第12回参加作:動く点Pは動機をもとめない
二〇〇二年九月二日、T中学校に点Pさんが転入してきました。
その一週間後、Aさんが音楽室で殺害されていました。
Aさんは、Bさんからお金を借りていて、Cさんと交際しており、Dさんを虐めていました。
なお、凶器とされるナイフ(sとする)は見つかっておらず、音楽室はドアも窓も鍵を用いて閉められていました。
さて、このとき原点Oから出発し、sを探しながら点A・B・C・Dを通った点Pが、三週間後に描き上げた真相とはどのようなものでしょうか。
本文を読みながら推理しなさい。(問題作成のため実名は伏せてあります。)※配点5点
点Pはなぜ動くのか。誰もが、とはいわないが、ほとんどの人が一度は考えたことだろう。
「点Pマジうぜぇ」
「ってかさ、アイツなんで突然動き出すの?」
「ほんとそれな。意味分かんねぇ」
たぶん中学生くらいの男の子たちだ。そんな会話がバスの後ろの方から聞こえてきて、私は思わず笑ってしまいそうになった。
なぜ動くのか。
動く必要があるのか。
そもそもどうして動けるのか。
疑問は尽きることがなく、また一人数学嫌いの学生が生まれる――とは、さすがに言い過ぎだけれど。
『動かなければならないから。だから僕は動くのだ!』
そう言い切った点Pくんのことが、懐かしく思い出される。ひょろひょろとした縦長の背格好も、くるくるとカールする茶色い髪も、右目の泣きボクロも。記憶の中は色鮮やかだ。ふと見たらこの車窓のすぐ外を走っているような気さえする。あの時みたいに。
事件が解決された直後に私は引っ越してしまったから、あれから彼がどうなったかは知らない。
そそっかしくて、怖いもの知らずで――私たちを救ってくれた――名探偵。
(そうだ。帰ったらノートにまとめてみようか)
ワトソンよろしく、なんて思ってまた笑いそうになった。私がワトソンなんておこがましい。けれど、彼はホームズにも負けないから。
書き出しはどうしよう。やはり、ワトソンがホームズに出会った日のように、私――源桜花が天日動に出会った場面から始めるべきだろうか。
十七年前なんて遠い遠い記憶。でもあの数週間は驚くほど鮮明だ。
それはきっと、明るいばかりでないからこそ。
彼が来たのは、二〇〇二年の九月二日。二学期が始まった翌日だった。
私は朝から最悪な気分で席に座っていた。上履きがなくなっていたのだ。ごく浅い、程度の低いイジメ。ただ順番が回ってきた、というだけのこと。騒げば騒ぐほど面倒になるのは分かり切っていたから、私は黙って学校のスリッパを履いた。
教室に入ってきた私をちらりと見て、前の方の机に座っている女子たちが忍び笑いしていた。あんなの、犯人は自分ですって言いふらしているようなものだ。
私は溜め息を飲み込んで、鞄から文庫本を出した。八時十五分からは朝の読書タイム。私にとっては一番平穏な時間だ。
「ほーい、時間だぞー。読書始めろー」
一組の先生がひょいと顔を出した。前の席にいた男子たちがすばやく反応する。
「あれっ、なんでドミノンなの」
「いなみーは?」
「こら、先生のことはちゃんと呼びなさい。甲本先生と稲波先生、だろ」
甲本先生がドミノンと呼ばれているのは、毎日のように近くの宅配ピザ屋に寄っているからだ。テイクアウトしたら半額。それで出来てる先生の体格は横に広がってたぷたぷしている。そろそろ生活習慣病のことを考えた方がいいと思う、年齢的に。
「稲波先生はショートホームルームの時には来るから。んで、なんでいなかったかもそのとき分かるから、大人しくしてるよーに。騒いだらすぐ分かるからな」
「あーい」
ざわざわしていた教室が少しずつ少しずつ静まっていく。でも完全には無理だ。先生がいない中学校なんてこんなもの。男子たちが三人ぐらいで固まって、こっそり持ち込んだ漫画を覗き込む。女子たちは堂々と振り返っておしゃべりだ。私は今度こそ溜め息をついた。あーあ、せっかくの静かな時間が。
ふいに、前の席の男子が振り返った。私に向かって、めんどくさそうに手紙を放る。ノートの切れ端を畳んだ小さな手紙は、私が開いていた文庫本の真ん中にぴったり挟まった。
めんどくさ、と思いつつ開く。
『上履き、一階の東の男子トイレの掃除用具入れにあるって』
名前は書いていないけれど、見たことのある文字だ。笑ってた連中とは違う。あいつらは丸くて媚びるような字を書く。この丁寧でしっかりした字は、有加ちゃんのものだ。名前が無いってことは返信不要ってこと。
どうしようかな、とぼんやり考えた。有加ちゃんは嘘をつく子じゃない。だから、書いてあることはきっと本当なんだろう。どこかでこのことを知って、親切にも教えてくれたらしい。でも、知ったところでどうしろって言うんだろう。男子トイレに入るのは無理だし、先生に相談したら大事になる。頼めるような男子はいない。
(一階の東トイレってことは……ああ、あそこはいつも先生が掃除しているところだ。あ、ってことは、気付かれる前に回収しないとまずいかな?)
