チャイの力と一族の秘められし魔法
★★
「ヒメノ!」
アメリコはスナイパーライフルを投げ出し、駆け出した。
階段を駆け下り、村の入口へと全力疾走する。
――死なないでヒメノ!
金髪をなびかせて、息を切らしながら必死で走る。戦いの終わりを感じ取った村人たちが顔を覗かせているが、まだ通りには誰もいない。何度も転びそうになりながら村の入り口に向かって走る。
自分一人だったら勝てなかった。
確実に殺されていた。
あの強固で不可視のシールドを破れなかった。もしヒメノがいなかったら、隷属魔導師を倒せなかっただろう。
ヒメノの杞憂は決して大袈裟ではなかった。慎重な分析と事前準備は役にたったのだから。
ヒメノは結界の特性を明らかにし、見えない攻撃の正体を炙り出してくれた。
――ワシが倒れるまで撃つでないぞ。
その言葉通りだった。
地面に倒れ、血を噴き上げながらもチャンスを作ってくれた。
攻防一体のステルス結界。その無敵ともいえる特性を暴き、見えないはずの結界を可視化した。
だから狙撃できた。
狙撃する上で障害となる、結界の位置関係を明らかにしてくれた。おかげで必殺の弾丸を叩き込み、隷属魔導師を倒せた。
村の入口付近にヒメノが倒れている。
傍らに、大柄な村長と小柄なチャイがいち早くかけつけていた。
「しっかり!」
「ヒメノ!」
黒髪の少女が目を閉じたまま、血と泥で汚れた巫女装束の姿で横たわっている。
「ヒメノ! 生きてる!?」
駆け寄って地面に這いつくばって呼び掛ける。
「ヒメノ!?」
「……うるさいのぅ、傷に響く」
ヒメノはゆっくりと目を開けた。
「よかった……!」
「痛ッ、やめんか……」
「あっ、ごめん!?」
嬉しさのあまり抱きつくと、ヒメノは悲鳴をあげた。慌ててゆっくりと上半身を抱き起こす。
血で汚れた顔を拭うものを探すと、チャイが腰のポーチからハンカチを取り出してアメリコに渡した。
「あとで返すわね!」
「いいよ、それよりヒメノを」
顔を汚す泥混じりの血糊を拭き取り、乱れた髪を髪を手櫛で整えながら、
「ムチャよ、あんな戦いかた」
「……あぁでもああせねば勝てなかったであろう」
「だからって、逃げてもよかったでしょ」
「アメリコなら……逃げるかの?」
ヒメノは苦痛に顔を歪めながらも、笑みを浮かべた。
「それは……」
「……う、肋骨と腕の骨に、ヒビが入っておる」
「Ohマイガッ! どうしましょう!? レスキュー! メディーック!」
動揺して慌てふためくアメリコを尻目に、チャイの姉たちが二人掛かりで担架を運んできた。表面に紋様が描かれた、魔法のエアボードらしい。
「はいはい、どいてどいて!」
「家に運ぶわ」
長女のミュクリアと次女のリュクリアが、慎重にヒメノの頭の方と脚の方を抱え持ち上げる。そして担架代わりのエアボードに乗せた。
「ヒメノは、ヒメノは助かるんですか!?」
救急外来の家族みたいに悲痛な声で、リュクリアにすがりつくアメリコ。
「ちょっと落ち着いて!」
「ご家族の方はお待ちください」
「大丈夫だよ、アメリコ」
後ろから落ち着いた声をかけたのは、チャイだった。
「チャイ……?」
「任せてよ、アメリコ」
真剣な眼差しでエルフの少年は頷いた。
★
村の中心部の建物にヒメノは運び込まれた。
魔法の担架は風で浮き、滑るように運べる優れものだった。
一階のオープンスペースにはすでに仮設の救護所が準備されていた。
「こちらへ」
チャイの母親が示す簡易ベッドにヒメノは移された。お湯やタオル、消毒薬らしい瓶などが運ばれてくる。
「痛い!? ヒメノ、気を確かに!」
「気は確かじゃから、離れんか……」
「オイラ……僕が治すよ」
真面目な顔でチャイが進み出た。
「まさか、治癒の魔法……?」
