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祭りの跡  作者: 井ノ下功
5/9

第9回没案:アリスが落ちてこない!


「アリスが落ちてこない!」


 ウサギのルイスはそう呟いたっきり、枯れ葉の山に顔を埋めて、ピクリとも動かないんだ。ご自慢の真っ白な毛皮には、葉っぱのかけらがびっしり付いているのだけれど、そんなことまったく気にしていない。それくらい、彼の気分は沈んでいたんだよ。いつもピンと立っている長い耳は、そのまま溶けてしまうんじゃないか、ってくらい、ぐにゃぐにゃになって枯れ葉に埋もれてた。

 彼はそれから、溶けたアメーバみたいに寝返りを打ってね。天井にぽっかり空いた穴を、しばらくじぃっと見上げたと思ったら、また、


「……ああ、アリスが落ちてこない」


 って呟いた。何度呟いたって、アリスは落ちてこないっていうのにね。そんなことは彼だって分かっていたけれど、どうしても呟かずにはいられなかったのさ。それぐらい、不思議の国は、切羽詰まっていたんだよ。

 ――え? アリスが落ちてこないと、どうなるのか、って?


『不思議の国のお話は――はじまらないで――おしまい(ジ・エンド)


 だからルイスは本当に困っていた。どうしてアリスが落ちてこないのか、見当も付かなかったし、どうすればアリスが落ちてくるのか、想像もできなかった。だって今までは、何もしなくても、「あ、そろそろかなー」って思った時には必ず、アリスが落ちてきていたのだから。こっちからわざわざアリスを呼ぼう、なんて、ちっとも考えなかったのさ。

 ルイスはもう一回、ぐんにゃりと寝返って、枯れ葉まみれになった。


「どうしよう。どうしよう! このままだと、不思議の国が壊れてしまう!」


 って、朝からずっと同じことばかり、ブツブツ言ってはゴロゴロしている。


「ああ、どうしよう。アリスが落ちてこないと、不思議の国は狂人だらけになっちゃって……それできっと、終わってしまう!」


 この頃すでに、国の端っこの方に住んでいたヒトたちから、だんだんと狂いはじめていたんだ。

 ――狂うとどうなるのか? うーん、それは、ヒトによるんだけどね。たとえば聞いた話だと、お隣さんが狂ってしまって、毎日毎日狂乱騒ぎ。お皿を片端から割ってみたり、その破片を集めてグツグツグツグツ煮てみたり、それからその煮汁をパンに練り込んで食べてみたり、とにかく尋常じゃない、って言うんだ。(って、ルイスにそう教えたヤツも、どうやら狂っていたらしくって、話してる間中ずうっと柱をつついていた。彼はオウムだったんだけど、どうやら自分をキツツキと勘違いしていたらしい。)

 この分だと、真ん中辺に住んでるみんなだって、もうすぐ狂ってしまうだろう。お城を守る兵士だろうと、不思議の国の不思議病は、止められないのさ。

 そう、これは“不思議病”っていう流行病でね。

 これを治すには、真っ正面から「どうして?」「なんで?」「おかしいじゃない」って言わないといけないんだ。

 ――ルイスたちが言えばいいじゃない、って? ごもっとも。僕もそう思う。

 けれどね、それが、駄目なんだよ。不思議の国の住人たちはね、不思議病のヒトを見ても、「ああ狂ってるんだなぁ」って思うだけで、心底疑問に思うってことが出来ないんだ。だってそもそも、“不思議の国”に生まれてるんだから。「そういうこともあるんだね、不思議だなぁ」って思って、それでおしまいってわけ。

 だから、別の国のアリスが必要だったんだ。

 けれど、アリスは落ちてこない。

 ルイスはまたまた寝返りを打って、ついに自分から枯れ葉の下に潜り込んだ。いっそこのまま枯れ葉になってしまいたい、なんて、思ったぐらいさ。


「おーい、ルイスー!」


 ルイスを呼ぶ声が、どこからともなく聞こえてきたから、彼はのそのそと顔を上げた。枯れ葉がパラパラと顔の周りに飛び散って、彼は小さく「くしゅんっ!」くしゃみをした。


「や、いたいた。珍しいね。君のような綺麗好きが。どうしちゃったんだい?」


 やって来たのは帽子屋だ。もちろん、まだ狂う前だったから、マッドは付けずに帽子屋(ハッター)って呼んでいた。

 彼はルイスのために、枯れ葉の上に膝をついた。彼はとっても背が高いんだ。立ったまま話をされたのでは、ルイスの首がおかしくなっちゃうくらい。狂った後は、ずうっと座りっぱなしでいたから、君は気が付かなかったかもしれないね。

