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祭りの跡  作者: 井ノ下功
7/9

第10回参加作:エルマンデルへの福音書

【宗教×陰謀×オジショタバディ】


神託を受けた少年エーヴァルトと、

彼を守護する壮年の大男ゴエイ。

策謀と狂信が渦巻く世界で、二人は奪われた《神器》を取り返し《影》から人々を救済するため旅に出た。


エーヴァルトに襲い掛かる数々の試練。

ゴエイが隠した暗い過去と因縁。


そして《神器》と《影》に隠された世界の真実とは――。


「すべての生命に救済を。

 それを果たした時、僕の生命は初めて承認されるのです」


魔法と宗教が織りなすダークファンタジー。


――さぁ、巡礼を始めましょう。




 王都から離れた田舎町の片隅だ。今月に入って何体目かになる悲惨な死体を、町の人々が取り囲んでいる。

 澄まし顔で歩いてきた少年が、輪の一番外側にいた男に声を掛けた。


「何かあったのですか?」


 男は振り返って、思ったより下の方にあった顔をちょっとした驚きとともに見下ろした。一目で王都から来た人間だと分かる。銀色の髪はかなり丁寧に手入れされているし、纏っている暗紫色のマントは最高級品だ。間違いなく良家のお坊ちゃんである。


「坊や、一人かね。親御さんは?」

「親はおりません。ゴエイは買い物中です」

「護衛?」

「ええ」


 少年はなんてことないように頷いた。


「それで、何があったのです?」

「え、ああ……いや、子どもに話すようなことじゃないから……」

「では結構」


 少年は冷淡に返して、ひょいと人垣の中に踏み込んでいった。男は慌てて制止しようとしたが無駄だった。平均よりも小さい体躯の少年は、するすると足の間をすり抜けていく。


 だが、男が危惧した光景を少年が見ることはなかった。


 死体にはすでに布が掛けられていた。

 しかし、街道に飛び散り布に染み出ている大量の血が。

 何より、死体から立ち上る煙のような()が。

 少年の目にしか映らない()が、事件の悲惨さを物語っている。


 ふいに人垣が割れて、教会の男たちがさらに二人駆けこんできた。最下級の事務員の制服を着て、簡素な担架を抱えている。

 布にくるまれた死体が担架に乗せられた。


「待ちなさい」


 少年の凛とした声に、事務員たちはぴたりと動きを止めた。

 彼は人垣から一歩飛び出した。


「祈り手はどうしたのです?」


 毅然とした態度で問われ、事務員たちは思わずたじろいだ。だが真っ先に立ち直った――というよりは、相手がガキだと気が付いた一人が、柔和な笑みを少年に向けた。


「坊や。どうやら君は教会のことに詳しいようだが、場を弁えなさい。人が殺されたんだよ。知識自慢は余所でやりなさい」

「正式な祈りをせずに遺体を移動させるのは教会が禁止しています。まして殺された方ならなおさら危険です。すでに()は広がり始めています。このまま運べば、()は町の中を侵食するでしょう。この強さだと疫病に発展する可能性があります」

「君――」

「ここにはベスツァング教会の分教会があるはずです。分教会には祈り手が必ずいる。なんらかの理由で離れているとしても、すぐ隣の町にも祈り手は常駐しています。どうして呼ばないのですか?」