思い出した。チャイは「簡単な治癒の魔法が使える」と言っていた。
「そうだよ、少しまっててねヒメノ」
「……?」
チャイはヒメノに優しく語り掛けると、腰のポーチから小さなナイフを取り出した。そして、躊躇いなく鋭い先端を自分の左腕に突き刺した。
「チャイ!?」
アメリコは悲鳴を上げた。
「平気。魔法の……準備だから」
痛みをこらえ、流れ出た赤い血を口に含む。
「……私たちエルフ族の血には、魔法の力が宿っています。魔法はそれぞれが持つ個性、特性によって発現の仕方が異なります」
チャイの母親、美形エルフママがアメリコに語りかけた。
「Oh……でも、チャイが傷ついたら、本末転倒じゃないの」
「魔法には代償が伴います。大きな傷を癒し、あるいは命を救うにはそれなりの代償が……」
失礼、といってエルフママがヒメノの着衣の帯を緩め、腹部を露出させた。
脇腹は赤く腫れ上がり内出血している。骨だけでなく周辺の組織もダメージを受けていたのだ。
「すこし……我慢してね」
チャイはヒメノの脇腹に顔を近づけ、口を押し付けた。ちゅっ、ちゅとキスをするように。
「うっおッ……! おほっ……ちょっ……!?」
痛みよりも、突然のチャイの行動に慌てて目を白黒させるヒメノ。
唇の端からつぅと赤い血が流れ、美形の吸血鬼少年のような、背徳的な情景に困惑する。
そして患部に唇を押し当てて止まり、そのまま一分、二分と時間が過ぎてゆく。
「い……痛みが……薄れて来たぞな?」
ヒメノがぱちくりと目を瞬かせた。
青ざめていた顔に赤みが差し血の気が戻る。五分ほどするとチャイは唇を離した。
「……ぷは。たぶん、ほとんど治ったと思う」
「ほんとじゃ……! 信じられぬ、これが……チャイの魔法かえ?」
ヒメノが起き上がった。脇腹をさすり、おどろいている。
「まって、右腕の骨も治すから」
「お、おう……ふぉ!?」
チャイは再び自らの血を舐めて、再びヒメノの右腕に口づけをした。ちゅっ……ちゅ、と位置を変えながら。
可愛らしいエルフの少年の行為に、ヒメノは次第に頬が赤くなっていく。
「……し……舌の感触が。……はぁ……はぁ、び、美少年の温かい……舌」
ヒメノの目が虚ろに、呼吸も次第に荒くなる。
「いけない、気分が悪いのかしら? 傷は癒えているはずなのに……」
エルフママが不思議そうに眉間に皺を寄せた。するとヒメノの鼻から二筋の赤い血が流れ落ちた。
「ヒメノ、鼻血が!」
アメリコが悲鳴をあげた。
「なんで!?」
おどろき顔を離すチャイ。
「おっ、ふぁ……?」
「いけない頭にもダメージが!?」
慌てるエルフママの肩に、アメリコは手をそっと乗せた。そして微笑みながら首を橫にふる。
「いえ、これ……元気になったんだと思います」
★
「む、胸や内股を怪我していたらと思うと……」
「ヒメノ、嬉しそうね。顔が緩んでるわよ」
「チャイには日夜、あぁして癒してもらいたいものじゃ」
「もう」
ヒメノはすっかり回復した。
小さな傷は簡単なキスで、深い部位のダメージは長く口づけをすることで癒せる。そういう治癒の魔法らしかった。
しかし他人を癒す代償として、痛々しい切り傷がチャイの腕に残った。
エルフママが傷薬と包帯を巻く。
「自分の傷は癒せないの?」
「うん、ダメみたい」
「すまんのう、チャイ。痛い思いをさせて」
「ヒメノに比べたら、これくらい平気」
ぎゅっと抱き締めるヒメノ。お礼のつもりか、それにかこつけた特殊性癖の発露か。
ヒメノとチャイの距離も縮まったようだ。
「魔法にもルールがあります。それが世界の理ですから」
美しいエルフママはチャイの頭を優しく撫でた。
魔法は万能、そんな都合のよい話は無いのだろう。しかしいくつか疑問も残る。襲来した敵の魔導師……あるいは眷属の力の根元はなんだろう?
