ふたりの用心棒と、狂気の魔導師の襲来
「ワォ、ヒメノ! それは野武士スタイルね!」
「まぁ、好きに呼ぶがよい」
黒髪をきゅっと後ろで結わえ、頭にはハチマキ。キリリとした表情で村の入り口へと向かう。
巫女装束の袖は長い帯をクロスさせて固定し、腰には小太刀、背中に一本の太刀をくくりつけている。今までになく気合の入った戦闘スタイルだ。
短い脇差は愛用の小太刀『黒漆蛭巻』。
背中の太刀は新たに召喚した『胴太貫』という名刀であった。戦場刀として名高く、分厚く実戦向き。刃渡りはおよそ76センチ、重量は1.4kg。
小柄なヒメノにとってはいささか大きいが、斬馬刀と言われる切れ味と破壊力がどうしても必要だった。
村に襲来する隷属魔導師、スレイヴスなる存在を迎撃するために。
一夜明け、ヒメノが立案した「隷属魔導師迎撃作戦」の詳細が皆に知らされた。
作戦は簡潔だった。
――ヒメノが用心棒として単独で挑む。
ヒメノがまずは一対一で隷属魔導師と戦う。そしてアメリコは戦況を見極め、遠隔から狙撃を試みる。
アメリコとヒメノは、運命に導かれるようにチャイと出会い、そして村に招かれ食客となった。
ゆえに「流れ者が一宿一飯の恩義により義理を果たす」というスタンスだ。
万が一にも敗れた場合、村に対する報復というリスクがある。故に、流れ者として単独で、独断で戦っているという風を装うのだ。
これによりチャイや村人たちを、失敗時の危険から遠ざけられる。
「つまり私達は用心棒……! エキサイティング。まるで西部劇みたいだわ」
「ワシにとっては時代劇じゃが……。文化とは影響しあうものじゃからの……って、それはどうでもよいが、作戦通りにの」
はしゃぐアメリコにヒメノが釘を刺す。
「オーケー! まかせて。それより……」
「にゅぐ…………?」
おもむろにアメリコは両手でヒメノの顔を包みこんだ。ヒメノは呆気にとられ目を瞬かせる。またキスをされるのかと焦る。
「まるで、今から死にに行くみたいな怖い顔ね」
「……戦いとは、死と向き合うことじゃからの」
ヒメノはこの末法の世にも似た異世界に来てからというもの、常に死を意識していた。戦いに明け暮れていた戦国武士の心構えだが、事実そうなのだ。
日本という国家の歴史、積み上げられた概念が、ヒメノという一個人として凝縮された。なかでも平安や鎌倉の終末期、戦国時代の混乱期が渾然一体となり影響を及ぼした。それゆえ末法思想にも通じる、悲壮で刹那的な考えに陥ってしまう。
「違うわ。戦いとは明日を手に入れることよ」
アメリコは真剣な眼差しで言った。青い瞳には強い意思の光が宿っている。
「……!」
明日という言葉にはっと息をのむ。
「私だって怖い。でも、敗北も死も考えない。絶対に勝つんだから。強い意思こそが敵に打ち勝つ鍵よ。明日を手にして、未来を切り開くためのね。そのために私たちは戦うの。わかった?」
迷いの無い言葉で、自らの力と勝利を信じている。どこまでも前向きなアメリコの言葉に、ヒメノはふっと全身から力が抜けるのを感じていた。
ガチガチに全身が固くなっていた。これでは戦っても実力は出せなかっただろう。
「……そうじゃな。アメリ子の言うとおりじゃ」
ヒメノは静かに微笑み返す。
「貴女は死なない。私が護るから」
「背中は預けたぞな」
「まかせといて」
●
そして、時は来た。
午後になりにわかに暗雲が立ち込めた。
灰色の厚い雲に覆われ、天候の悪化を予感させる不気味な乳房雲が頭上で蠢いている。
森の獣も、魔物さえも息を潜めたように静まり返っていた。
「風が……凪いだ」
村の入り口にある高さ五メートルほどの見張り台の上で、チャイがつぶやいた。
「空気が重い……」
「風の精霊が消えた……」
チャイと一緒に様子を窺っていた姉たちは、災いの前兆特有の不安感に襲われていた。
風の精霊の加護によって空を舞う姉たちは、翼を奪われたも同然だった。無風では風の精霊の助けを得ることはできないのだ。
ヒメノは見張り台から少し離れた位置で、腕組みをしたまま立っていた。瞑想するかのように瞳を閉じ、気配を探っていた。
「……来た」
ヒメノは目を開けた。
不穏な気配が近づいてきた。重く冷たい気配だ。
見上げると自分の頭上、鉛色の雲が大きく渦を巻きながら地表へと近づいてくる。竜巻のような雲が地表に接触して地面の草や土を巻き上げた。
それはヒメノの目と鼻の先、二十メートルほどの位置だ。竜巻なのに風が吹き付けるようすもない。
「なるほど、面妖じゃの」
何の音もしないのが逆に不気味だった。
生き物が舌を伸ばし溶けた鉛のようなねっとりとした雲が、地表を舐めながら灰色から黒へと変色しつつ凝縮。やがて立体的な影となり人の姿を成した。
「来たよ! そいつだ!」
チャイが叫んだ。
黒い雲が全身に吸い込まれると、その人物の詳細があきらかになった。均整の取れた体つきに、白い肌着のような密着した衣服を身に着けている。サイズ違いの子供服を無理やり着たようにも見える。
そして、男の全身には無数の顔。不気味な仮面が張り付いていた。
「う……!」
ヒメノは思わず呻いた。
それらは本物の人間の顔を剥ぎ取って加工したデスマスクだった。
苦悶の表情のまま黒ずんだ木の面のように加工された本物の人間の顔。まるで勲章のごとく全身を覆うように張り付けてある。
表情で唯一読み取れるのは、狂気。恍惚と残虐の入り交じった名状しがたきものだけだ。
「ミヒラクラ様がきたよー」
「……あれれ?」
「歓迎が無いね」
「村人たちがいないよ」
「おかしいな」
「かくれんぼかな」
全身に貼り付いた死人の顔が話している!?
