戦いへの決意と新たなる力
「聖都へ行くには、この街を通らなきゃ」
机に広げた地図をチャイが指差した。
「ベレルヘレムの街?」
「それが次の目的地じゃな」
リューデンベルグ王国、領土全図――。
聖都エスノセントゥリアを中心に、東西南北、大陸全土に版図が広がっている。
この世界には超大陸パゲンドリアと、横断不能なほどに広大な海洋だけが存在するらしい。
世界の中心は聖都エスノセントゥリア。王都であり輝かしき『白水晶の都』と呼ばれている。
「僕らが今いるのがここ、スヴァルタールヴァヘイ村。さらに東に進むと交易都市、ベレルヘレムがあるんだ」
地図の左上、北西の森にスヴァルタールヴァヘイ村が描かれている。
アメリコとヒメノが降臨したのは地図の一番端っこで、そこには『星の落ちる最果て平原』と小さく記されていた。
ベレルヘレムの街は反対に、村と聖都の中間地点に位置していた。
「聖都の次に大きく描かれておるの」
「大きな街なんだ。周囲の町や村から人や物が集まって。交易や加工産業が盛んで賑やかな街……だったんだけど」
「ベレルヘレムの街は魔導師の手下が何人も襲来し、酷い被害を受け、ほぼ壊滅したと聞く。強い軍隊や魔法使いもいて激しく抵抗したとも。それが彼らの怒りを買い、被害を大きくしたのかもしれない……」
チャイの父親である村長が、重苦しい表情で説明を加えた。
「この村は、被害が少ないほう?」
アメリコの何気ない言葉に、チャイはいきなり隣の父親の脇腹を殴り付けた。
「被害がなんだ! 戦えよバカ親父!」
「痛ッ……やめないかチャイ」
「あのとき、もっと必死に戦ってれば……こんなことにならなかったんだ! 兄ちゃんたちが、自分達が人質になるから手を出さないでくれって……! そんなの断れよ!」
チャイの怒りに村長はじっと耐えていた。徹底抗戦による全滅か、奴隷を差し出して生き残るか。苦しい選択を迫られたのだろう。
「……すまん。俺の力が足りないばかりに」
「そうだよ! ……わぁああん」
チャイは泣きだしてしまった。よほど悔しかったのだろう。ヒメノがチャイを抱き留める。
「お父上とて辛いであろう」
「兄ちゃんたちは……もっと辛い目にあってるかもしれないんだ……」
大好きなチャイの兄たちは、隷属魔導師によって連れ去られた。聖都で奴隷として働かされている……。あるいは想像もしたくないが、もっと酷い目にあわされているかもしれない。
「許せぬ……ッ! 美少年兄弟ゆえ尚更心配じゃ。後ろを開発されてメスイキしかできぬ身体にされておるやもしれぬとはッ……!」
「ヒメノ落ち着いて!?」
突然ヒメノがキレた。チャイもぎょっとするほどに。情緒不安定、様子がすこしおかしい。
戦いから一夜明けた。
ヒメノはチャイの魔法のおかげで回復し、アメリコは勝利とヒメノの無事を喜んだ。
隷属魔導師を倒した――!
この事実に村人たちは歓喜した。
破壊と搾取の嵐が吹き荒れた村に、一筋の希望の光が差した。物資も食料も限られた中、心尽くしの宴が催され、二人は歓待を受けた。
大ババさまの予言通り、チャイが西の果てから二人の英雄を連れてきた……。吟遊詩人が民族楽器にあわせて吟じてくれた。
絶対に勝てない。倒せない。無敵だと思っていた隷属魔導師を撃破した。
この驚くべきニュースは、水晶玉を使った魔法通信によって、証拠の映像つきで瞬く間に近隣の町や村に拡散されたという。
「近隣の村や町から、出来るかぎりの支援をするって、申し出が次々と来ているわ」
「ベレルヘレムの街からも。生き残っていた戦士や魔法使いたちが、地下で抵抗組織を作っているんですって」
姉たちが何枚ものメモ書きをテーブルの上に並べてゆく。賛辞と歓迎。そして支援と共闘の申し出。
中でも生き残っていた残存戦力たちからの、共に戦うという意思表示が多い。
「よかったわね、ヒメノ。戦うのは私たちだけじゃない」
「共に戦ってくれるというのは、心強いの」
隷属魔導師は狂っていた。話してどうこうなる相手ではなかった。
「みんなで力をあわせて戦いましょ!」
「魔導師どもは皆殺しじゃ」
「ヒ、ヒメノ?」
アメリコはいつもの通りだが、ヒメノの横顔は静かな怒りに燃えていた。
「慈悲も何も要らぬ、駆逐するのみじゃ」
「……そ、そうね」
ヒメノは戦って理解した。
敵の異常さに。倒れた相手に放尿してやろう、という精神的な歪み、殺すことを悦びとする狂気。
全てに激しい衝撃を受けた。肉体の傷よりも、心に受けた痛みが大きかった。
ヒメノは心のどこかで、敵であろうとも人間で「話せばわかる、拳を交えれば互いを理解しあえる」と、淡い希望を抱いていた。
日本国を精神の核に持つヒメノは、悪に手を染めた人間であっても、心に一片の善意が残っている……。性善説を信じ、期待していた。
だが、それは甘い幻想だった。
心を打ち砕かれ、汚物をかけられ、踏みにじられた。
魔導師たちは純粋な「悪」だった。
悪意と醜い欲望を凝縮、人の形に似せた悪。
ならば、もはや慈悲も交渉も要らぬ。
確実に滅殺するのみ。
自制的で慎重で、相手への理解と包容を信条としていたヒメノの心の振り子は、今や完全に逆方向に振り切れていた。
