた。
想定外。
イレギュラー。
この世界の理を破壊せし邪魔者。
神の福音たる「無敵結界」を破る者が現れた。
綻びはミヒラクラの敗北だった。そこから櫛の歯が欠けるように次々と、四人もの隷属魔導師が倒されたことになる。
「リュー・キンフェイ様の理想を……夢を……! 邪魔させてなるものか……!」
偉大なるリュー・キンフェイ魔導師の掲げる美しき理念。
夢、偉大なる理想を満願成就させるため、六人の隷属魔導師は存在した。
その覇道を邪魔するものは悪!
滅すべき敵。
なのに、イレギュラーが邪魔をする!
「うぐぉのれぁええ……!」
歯軋りをするキノコ頭の怒りに呼応し、聖都エスノセントゥリアの王宮が、崩れんばかりに揺れた。
美しかった王城は、いまや世界の中心として栄華を誇った輝きは失われ、静寂と死と、闇の眷属が巣食う魔城に成り果てている。
「落ち着きなさい、レドム・アイギス」
静かで爽やかな声が響いた。
青い貴族服を身に纏う、美しい青年が薄暗い大広間に姿をみせた。
痩身で優雅な身のこなし。
貴族のご子息、といった雰囲気を漂わせながら階段を降りてくる。
王宮の広間の更に上、城の最上階には「祈りの間」が存在する。そこにリュー・キンフェイ魔導師がいる。
「……テラコルタ・バリスタス。偉大なる同志さまに謁見をされたのか?」
キノコ頭の魔女が、頭部に開いた無数の眼球を一斉に向ける。嫉妬と羨望混じりの邪眼が蠢く。
「えぇ。リュー・キンフェイ様は、僕たちにすべて任せる……と申されました」
「そうですか」
圧倒的信頼を感じる。あぁすばらしきこと。
「今、偉大なる同志さまは、全身全霊にて祈りを捧げておられます。ゆえに動けません」
「わかっている。だから我らが手足となり働く」
「そうです。天界の扉を開き、理想郷をつくるために。そのための究極の祈りです。膨大な魔力と、集めた無数の魂がひとつの流れとなり、天界へと届くように……と」
陶酔したように胸に手を当てる青年。その表情に狂気がにじむ。
「美しき祈りの邪魔はさせぬ。イレギュラー……! 忌々しき二人に煽動された者たちがここへ向かっている」
「反乱軍のつもりでしょうか。でもちょうどいい。イレギュラーの魂を捧げよ、同志さまはおっしゃいました。それが天界への扉を開く最後の鍵だ、とも」
美しい青年が凶悪な笑みを浮かべる。
「なるほど。ならば我らでイレギュラーを討伐し、魂を供物として捧げるまで」
「頼もしい限りです、アイギス」
キノコ頭のレドム・アイギスと、貴族崩れのテラコルタがそれぞれの結界を展開。紫と緑の光が混じり合い、城の大広間を満たしてゆく。
雷鳴が轟き王宮が震える。
聖都エスノセントゥリアの上空には、暗黒の禍々しい雲が立ち込めた。紫色の雷光が無数に瞬き、悪魔の息吹のように不気味に渦を巻く。
そして――。
巨大な黒い円盤状の影が、城の壁を突き破り飛んだ。無数のギョロ目が動く。
城下に影を落とし、ゆっくりと飛翔する。
それは巨大円盤状結界を展開したレドム・アイギスだった。
『主砲を放つまで時間がかかる、テラコルタ。雑魚は貴殿に任せる』
クラゲのような触手で編まれた椅子に腰かけるのは貴族風の青年、テラコルタ。
「倒してしまっても構わないですよね、アイギス。私の『軍勢結界』の前では、イレギュラーであろうとも赤子同然ですから」
「……好きにするがいい」
ゴゴゴ……と地鳴りのような振動音を響かせ、巨大円盤は低空をゆっくりと滑るように進み始めた。
◆◆◆
凄まじい力場が生じつつある。
青白い顔の魔導師、リュー・キンフェイ魔導師は最上階の祈りの間で儀式を続けていた。
――数百万人の魂を集めても未だ足りぬ。
――もっと高密度なエネルギーが必要だ。
――あのイレギュラーの娘、二人を供物に……!
天空に孔を穿つために。
次元を歪める「ゲート」を開くために。
リュー・キンフェイ魔導師は、世界中で死んだ人間たちの魂を、魂魄をこの城の最上部の巨大水晶に集め、祈りを捧げ続けていた。
幾層にも重ねた魔法陣と、結界の織りなす荘厳な儀式。それは天空に穴を穿つための、偉大なる祈りの儀式だ。
目的はただひとつ。
真の救済をもたらすために。
無念のうちに粛清された、愛すべき人民の魂をこの世界に蘇らせる……!
その数、およそ十億!
十億の人間をこの世界に転生させる。
真なる中心。世界の華。人民の新たなる新天地、理想郷をこの世界に築くために……!
