◆幕間 ~七人の魔導師と、地下室の少女
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リューデンベルグ王国、聖都エスノセントゥリア。王都にして世界の中心都市――だった栄光と繁栄は過去の話。
輝かしき『白水晶の都』と謳われた栄華は今や見る影もない。美しかった聖都は荒れ果て、黒い瘴気が漂う死の都と化していた。
千年の歴史を誇るリューデンベルグ王国は、たった7人の魔導師たちの襲来により、あっけなく崩壊した。
世界の法と秩序の守護者として君臨した王国の崩壊。そこから始まった世界の混乱は各地へと波及した。治安の悪化と略奪の横行、疫病の発生――。
各地の地方貴族たちは、生き残るために私兵を集め、小さなコミュニティを形成した。かろうじて生き残った人々は、怯えながら、ただじっと嵐が収まるのを待つしか無かった。
王城を襲撃した魔導師の名は、リュー・キンフェイ。そして彼の配下、六人の隷属魔導師たち。
彼ら彼女らの襲来は、予言師によって災いとして警告されていたが、誰も耳を貸さなかった。しかし予言通り『紅き星が降った常闇の夜』に降臨した魔導師たちは、災厄を王国にもたらした。
聖都エスノセントゥリア王城への襲撃という形で、惨劇は幕を開けた。
城の正面から乗り込んだ七人の魔導師たちは、行く手を阻むものを殺し、悠々と、まるで散歩でもするかのように玉座の間を目指した。
誰も魔導師と眷属達を止められなかった。強固な結界と、彼らが振るう異能に抗う術は無かった。
近衛騎士団も、精強なる戦士たちも、最高位の魔法使いたちも。魔法の叡知を宿した賢者でさえも。
全ての攻撃が通用せず、多くの命が奪われた。
そして国王陛下以下、王族たちはすべて殺され、王国中枢の統治機構は瓦解した。
災厄の知らせは、またたく間に世界を駆け巡った。
絶対王政が崩れたと喜ぶ地方領主もいたが、それはぬか喜びにすぎなかった。
魔導師たちは翌日には世界各地の主要な町を襲撃した。混乱が広がると、混沌と破壊の嵐が吹き荒れ、暗澹たる闇が世界を覆い始めた。
七人の魔導師と眷属たちは、ただ混乱と崩壊の様子を眺めていた。
魔導師に取り入ろうと、交渉や和平を持ちかけた地方の王侯貴族たちは、無惨に惨殺された。
隷属魔導師たちは気まぐれにあちこちの街や村を襲撃、好き勝手に破壊を楽しんだ。
殺し、略奪と陵辱の限りをつくした。
混沌と破壊の使者だと人々は恐れた。もはや人の心を持たない悪魔の所業そのものだった。
魔導師たちは廃墟と化した聖都、エスノセントゥリアの城に居座り、気まぐれに生かした人々を支配し、食料を食い散らかした。手あたり次第に気に入った少年少女、女たちを連れてきては使役し、嬲り愉しむだけだった。
血で黒ずんだ玉座に深く腰掛けたリュー・キンフェイは、六人の忠実な隷属魔導師たちを睥睨しながらこう言った。
「――我は、この閉塞した世界の開放者なり」
燃えるような赤い髪に真紅の瞳。切れ長の目を眇め、口元に薄笑いを浮かべながら。
――古き神々が無知蒙昧な愚民どもに教え込んだ、カビ臭い教義、経典、知識。それらを信じ、法だ秩序だと偽り支配している特権階級は殺せ。
古き軛を打ち砕け。
支配者の秩序を破壊せよ。
人民を開放せよ。
真の自由を与えるのだ。
美しき理想の新世界は、混沌の闇から生まれる。死と新生。新世界とは、混沌たる泥の中から咲く蓮の華のごとし。
真の自由へと導くのが我らの努めだ、と。
リュー・キンフェイの六人の隷属魔導師たちは深く頷き、各地に散った。
さらなる破壊をもたらすために。旧世界の秩序を破壊し、混沌の泥と血で満たすために。
誰も彼らを止められなかった。
無敵の魔法結界、シールドを持つ彼らを。
――異相次元装甲。
未知の異界から飛来した魔導師、リュー・キンフェイは、時空の境界面に衝突した断片――泡から無敵結界、異相次元装甲を手に入れた。