痛みを伴う血でないことは確かだ。
おぞましい、想像したくもない他人を犠牲にする儀式だろうか……。
「失礼ですが、エルフママにも魔法の力があるのですか?」
アメリコは尋ねてみた。チャイや姉たちの魔法は、父親というより母親からの遺伝だろうと考えたからだ。
「はい。わたしも魔法が使えます。といってもわたしの魔法は心の傷を癒すものです。慰め、勇気づけ、苦しみを取り除きます。とてもハッピーな気持ちになれます。アメリコさんもいかがですか?」
「…………え、遠慮しとくわ」
ニッコリと微笑むエルフママに、アメリコはひきつった笑みを浮かべた。
「ちなみに俺は、戦いに破れ絶望していたところを、彼女に救われたんだ。麗しのエルフ乙女の魔法キスで闇に沈んでいた心が解放された。光に包まれ、視界が開けた! 秘められていた力が覚醒、新しいステージに昇れた気がした……! だから、その後の戦いにも勝てたんだ! 最高にハッピーさ」
チャイパパが瞳を輝かせながら力説し、誇らしげに美人エルフママの肩を抱いた。
「ウフフ、あなたったら」
「Oh……オケー、最高に……いい話ね……」
エルフママの魔法は、深くツッこんではいけない気がした。
そこへ魔法のエア・ボードで偵察に出ていた姉たちが戻ってきた。
「ふぅ……周囲に敵影無し!」
「魔導師の気配も消えたわ!」
集まっていた村人たちから、わあっ! と歓声があがった。拍手喝采が沸き起こる。
「ユーたちも何か魔法を使う、代償があるの?」
アメリコが尋ねると、ミュクリアとリュクリアは顔を見合わせた。
「「めっちゃお腹がすく!」」
盛大に腹の虫がないた。どっと笑いが沸き起こる。
「……ところで。チャイの兄ちゃんたちはどんな魔法を使えたのじゃ?」
チャイを後ろから抱き締めていたヒメノが尋ねた。
「兄ちゃんたちは、母さんに似ているよ」
「ほぅ?」
それはどういう意味でだろう。
「上のティカ兄ちゃんは、歌で人の心を操……和ませる素敵な魔法。下のヒュリ兄ちゃんは、どんな不味い料理も美味しく感じさせるすごい魔法を使えたんだ」
「……な、なんだか個性的な魔法ね」
「お、乙女チックじゃの」
思わず笑みが浮かぶ二人。しかし、エルフママの『キまれば最高にハッピーな魔法』に通じるものがあるような。
「それに、お兄ちゃんたちすっごく可愛いのよ。っていうか美人?」
「そうそう! 魔導師の手下が女の子と勘違いして拐っちゃうくらいだもんねぇ」
姉妹が顔を見合わせてくすくす笑う。
「母さんに似てるもんね」
チャイも同意する。
「なん……じゃと」
衝撃を受けるヒメノ。上には上がいた。可愛くて健康的な姉妹や、チャイを上回る美形の兄弟が。
「なんだかワンダホー、素敵なご家族ねヒメ……ノ?」
「アメリコ! 救出じゃ! 男の娘……いやチャイの兄弟たちも助けにいくぞぇ!」
「え、えぇ……?」
アメリコの両肩をつかんだヒメノの目は、とても血走っていた。