「フハハ……! フハァハハハハハハ!」
◆◆◆
『チュウ!』
『チュッ……!』
少女のもとへ小さなネズミたちが集まってきた。
城のあちこちに散っていたネズミたちが、伝えてきた事に耳を傾け驚く。
「城のなかに誰もいない……? スレイヴスがみんな出払っちゃった?」
賢者の弟子、メティスが目を丸くする。
さっきの振動と音のあと、城の上階が静かになった。外で何かが起こっている。
ネズミたちの伝えてくれたこと。
数日前から怖いスレイヴスの数が減っている。
怖い人間たちが外に出ていった。
戻ってこない。
最後に残っていた二人も、城の壁を壊して出ていった。
でも一番上に魔導師が、いる。
「最上階に……魔導師だけ」
あたしが、みんなの仇を討つ。
賢者の弟子、メティスはそう誓った。
王城での修行の日々。厳しくも楽しい賢者さまとの時間は、もう戻ってこない。
突如襲来した魔導師とその眷属がすべてを奪い去った。城内にいた戦士や衛兵、それに王宮魔法使いはあっというまに虐殺された。
最後まで王様を護って、賢者さまも必死で戦った。
でも、敵わなかった。
賢者さまの放った雷撃も、鉄をも溶かす炎も。あの魔導師と眷属たちには通じなかった。
賢者様でさえ突破できない、強固な無敵結界。未知の魔法の加護があるかぎり、誰も魔導師たちには勝てない。
賢者さまは最後の力でその場にいたメティスをネズミに変え、逃がした。
地下の誰にも見つからない隠し部屋で、メティスは息を潜め、隠れた。彼らの情報を集めながら、機会をうかがっていた。
「……今なら、魔導師は一人」
でも、自分に何が出来る?
あの魔導師と戦う力が無いことはわかりきっている。最上階にたどり着けたとして、戦えるわけでもない。
むざむざ殺されるだけだ。
それよりも大切なのはこの手帳に記した、ネズミたちが集めてくれた「情報」だ。
スレイヴスたちの結界の特性。
最上階にいる魔導師の能力も謎だ。ネズミたちが感じた違和感こそが攻略の鍵になるかもしれない。
情報を、誰か倒せる力をもつ者に託す。
スレイヴスたちが戻ってこない。
つまり外で、反乱がおきているのかもしれない。
外へ脱出しよう。
メティスは意を決した。ネズミたちを魔法から解放し、自由にする。
うす暗い地下通路を通って、城の一階へ。
食料を盗みにきていた倉庫の隠し扉を押し開ける。
「……」
誰もいない。
人の気配はない。
何人か生き残っていたメイドたちも殺されたのか、逃げ出したのか……。
無人の廃墟と化した城の一階、様々な部屋が隣接するエリアを進む。
と、床に散らばっていた漆喰や塵が集まり、ゆっくりと影のような人の形を成してゆく。
「きゃ!?」
『……子供ダ……』
『……捕まえて……』
『……皮を剥げ……』
手を上げて向かってくる。動きはゆっくりで蘇った亡者のよう。
目と口の部分に黒い穴が開いていて、漆喰と小石が集まって固まった土人形。緑の霧に包まれて動く様子は、呪いの人形、あるいは魔力で動くゴーレムを思わせる。
メティスは踵を返して逃げ出した。
「冗談じゃないわ……!」
正門へ向かう方向とは逆だが、怪物を蹴散らしては進めない。
振り返ると怪物たちが徐々に速度を上げ、追跡してきた。
真正面からもまた別の二体が現れた。両腕を水平にし、捕まえようと迫ってくる。
「い、いいいっ!?」
『……僕からは、逃げられない……』
『……テタコルタ様の……』
急停止して別の道を探す。
こんなことなら地下に隠れていればよかった。
出来損ないの陶器人形のような怪物たちは、ぎこちなく脚を動かしながら追いかけてくる。
ついに袋小路に追い詰められ、メティスは覚悟を決めた。
「なにか魔法……! って」
無理。攻撃できる魔法なんてない。
数メートル先まで人形たちが迫った、その時。
「君! こっちへ!」
「はやく!」
壁の一部がぽっかりと開いた。
隠し扉だ。
中から二人のメイド服姿の少女たちが顔をだし、手招きする。
「ひゃっ!」
メティスは隠し扉の狭い通路へと飛び込んだ。
二人のメイドたちが扉を閉め、壺か何かで蓋をする。
ほっと、一息。
ドンッ! と外で叩きつけるような物音がした。
城の各所にはこうした隠し扉が必ずある。賢者の弟子として城内を歩き回っていたけれど、全部を把握しているわけではなかった。
中は淡い魔法のランプの明かりが点っていた。通路はずっと向こうまで続いている。
「あ、ありがとうございます……!」
まずは二人にお礼をのべる。二人はハーフエルフの少女たちだった。可愛い顔、と思わず見とれてしまう。
でも、こんなメイドが城にいただろうか?
あとから連れてこられたのだろうか。
「大丈夫!?」
「私は賢者の弟子、メティスです」
「よかった、生きてる人間だ……」
「ぼくらは城に連れてこられたんだ」
「連中の監視が緩んでから、ここに隠れている」
ぼく?
細かいことはさておき、この通路には見覚えがあった。
「秘密の通路、ここからなら外に出られるかも!」