 流暢にまくしたてる少年を前に、事務員たちは黙り込んで互いの顔を見遣った。ただの知識自慢をしたい少年にしては詳しすぎるし、堂々とし過ぎている――恐ろしいくらいに。


「もう一度お聞きします。祈り手はどうしたのですか?」

「……君には関係のないことだよ、坊や。君はもうおうちに帰りなさい。あとは神様の御意思にお任せすれば大丈夫だから」


 かろうじて残っていた事務員の意地が、その言葉を紡がせた。


 だが、それが少年の逆鱗に触れた。




「――あなた方の怠惰を神の御意思と謳うなど言語道断です」




 言葉は吹雪。眼光は氷柱(つらら)。激憤を宿した銀と赤のオッドアイに見据えられ、事務員たちは底冷えするような感覚に肩を縮こまらせた。


 彼はさらに一歩前に出て、マントを脱ぎ捨てた。


 小さな体が纏っていた制服を見て、事務員たちは息を呑む。


「それは……」

「祈り手の……」


 白いカソックは祈り手にのみ許された特別な装束だ。階級は最低でも司祭、すなわち事務員たちの二階級上。

 さらに少年は肩に細長いストールを掛けていた。紺地に金糸で緻密な刺繍が施された、特別なストール。それは――


「……異端、審問官」


 そして彼らは思い出す。


 孤児院にいた才能ある少年が、十歳で祈り手の試験に合格し。

 二年間の実務経験を経たのち、国内最難関である異端審問官の資格を得て。

 最も過酷だと言われている国土巡礼の修行に出た、という眉唾物の話を。


 少年は呆けている事務員たちの脇を通り抜け、布に手をかけた。

 一気にはぎ取る。


 それは実に惨憺たる光景だった。


 その死体は“かろうじて女性であっただろうことが推測できる”という状態で。

 四肢は折れ曲がり明後日の方向を向いている。

 服は無く、腹は裂かれ内臓が飛び出している。

 その苦痛は死に至る前に与えられたのだろう。顔は狂気に染まっていた。目玉は飛び出し、口の端には泡の残滓が固まっている。


「目を背けてはなりません」


 少年の静かな声に、民衆ははたと息を止めた。

 逸らしていた目が引き戻される。惨劇を直視する。


「死を見なさい。これはすべての人間が行きつく先です。肉体はやがて死し、滅び、朽ち果てます。時期も死に方もそれぞれですが、結果は常に一つです」


 幼さを押し殺したような淡々とした声が、民衆を導く。


「死を想いなさい。そして祈りなさい。旅を終えた魂が、迷うことなく、神の御許へゆけるように」


 少年はカソックの内側からペンデュラムを取り出した。金色の鎖にぶら下がる、紫水晶の振り子。それを右の中指に吊り下げて、少年は指を組み合わせた。

 ミステリアスな二色の瞳が、瞼の向こうに沈む。

 死体の傍らに片膝をつく。


「神よ、御聞き下さい。御慈悲を御与え下さい。運命のもとに旅を終えた魂を、御身のもとに御迎え下さい」


 立ち上がりながら両手を広げる。華奢な金鎖がしゃらりと音を立てた。角ばった雫型の紫水晶がゆらりと振れて、ゆっくりと止まる。だがまだ揺れているように見えるのは、そこから洩れ出てきた光のせいである。神秘的な光がゆらゆらと不規則に強弱し、日の光と混ざって不可思議な揺らぎを地面に落とす。


「影は疾く悉く消え失せよ。行き場がないなら我が元へ来い。そは神の御許へ踏み込むを許されざるものである。影は疾く悉く、暗き光に導かれよ」


 半円を描くようにスッと右手を前に出し、ペンデュラムをゆったり回す。

 死体に纏わりつき蠢いていた影がずるずると動き出し、水晶の先が描いた円に吸い込まれていく。円を潜り抜けると、影はにわかに輪郭を溶かした。銀色の光の粒子に変わり、鎖を伝って少年の手の中へ入っていく。

 民衆の目には、突然ペンデュラムが銀色に光り始めたように見えていた。

 その光はあまりにも神秘的で――美しく――まるで神の御業のように。

 少年のあどけない顔に神威を宿らせる。


「奇跡……」


 誰かが呆然と呟いた。




 少年はゆっくりと目を開けた。ペンデュラムをしまい、もう一度両手を組み合わせる。


「汝に永遠の安息を。アナグノーリシ」


 民衆はそれに続いた。アナグノーリシ――祈りの言葉の復唱が、さざ波のように街道を満たす。


「これでよろしいでしょう。どうして祈り手がいないのか、詳しい話は分教会で聞かせていただきます。行きますよ」

「は、はい……」


 事務員たちはすっかり気圧され飲み込まれ、少年の指示に頷いた。

 少年はマントを拾い上げて、砂埃を払いもせず羽織り直した。


 その時だ。


「はいはいちょっとスイマセンねぇ、ちょいと通しておくれよ、っと――」


 人垣を押しのけて壮年の大男が顔を出した。


「ああ、いたいた。ようやく見つけたぞ、エーヴァルト!」


 山賊のような髭面の男は、荷物のたくさん詰まった鞄を背負い直して、少年――エーヴァルトの前に片膝をついた。


「ちょうど良いところに来ましたね、ゴエイ」

「お前な、店の外で待ってろって言ったろ?! なんでこんなところにいんだよ!」

「? ここも店の外(・・・)でしょう?」

「ちっげーよ! 普通“店の外”って言われたら店の目の前、俺が出てきたらすぐ見つけられる場所のことを言うんだよ!」

「それならそうと言ってください。あなたは指示が大雑把すぎます」

「お前の常識が足りねぇだけだ!」

「常識は人を救うのに必要ですか?」

「少なくとも俺は救われる!」

「でしたら考えておきましょう。そんなことより、ゴエイ」


 エーヴァルトはフードを被って、唐突に欠伸をした。大きな目の端に涙が溜まる。


「彼らについていってください。この町の分教会を監査します。僕は少し寝ます。しばらく任せます。では」


 一息に言い切るや否や彼は目を閉じ、ふらりと後ろに倒れた。

 完全に意識を失った体をゴエイは掴んだ。はずみでせっかく被ったフードが外れ、寝顔が晒される。ゴエイは素早く彼を抱き上げると、フードを被らせ顔を隠した。


「任せるっつーなら俺の方に倒れろっての。ったく、いちいちめんどくせぇガキだな」


 十二歳にしては軽過ぎる体を、ゴエイは片腕の中に収める。

 それから、事務員たちの注目に気が付いて振り向いた。


「どーも、お騒がせしてまして。俺は一応ちゃんとした護衛なんで、ご心配なく。はい、証拠」


 彼は右腕を掲げた。たくましい手首に着けられていた金のバングルは、どこにも切れ目がなく、肌との間もごく僅かにしか開いていない。服従の誓いを立てた者に嵌められる一種の手枷に近いものだった。

 ゴエイはその手で鳶色の頭を掻きながら、


「悪ぃけど案内よろしく。コイツが起きてりゃ問題ねぇんだけど、俺じゃどこに分教会があるかなんて分からねぇから」


 ――ふいに、獅子のような目を細めて獰猛に笑った。


「どうやら何か隠してるみてぇだけど、隠せば隠すほど酷いことになるぜ? コイツに目ぇ付けられた時点で詰んだと思って、諦めろ。な?」


 事務員たちは白くなった顔を見合わせた。



第2会場2位をいただきました。ありがとうございました!



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