エルフの里へ ~巨大魔獣と再会と
「あれが、チャイの故郷ね!」
「そうだよ! スヴァルタールヴァヘイ」
「発音が難しいのぅ」
「エルフ語で『黒き妖精のくに』って意味なんだ」
チャイが嬉しそうに振り返った。少女と見紛う顔には自然な笑みが浮かんでいる。
森が開けると広大な畑が広がっていた。遥か向こうに村らしき影が見える。畑では麦以外にも様々な野菜を栽培しているようだ。
「牛や羊が見当たらないわね、もしかして菜食主義者ばかり?」
アメリコがちょっと不安げに尋ねる。チャイは御者席で手綱を握っている。
「んー? 肉は森で暮らす狩人から買うから育ててないよ。その代わりパンや野菜を売ってるんだ」
「なるほど、肉はあるのね!?」
「あるよそりゃ」
「アメリ子は肉に飢えておるのぅ……」
「当然でしょ! 人間として食欲と睡眠、性欲は抑えられない本質的な欲求ですからね!」
誇らしげに胸を張るアメリコ。
「食欲と睡眠はさておき、もう一つは堂々と宣言せんでもよかろう」
「フアッ? ヒメノもあるでしょ性欲」
「ばっ……!? あっ、あるわけ」
顔を赤らめるヒメノにアメリコが抱きつき、柔らかな頬を指でなぞる。ヒメノは悲鳴をあげてスキンシップから逃れる。
「ちょっとお客さんたち、馬車ではお静かに!」
チャイが苦笑しながら馬車の速度を緩めた。
両側の畑を眺めながら進むと、茅葺屋根が特徴的な村が近づいてきた。
村というよりは里といった方がいいだろうか。
のどかで牧歌的というよりは整然と整備され、とても大きな里だ。中心には三階建ての木製の尖塔が立ち、物見やぐらのようになっている。
村の中や周囲では、大勢の人々が行き交っている様子が見て取れた。
「あれってみんなエルフなの?」
「まさかぁ。エルフは数が少ないんだ。人間のほうが多いよ」
人種の比率がどうあれ、アメリコとヒメノはやっとまともな村についたことに安堵する。
チャイは村の外側の広場に馬車を駐めると、水場で馬を休ませた。ここから村の中心へは徒歩でゆくらしい。
「ところで、チャイは里では少数派のエルフなのじゃろう? 故郷を救うために旅に出たと言っておったが……」
「いわれてみれば不思議ね」
「それなりの身分の者かもしれぬのぅ」
「ヒメノ、抱き枕にしてよかったのかしら」
「……そ、それは」
と、その時だった。
畑の方向から悲鳴が聞こえてきた。
何事かと視線を向ける。森に面した畑の方向から、老夫婦が慌てた様子で逃げてくる。
「ま、魔物が……! 出ただぁ……!」
老夫婦を追うように、巨大な熊のような魔物が出現した。
『――ゴガァアアアッ……!』
背後に広がる森の木々を押し退け、柵を破壊し畑へと突っ込んできた。土煙があがり、村の人々も何事かと騒ぎだす。魔物の背中には鋭い刺が無数に生えている。まるで巨大な熊とハリネズミを掛け合わせたような姿をしていた。
「フアッ!? 何あれ、大きいわ!」
「魔物というより魔獣じゃな……!」
魔獣はキャベツを蹴散らしながら老夫婦を追い、此方に向かってきた。
「ニードル・ベアードが凶暴化してる!? 畑を荒らしに来る時期じゃないのに……!」
チャイが困惑した様子で声をあげた。このあたりではお馴染みの害獣なのだろう。だがどうも様子が違うらしい。
「あの人たちを助けないと!」
「流石にヤバイじゃろ、あのサイズは。踏み潰されてしまうぞい」
四足歩行の魔獣は小山のようだった。立ち上がれば五メートルはあるだろう。今まで遭遇したどんな魔物よりも大きい。あのオークロードですら並べば小さく見えるだろう。
「ヒメノ迎撃よ!」
「うむ!」
アメリコとヒメノは頷きあった。
ヒメノが輝きとともに刀剣を召喚。小太刀だが近距離、中距離で剣気による斬撃を放つことが出来る。
だがアメリコは銃器を召喚できずにいた。
「……Oh、マイガッ」
「ど、どうしたのじゃ?」
「害獣退治にはショットガン! アイニードショットガン! と思ったのに……なかなか出てこないの」
「なんじゃと!?」
アメリコは銃器の召喚に手こずり焦っていた。精神集中し、気合を入れて光の粒子を集めている。
巨大な魔獣相手に流石に拳銃では厳しいだろうと考え、ショットガンを召喚するようイメージをしたようだが、うまくいっていない。
「き、危機感が足りんからかのぅ?」
「Oh、そうかも……」
山賊のときは危険と怒りを感じたせいか、コンマ三秒で拳銃を召喚できた。
しかし今は上手く行かない。
――故郷でお祖父様が使っていた散弾銃、使い慣れたレミントン・アームズのM870が欲しいのに!
