第10回参加作続編(嘘):エルマンデルへの福音書(偽典・悪魔のフットボーラー)
分教会へ向かう道すがら、ゴエイはふと足を止めた。
「あれは……」
「ああ、彼ですか」
と先導していた事務員が、ゴエイの視線の先を追って頷いた。
そこはなんの変哲もない小さな空き地。土と同じ色の肌を持つ痩せた青年が、丸い物体を裸足の上で跳ねさせていた。
トン、トン、と軽やかなリズムが土を蹴り、球体が宙を舞う。
爪先、膝、胸、頭から背中、踵と、全身をリズミカルに躍動させる様はなかば踊っているようにすら見える。
フットボール、のように見える。
「素晴らしい足さばきですよね。どこから来た方か誰も知らないんですが……最近話題になってるんですよ」
「へーえ……」
ゴエイは不信感を隠すことなく、青年を凝視した。
一定のテンポで一定の高さに蹴り上げられる球体は、まるで神通力か何かで浮かんでいるようだった。一度蹴ってはその足で球体の周りを一周し、もう一度蹴っては彼自身がくるりと一回転し、また蹴っては足を変え――体であればどこを使おうと、まったく同じ場所に球体を持っていけるらしい。
ふいに、彼はぽーんと一際高く蹴り上げた。
そして体をねじるが先か地面に両手をついて、落ちてくる球体を両足にしっかと挟むと、また跳ね上げて起き上がった。
――その一連の流れを見ていたゴエイは血相を変えた。
姿は変わっていても、技の癖は変わらない。
「今の技は……おい、おい起きろ、エーヴァルト!」
揺すったがまったく応答がない。影を吸った後はいつもこうなのだ。ゴエイはひとつ舌を打って諦め、青年の方へ駆け出した。
青年は額の上でころころと球体を揺らし、バランスを取っている。
「見つけたぞ、エルマンデル!」
「えっ――エルマンデル?!」
事務官の驚愕を置き去りに、ゴエイは彼へ掴みかかった。
だが青年はひらりと身を反転させ、
「っ!」
刃のような蹴りが、咄嗟に飛び退いたゴエイの頬を切り裂いた。
青年はゴエイを見てにたりと笑った。
真っ赤な瞳がゆらりと弧を描き、白く鋭い歯の先を舌がなぞった。
「やあ、見つかっちゃったか」
彼の額の上には、器用にも球体が乗ったままだった。
ころんと転がして、青年は手の中にそれを納めると――
――地面に落とし、踏みつぶした。
それを黒く固めていた影が散って、土に古びた血が染み込む。途端に生臭い腐臭が立ち上って、ようやくそれが人間の頭であったことに気が付く。
腐臭の上に素足で立ち、青年は胸を張った。
「そう、我こそはエルマンデル。悪魔に魂を売った者。ヒトの頭を蹴ることに悦びを見出す者。汝ら教会の犬とは遊んでいる暇など――」
エルマンデルはふいに鼻を鳴らして、「おや」と楽しそうにした。
「同胞のにおいがする。……その少年、同類だね?」
「……どうやら、魂と一緒に嗅覚まで持ってかれちまったみてぇだな」
「ふふん。まぁどうでもいいけど」と、エルマンデルはどこからともなくまた黒い球体を取り出して、足の上に転がしながら、「我は君たちに用をもたない。じゃあね」
「っ、逃がすか!」
背を向けたエルマンデルを追って、ゴエイは地面を蹴った。
「くっそ、速ぇ……っ!」
爪先で球体をもてあそびながらとは思えない速度で街中を疾走していくエルマンデル。時々球体を蹴って、道行く人の頭の上へアーチを描いたり、股の下をくぐらせたり――振り返って舌を出してみせたり。完全にゴエイをからかっている。
「……なめんなよ、若造っ!」
俺だって昔はその筋で鳴らしたのだ、とゴエイは息巻いて、スピードを上げた。
人と人の隙間を縫って肉薄する。大丈夫、まだ腕、いや足は鈍っていない。
(もらった――!)
背後からの渾身のスライディング。
タイミングはドンピシャ。避けられるものではない。そのままエルマンデルの足首を刈る――
「っ、なにっ?!」
ほんのわずか。一瞬だけ早く宙に跳び上がっていたエルマンデルが、「甘い甘い」と歌うように呟いて、
「ラフプレーならこれぐらいのこと、しなくっちゃね」
ゴエイの足首を思いきり踏みつけた。
「ぐあっ!」
「あ、ごっめぇん! ちょーっど下りたところに足があったからぁ。折れた? ねぇ折れた?」
「く、そっ……」
「ふっふふ、もうちょっと楽しめるかと思ったんだけど、ここまでか。ざぁんねん」
ことさら馬鹿にするようにくるくると回りながら、エルマンデルは離れていく。
ゴエイはほぞを噛んだ。が、実際、踵で踏まれた足が熱を放ち始めている。しばらくは確実に、歩くことすらままならないだろう。本当に折れていたとしてもおかしくはない。
(くそっ……俺はまた、目の前で、アイツを逃がすのか……!)
「ん……んぅ……ゴエイ?」
「あっ、てめっ、今頃起きたのかよ!」
腕の中で目をこすりながら欠伸をする呑気な少年に向かって、ゴエイは吠えた。
「エルマンデルがいたんだ!」
「エロ漫談?」
「ちげぇーよっ! どこでそんな言葉覚えたんだ聖職者! そうじゃなくてエルマンデル! 悪魔のフットボーラーだ!」
「ああ……」エーヴァルトの目が急に光を宿した。「――ああ。捕まえましたか?」
「……悪ぃ。返り討ちに遭った。しばらくは動けねぇ」
「そうですか」
淡白に頷いた少年は、ひょいとゴエイから離れて首を巡らせた。
視線の先に、まだ街道をふらふらと歩いているエルマンデルの背中を見つける。
銀の左目は神の如く。
赤の右目は悪魔の如く。
鋭く尖ってターゲットを見据える。
「……では、悪魔祓い開始、ですね」
――次の瞬間、少年の姿が消えた。
いや、消えたと思うほどに速く走り出したのだ。
「ふん、ふん、ふ~ん……ん?」
鼻歌混じりに影で固めた生首をもてあそんでいたエルマンデル。
その鼻先から、球体が消えた。
「まずは一つ」
エルマンデルの数歩先で、生首を両手に抱えたエーヴァルトが、そっと祈りを込めた。
「【清めたまえ】!」
銀色の光が溢れ出て、影が消え去った。少年の手には、ただの生首だけが残される。
エーヴァルトはそれを道のわきに丁寧に置くと、エルマンデルに向き直った。
「さて。あといくつ持っているのですか。すべての頭を出しなさい」
「なぁんだ、その目――やっぱり、同胞じゃん」
エルマンデルはにたにたと片側の頬だけで笑いながら、また新しい首を手に掲げた。
「赤い目は証。我らと同じ。君も、悪魔のフットボーラーだ」
「いいえ、違います」
エーヴァルトは毅然と否定し、マントを脱ぎ捨てた。
真っ白のカソック。
紺地に金糸のストール。
教会の監査とともに、悪魔を祓う者の装束。悪魔を祓うために、フットボールの技術を磨き上げた者だけが纏えるユニフォーム。
「僕は異端審問官です。悪魔、エルマンデル――神の御名のもとに、今からあなたを祓います!」
「ふっ、ははっ! さっきの奴よりは遊べそうだね、教会の犬!」
――教会の鐘が、一時の鐘を打った。
その瞬間、生首と同時に魂を奪い合う、白熱の野良フットボールの幕が切って落とされた!
――つづかない