「ま、目的は決まったわ。次の街にいって味方と合流。聖都を根城にする魔導師一味を倒しましょ」
「鬼畜には容赦せぬ、滅殺じゃ」
ヒメノは奥歯を噛み、拳を握りしめている。
「なんだかヒメノらしくないね」
「そうね……」
チャイとアメリコは心配になり顔を見合わせた。
チャイの兄たちを救う。
その目的はブレていない。けれど同時に多くの奴隷や虐げられている人たちを解放する戦いでもあった。
アメリコはもちろんヒメノも、戦う腹を決めていた。魔導師を倒し、人々を抑圧から解放する。
人間の尊厳と、自由を勝ち取る。
これは正義の戦いだ。
「ところで、アメリコさんヒメノさん」
「私たちからお二人に渡したいものが」
チャイを両側に挟んで、姉のミュクリアとリュクリアがかしこまった。
「まぁ? なにかしら」
「ご馳走と歌は、十分に頂いたぞい」
ハーフエルフの姉妹が差し出したのは、すね当てと手甲。手袋とセットになった簡易防具だった。
「まぁ素敵! 刺繍が可愛いわ」
「これはとても嬉しいのぅ! ワシらは防御力が低い……。かといって鎧も着られぬ」
アメリコとヒメノは喜んで受けとった。
早速装備してみると、サイズはぴったりだ。
硬い革製で、身体を部分的に保護するプロテクターだ。素肌では、膝や手を地面に突いただけでも痛い。軽くて丈夫な防具はとても助かる。
「あ……。姉ちゃんたちの魔力の気配がするね」
チャイが何かに気がついた。
「流石ね、弟よ」
「姉の魔法だもの」
「うぅ……」
チャイの肩に二人の姉が慣れ慣れしく腕を乗せる。なんというか、可愛がられている。
「どういうこと?」
「魔法の仕掛けでもあるのかの?」
ヒメノの言葉にミュクリアが瞳を輝かせた。
「そうなんです。表で試してみません? 調整しないとダメかもだし」
アメリコとヒメノは村の中央にある建物を出て、広場へと向かった。
「実はお二人に渡した防具には、風の精霊の加護をつけたんです」
「夕べ、二人でがんばりました。急ごしらえですけど……」
ミュクリアとリュクリアが恥ずかしそうに顔を見合わせた。
「風の加護……?」
「アメリコさん。こうして、ステップを踏んでジャンプしてみてください。踏みきるときに『風よ、精霊の加護よ』と唱えて!」
「イエス、オーケー。こうね!」
アメリコがリュクリアの言ったとおり、ホップステップ。そしてジャンプと地面を踏む。すると小さな竜巻のような風が起こり、ふわりとアメリコの身体を浮かせた。
「――『風よ、精霊の加護よ』Oh、ノォオオ!?」
「飛んだぞな!?」
軽くジャンプしただけなのに、風に背中を押されるように5メートルほど斜め前方へと跳ね飛んだ。
アメリコの身体が大きな放物線を描く。
「左足で蹴りつけて!」
ミュクリアが慌てて叫ぶと、空中でアメリコが地面を蹴った足とは反対の足をつき出す。
風の抵抗を受けて、すね当ての紋様が輝く。すると風が足の先に巻き起こり、着地の衝撃を軽減した。
「ッとぁああ!? 着地ぃいいい!」
ズザザ、と辛うじて姿勢を保ち着地。立って金髪をかきあげて、両手を広げてポーズをとるアメリコ。
見学していた村人たちやチャイたちが拍手する。
「マイガッ!? すごいわ! 空を飛んだわ!」
アメリコが青い瞳を輝かせた。
「精霊の加護には限界があって、ほんの一瞬ですけど。通常の三倍、慣れればもっと飛べますよ」
リュクリアの説明に、今度はヒメノがチャレンジする。
「なるほどの。どれワシも」
風の加護よと囁いて、ヒメノはその場でとんとんっとステップを踏んだ。白い巫女装束と黒髪をなびかせて。
近くの建物の壁を蹴り、再び反対の足で空中を蹴りつけた。
「うまい!」
「なるほど、二段ジャンプもできるのね!」
なにもない空中で鋭角にターンし、近くの屋根まで至る。
「っと、とと……! 素晴らしいの!」
茅葺き屋寝の上に、文字通り駆け登ったヒメノを見上げ、人々は歓声を送る。
「風の精霊の再装填、リチャージまで最低でも一分は必要ですよ!」
ヒメノは一分ほど待って、屋根から意を決して飛び降りた。普通なら両脚を痛めてもおかしくはない高さがある。
「加護よ、風の加護よ……!」
両足で同時に風を起こし、見えない段差を下るようにジグザグに降り下る。
「崖を降りる野鹿みたい!」
「っと、とっと。なるほど面白いのぅ!」
「バランスを取るのが難しいわよね」
「そうじゃのぅ。まるで見えないバランスボールを踏みつけるような感覚じゃが……」
「YES、そうそう! そんな感じよね! 空気が足元でぷにっとして」
アメリコとヒメノは風の装備の使い心地を確かめ、その素晴らしさを称賛した。
リュクリアとミュクリアもホッとした様子だ。
「手甲にも同じ仕掛けが?」
「そっちは体重を浮かせるほどの力はありません。風圧が弱くて。でも使い方次第で……えぇと」
「例えば、転んだときの衝撃を緩和したり、敵に吹き付けて目眩ましにしたり……」
「濡れた髪を乾かしたり」
「花吹雪にも使えるかも?」
ミュクリアとリュクリアが少女らしく、明るく笑い声をあげる。
「オーケー! 応用方法は考えてみるわ! ね、ヒメノ」
「そうじゃの。最高のプレゼントに感謝じゃ! ありがたく使わせてもらうぞい」