なんて思いながら、手紙を畳み直して筆箱に入れた。
その時だった。
バンッ、と轟音を立てて後ろの戸が開かれた。全員が一斉に振り返る。
「やぁ! おはよう!」
大きな挨拶と一緒に入ってきたのは、知らない顔の男の子だった。でもこの中学の制服を着ている。すごく背が高くて痩せていて、染めたみたいに明るい頭をしていた。
その子はずかずかと教室に入ってきて、
「やぁ! よろしく! 眠そうだね、僕も眠い! お腹空いてる? おはよう! よろしくね! 体調悪い? うんうん、その本いいよね!」
なんて、ハイテンションに話しかけながら、ひとりひとりの顔を覗き込んでいく。それは好奇心旺盛なハツカネズミみたいだった。
教室を前に行って後ろに行って、机の間をジグザグに縫うように闊歩して、最後が私だった。来る、って分かっていたのに、ずいっと顔を近付けられると思わず身を引いてしまう。明るい眼がじっと私を見て、私の足元を見て、それから目尻にきゅっと皺が寄った。あ、泣きボクロ。
「やあ! 君の上履きは一階東側の男子トイレの掃除用具入れにあると思うよ!」
「えっ?」
「持っていったのはモチヅキカナエとスギヤマサチとウンノアリサだ!」
がたたっ、と椅子に引っ掛かったような音がした。名前を出されたまさにその三人が振り返っていた。忍び笑いの三人。やっぱりアイツらか、くそっ。
いや、そんなことより問題はこっちだ。
「なんで、知ってるの?」
「なんで?」
男の子はパチパチっと瞬きをしたと思ったら、突然どっかりと床にあぐらをかいた。そして満面の笑みを浮かべて私を見上げた。
「ンーフーフッ!」
と、自慢するように顎を上げて笑う。褒められて得意になる犬みたい。
「そりゃ、点Pがどこかで止まるのと同じぐらい確実なことだ!」
「は?」
「校内をぐるっと一周して来たよ! トイレの中も全部見てきた! 教室は、特別教室だけだけど、このあと普通のクラスも全部見て回るつもりだ! で、一階の東側の男子トイレの床は水でびっちゃびちゃだった! スギモトタカシ!」
突如指名された男子はびくりと両肩を跳ね上げた。
「ズボンの裾が濡れてるね! トイレ掃除? そうだトイレ掃除だ! 荷物からしてサッカー部! 朝練やってたねぇ、それに出てなかったなら何かの罰掃除だ! 一階東側の男子トイレだけ当番表がなかったから、先生がやってるか、罰掃除の場所になる!」
その通り。杉本くんが夏休みの宿題を出さなかった罰として、朝練禁止と罰掃除が命じられたのは昨日のことだった。
「で、さっきの三人! 濡れた上履きをゴシゴシしたね! あの、何て言うんだっけ、ほらあの、トイレの前とかさ、お風呂の前とかにあるやつ!」
「マット?」
「そう! マットだ!」
思わず出してしまった助け舟に、彼は両手を叩いて飛び乗ってきた。その勢いにまた身を引いてしまう。
「君、助手に向いているねぇ! いいよ、とてもいい!」
「はぁ……」
「マットに石灰が付いててね! それが三人の上履きにも付いてた!」
その言葉に慌てて三人は足を持ち上げた。私にもちらっと見えた。二年生の学年色である赤いゴム底が白く濁っている。
「ンーフーフッ! 動かないだけ証拠は優しいよね!」
にっかり笑って、彼は機敏に立ち上がった。
明らかな珍客を持て余して、静まり返る教室。
そこに、廊下からぽてぽてと鈍臭そうな足音が聞こえてきた。稲波先生だ。ウェーブのかかった長い髪と黒い眼鏡が特徴的。若いし、おっとりしていて優しいから、男女を問わず人気がある。
息を荒らげた先生は戸に手をついて、弱った声をあげた。
「こらぁ、テンピくぅん。勝手に動かないでぇ」
「あっ、すみません先生! でもここですよね、僕の入るクラスって!」
「そうだけどぉ、まだねぇ、お話がねぇ……まぁいいかぁ、じゃあ先に紹介しちゃいますねぇ」
そう言って先生は黒板の前に立ち、綺麗な字で三つの文字を書いた。
「今日からこのクラスの仲間になりましたぁ、テンピ」
「天日干しの天日に動機の動で、天日動! よろしく!」
「……だそうですぅ。みなさん、仲良くしてあげてくださいねぇ」
飛ぶように走っていって、ビシッとピースサインを掲げた天日くんの隣で、稲波先生はずれた眼鏡を持ち上げた。
第1会場3位をいただきました。ありがとうございました!