いや、違う。声を出しているのは出現した男だ。一人で声色を変え、デスマスクたちを通じて腹話術のように声を出している。
狂っている――。
ヒメノは戦慄した。
赤く爛々と光る虚ろな目が、ヒメノを捉える。
「女だ、ひとりだ」
「黒髪なんて珍しい」
「供物だ、奴隷にしよう」
「イヒヒそうだ、それがいい」
甲高く耳障りで、聞くだけで不快になる。実に気味の悪い声だった。
ゆっくりとヒメノに近づきながら、値踏みするように眺める。デスマスク男が動く度、濃密な瘴気で周囲の空気が歪んだような気がした。
いや、本当に背後の風景が蜃気楼のように揺らいでいるのだ。
「ワシの名はヒメノ。流浪人ゆえこの村とは何の縁も無いが、お主を斬る」
話し合いなど出来る相手ではない。だが相手が「ミヒラクラ」と名乗った以上、自らも名乗らずにはいられなかった。
「今の聞いた?」
「何を言っているのかわからないね」
「難しいことをいう女、キライだな」
「剣をもってるよ」
「女剣士かな」
「気ぐらいの高い女騎士も」
「辱しめると最高なんだよね」
「「「「イヒヒ、ヒヒヒ……!」」」」
腐った欲望が混じり、狂気の上塗りに吐き気を覚える。
ヒメノは気力を振り絞り、想像を越えた狂人と相対する。
隷属魔導師のミヒラクラ。
不気味な異常者にしか思えない。
いったいどんな「魔法」を使うのか、皆目見当もつかない。
強固な結界、シールドを有することだけは事前情報としてわかっている。
だが実際に剣で戦いを挑んだチャイの父親も、相手の魔法が何なのかわからなかったという。
ヒメノは背中の太刀をはずし、鞘のまま左手でつかむ。そして両足をやや開き腰を落とし、身構える。
そして柄に右手を添えた。
「参る」
抜刀術による戦闘の構え。
一撃必殺の戦闘術は、この世界には無いとヒメノは踏んでいた。昨夜チャイの父親からこの世界での戦いについては学んでいる。諸刃の剣の重量を活かした打撃、突き、薙ぎ。それが基本スタイルだという。
故に奴にとって、居合は初見のはず。
「変な構えー」
「剣を抜かないの?」
「怖がってるんだね」
ニタつきながら何の警戒さえもなく近寄ってくる。
剣など何の問題でもない。
そう思っている。
結界とやらに絶対の自信があるのだ。
三メートル、二メートル――。
デスマスク男が間合いに踏み込んだ。
「脚を折って連れ帰ろう」
「そうだね楽しみ」
「命乞いをしながら」
「泣き叫ぶ顔が見た――」
ヒメノは無言で抜刀した。
何の事前動作もなくノーモーションで稲妻のごとき剣を放つ。
剣が鞘走る音も、呼吸音さえも立てぬまま太刀を抜いた。避けられぬ完全な間合いから『胴太貫』が鋭い銀色の軌跡を描く。
が――
ギィィイイイイイン!
耳をつんざくような衝撃音と共に刃が止まった。
見えない壁があった。
刃が透明な薄膜に押し止められる。硬い、不可視のフィールドが赤い六角形の波紋を描く。
「効かないよ」
「無駄無駄」
「ボクら魔導師の眷属の力、知らないの?」
これが、結界――!
「田舎者なのかな」
「剣術とか意味ないし」
「王国の女騎士と同じだね」
「このあと脚をへし折るとさ」
「いい声で泣き叫ぶんだよね」
デスマスク男がニチャラァアアアと下卑た笑みを浮かべた。
だが、ヒメノは表情ひとつ変えなかった。
結界があるのは想定内。
刃が結界の表面で火花を散らすが、お構い無しにそのまま押し付け、
「秘剣、天剣地隔――零式ッ!」
抜刀術に隠された一撃を放つ。
止められた太刀の影、幻のような青い剣気が結界をすり抜けた。結界の内側に刃が煌めく。
「な!?」
狂った魔導師の眷属が、はじめて驚愕の声を漏らした。