弾丸は12ゲージ、直径18.4ミリ口径。弾種はバックショット。狩猟用でカートリッジに9発の金属弾を内包するタイプ。グリズリーでもバッファローでも仕留められる威力と、ストッピングパワーは巨大な魔獣相手でも通用するはず。
細かい条件や要求を考えすぎたうえ、銃身の大きさと複雑さが仇となったようだ。
光が収斂しようやくショットガンの銃身を形成した。しかしまだ完全ではない。
「あわわ! 来たよアメリコ、ヒメノ!」
「ここは仕方ない、集団的自衛権の行使じゃ!」
チャイが慌てていると、ヒメノが飛び出した。
「危ないわ、ヒメノ!」
「正当な防衛行動じゃ!」
ヒメノが黒髪をなびかせ、抜身の日本刀を構えて巨大な魔獣に向かってゆく。巫女姿のサムライがあまりにも小さく見えた。
「老夫婦から気を逸らすつもりね……!」
『ギュゴガァアアアアアアアア!』
ヒメノの姿に気がつき、大地を揺るがすような咆哮をあげるニードル・ベアード。チャイは恐ろしい咆哮に思わず耳を塞ぐ。
「ヒメノ! そいつの刺には猛毒があるから気をつけて! 刺されると全身が紫色に腫れ上がって、地獄の苦しみを味わうことになるから……!」
「それを最初に言わんかぁああッ!」
ニードル・ベアードに斬り込もうとしていたヒメノは青ざめて急停止。くるりと方向をかえて逃げ出した。
接近戦を避け、十メートルほどの間合いをとったところで軸足でターン。
「ここ……じゃあっ!」
ヒメノは振り向きざまに刀剣を一閃。気合いとともに銀色の三日月、剣気を放った。
「秘剣、天剣地隔! 二連撃!」
『ゴギュァアッ!?』
飛翔した銀色の刃は、背中の棘を粉砕。次々に削ぎ落とすように斬り砕いた。
「上手いや、ヒメノ!」
毒のある棘を砕いた。その作戦にチャイは感嘆するが、アメリコは反対に厳しい声をあげた。
「ダメ! それじゃ止められない……!」
アメリコの不安は的中した。巨大なニードル・ベアードは突進を止めなかった。
そのままヒメノに体当たりを食らわそうと肉薄する。
「――くっ!?」
万事休すと思われた、そのとき。
一陣の突風が吹いた。
『ッガァ……!? ゴアァ……?』
ニードル・ベアードの鼻先を掠めた強風に、突進の速度が緩んだ。その隙にヒメノはバックジャンプを繰り返し、その場から離脱することに成功する。
「今の風は……!?」
と、村の方向から、何かが急接近してきた。畑の上をまるで滑るように進んでくる。
何かに乗った二人が見えた。
「フアッ!?」
「なんじゃ!?」
それは二人の少女たちだった。それぞれがスノーボードのような板に乗り、手綱を握ってバランスを巧みに取りながら飛翔している。
車輪も脚もついていない、浮かんでいるのだ。
足元では麦畑が波打ち、風で波をたてる。まるで海の上を波乗りするように自在に飛びながら、急接近してきた。
「風で浮いている……! エアボード!?」
驚くアメリコの左右を少女たちが通り抜けた。
「「チャイ!」」
凛とした声が重なった。
それは見目麗しい、エルフの少女たちだった。
青く美しい髪をなびかせながら、民族衣裳に身を包んだエルフの少女たちが、チャイを見て目を丸くする。
「姉さんたち! 来てくれたの!?」
「バカ弟! あとでお仕置きだから!」
「ミュゥ、まずはあの獣を森へ!」
魔法のエアボードに乗った二人は、一気に遠ざかり巨大なニードル・ベアードへと向かってゆく。
一瞬だったが、二人の顔や背格好はチャイとよく似ているようにも見えた。
「あれってチャイのシスター、お姉さんたち!?」
「リュクリア姉さんと、ミュクリア姉さん……双子なんだ」
滑るように地表すれすれを滑空する二人は、ヒメノを見失った巨獣の鼻先をかすめて旋回する。
『ゴガァアア……!?』
二人はぐるぐると飛び回り、ニードル・ベアードの尖った爪の攻撃をひらりと避けて翻弄する。
「すごいわ、ファンタスティック……!」
「美形エルフが空を飛んでおるぞな!?」
アメリコのところへヒメノが戻ってきた。老夫婦の背中を押し救出、畑の隅へ避難させることに成功する。
ジャッコッ! とアメリコが満を持してショットガンを構えた。銃身をスライドさせて弾丸を込める。
「って、折角ショットガンを召喚したのに撃てないわ」
巨獣の周囲を二人のエルフが飛び回っている。これでは射線を確保できない。アメリコは諦めて銃身を下げた。
すると、笛の音が聞こえてきた。
二人のエルフの少女のどちらかが、飛び回りながら笛を吹いている。
清んだ穏やかな笛の音が風にのって流れてきた。そして歌もきこえる。思わず聴き入ってしまうような美声、優しい子守唄のような歌だ。
「笛と歌……? いったい、何をするつもり?」
アメリコが困惑しチャイに尋ねる。
傍らにいたエルフの美少年は、安堵したようすで姉たちを見つめていた。
「魔法だよ。エルフの魔法。風と歌による癒しの魔法なんだ」
「癒しの……魔法」
「争わない、誰も傷つけない、オイラたちの魔法だよ」
チャイは誇らしげだった。二人の姉のことが大好きなのだろう。旅に出たのも姉たちを助けたい一心だったのだろうか。
「――森へお帰り……!」
「――ここはお前の棲む世界じゃないわ」
『ガ……ゴ……グルル…………』
二人の笛と歌によって巨大な魔獣は大人しくなっていた。やがてゆっくりと向きを変え、こちらに背を向けると、森へと戻ってゆく。
「どうやら今回は出番無し、じゃな」
「そうみたいね、ラブアンドピース」
ヒメノとアメリコは肩をすくめると、微笑みを交わした。
そして美しい妖精たち――エルフの娘たちを、しばらく見つめていた。