力場は事象を認識することで、あらゆる攻撃を、魔法を撥ね返す。
リュー・キンフェイは降臨の際、召喚の儀式をおこなった六人の魔法使いたちの心を破壊し、器として永遠の忠誠を誓わせ、力を分け与えた。
それが無敵結界をもつ隷属魔導師たち。
だが――
「……ミヒラクラが死んだ」
汚れきった王宮の広間に、陰鬱な声が響いた。
キノコのような頭を持つ、目の無い女。
黒い傘のような巨大な頭部は、渦巻く髪と異様に発達した脳器官の集合体だ。
「所詮ヤツは、我ら隷属魔導師のなかで最弱!」
近くにいたカマキリのような男が嘲笑った。足で床を蹴りつけると、一瞬で蜂の巣のような無数の穴が穿たれた。
「まったく隷属魔導師の面汚しね……」
モザイクアートのように周囲の光を歪め現れたのは、気だるげで妖艶な女だった。出現場所にあった血だらけのソファが突如バックリと裂けた。
「誰がやったってンだ? オレが始末してやんよ」
カマキリ男が苛立たしげに拳で虚空を撃つ。城の壁に衝撃が走り、六角形の穴が無数に開く。
「あまり家を壊さないでくれる、ラダマンディス」
「おめぇだってオレのお気に入りのソファを割ったじゃねぇか、アフラ・マズダ」
「本当か、レドム・アイギス」
岩山のような体躯の男が振り返った。
「……ガテル・ナンディヌ。偉大なる我らがリュー・キンフェイ様の『目』たる私の言葉に嘘は無い」
「そうか、わかった」
巨漢の男、ガテル・ナンディヌは静かに頷いた。鋼のように黒光りする体表面は、異相次元装甲の鱗で覆われている。
魔導師たちを討伐せんと単身乗り込んできた「勇者」気取りの頭を軽々と握りつぶすと、鮮血が飛び散った。
睨みあう二人の間に、巨漢の男ガデルがボロ雑巾となった人間の骸を投げ入れた。
「人間など、こうするだけだ」
「わかってるさ」
「そうね……」
「……リュー・キンフェイ様はもちろん、我らに対抗できる者など存在しない。しかし、『青き二つの星』が遥か地の果てに落ちた日から、何かが動き出した」
レドム・アイギスと呼ばれたキノコ頭の女が、三人の隷属魔導師たちに視線を向けた。
尤も、目に該当する器官は全て脳へと繋がる腫瘍のようなもので覆われているが。
「誰だろうが殺すだけだ。オレ様がいく!」
「アタイもいくわ。退屈だもの……」
「チッ、好きにしろ!」
死と闇が漂う王宮の床を、無数のネズミが徘徊していた。隷属魔導師たちが動き出すと、慌てていっせいに足元から逃げ出した。
『チュ……』
薄汚れたネズミの一匹が無数に転がった死体の裏を回り、壁に開いた穴へと走り込んだ。
壁の裏の秘密通路を抜け、地下へと降り下る。
川から繋がる地下水路に至ると、ネズミは更なる横穴へと入り込んだ。
奥へ、奥へ。
やがて巧妙に隠された小部屋へと至る。
「お帰り、よく無事で」
『チュ……!』
ネズミは少女のもとへと走りよった。
紫色の質素なワンピースと結った金髪は薄汚れ、やつれきった表情。それでもネズミを手に乗せて、優しい笑みを浮かべる。
「……ふんふん。やっぱりね。連中の結界は、常に展開されているわけじゃない。全方位にあるわけでもない……と」
ネズミの言葉がわかるのだろうか。あるいはネズミが見てきたものを再生しているのか。
小さなノートに丁寧に書き記してゆく。
殺戮の嵐が吹き荒れた城の地下で一人、少女はずっと生き延びていた。
もちろん城には他にも生きている人間はいる。だがそれは奴隷として、玩具としてだ。
自らの意思で行動できる人間は、いまや彼女だけだった。
「みんな、もう少し……力を貸してね」
『ちゅぅ』
『チュチュ』
なけなしの穀物をネズミたちに分け与える。少女の言葉に頷いたように、ネズミたちは再び動き出した。
あたしが、みんなの仇を討つんだ。
薄汚れた顔の少女の青い瞳には、強い決意の光が宿っていた。
――賢者の弟子のあたし、メティスが……!
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