 ルイスは憮然として答えた。


「どうしちゃったもこうしちゃったも、落ち着いてなんかいられっこないだろう、帽子屋。だってアリスが落ちてこないんだもの」

「それなんだけどね、ルイス」


 と、帽子屋は、湿った新聞紙みたいに微笑んだ。


「女王様が、どうにかできるかもしれない、ってさ。それで僕に、ルイスを呼んでくるように言ったんだ」

「なんだって? 本当に、どうにかできるのかい?」

「女王様の言うことには」

「そいつは素晴らしい! そうとなったら、急いでお城に行かなくちゃ!」


 ルイスは飛び跳ねるように立ち上がった。勢いそのまま、走り出そうとして、けれど帽子屋に引き留められた。


「ああ、待ってくれ、ルイス」

「なんだい?」

「これを貰ってくれないかな」


 そう言って帽子屋が差し出したのは、金色の懐中時計だ。

 ルイスは目を真ん丸にした。


「これって、君が随分と大切にしている、時間くんじゃないか」

「うん」

「時間くんを手放すって言うのかい? あんなに大切にしていたのに!」


 帽子屋ははっきりと頷いた。彼はこの国で唯一、“時間”を理解して、大切に扱っていたヒトでね。たとえ狂ったとしても、時間くんだけは手放さないだろうと思っていたから、ルイスは本当に驚いたんだ。

 なんで時間くんを差し出したのか、って、その理由は、この時のルイスには分からなかった。けれど――彼が正気であっても、狂気であっても、時間くんを差し出すってことは、きっと尋常なことじゃないぞ――そう思って、ルイスは懐中時計を受け取ったんだ。

 帽子屋は、ありがとう、って言う代わりに、帽子のつばをちょっと持ち上げた。こういう気障な仕草だって、狂っていない頃の彼には、よくよく似合っていたんだよ。


「それじゃあ、僕は先にお城へ行っているからね。出来るだけ急ぐんだよ、ルイス」

「分かった。じゃあ、また後で!」


 そうしていよいよ、ルイスは走り出した。

 女王様の元へ行くならば。ルイスは急いで自分の家に戻った。まずはこの枯れ葉だらけの毛皮にブラシをかけて、それからベストを一番上等なものにして、シルクハットはこの間買ったばかりのあれがいいな、それから……それから……

 なんてやってる内に、昼をすっかり過ぎてしまってね。急いで、って言われたけれど、彼にとっては身だしなみっていうものが、本当に大切だったのさ。

 ルイスはお城に向かって一生懸命走った。


「遅い! 遅いぞ、ルイス! お前が計画の要だというのに!」


 案の定、ハートの女王様はカンカンでね。真っ赤になって怒ってた。お城には、帽子屋はもちろん、猫もネズミも揃っていて、みんながルイスを待っていたようだった。

 ルイスはぺこぺこ頭を下げて、帽子屋の横に並ぶと、そっと耳打ちした。


「僕が計画の要、って?」


 帽子屋はゆっくりとしゃがんで、ルイスのシルクハットを一通り褒めてから、こう言った。


「アリスを呼びに行くのさ」

「へぇっ?」


 ルイスは飛び上がって驚いた。確かに、来てくれないなら呼びに行く、っていう、その考えは分かったよ。けれど――ルイスは首を傾げた。


「そんなことが、出来るのかい? 一体全体、どうやって」

「首をちょんぎるのさ!」


 と言ったのは、シマシマの猫だ。お察しの通り、チェシャ猫だよ。まだ狂う前の彼だから、笑いながら消えたりはしないんだけど。彼の場合、性格はあんまし変わらなかったね。けたけたと笑うのも、この時からおんなじだ。

 猫はけたけた、けたけたと笑いながら、


「首をちょんぎって、それから魂を取り出して、風にふんわり乗せるのさ。そうすりゃ、気付けば向こうの国。どっかの誰かの体に入って、不思議じゃない国の住人になれるってわけだ。そうなりゃ直接、アリスをこっちに呼べるだろう?」

「ふーむ、それはすごい計画だ!」


 ルイスはすっかり感心して、手を叩いた。これでこの国は救われる! ってね。

 ところがその時ふと思って、ルイスはもう一度首を傾げた。


「……で、誰が首をちょんぎられて、不思議じゃない国に行くんだい?」


 すると全員がルイスを見て、


「「君さ(おまえだ)!」」


 って、そう言ったものだから、ルイスはもうびっくり仰天。当然、「ええっ! どうして僕が! 帽子屋だって猫だって、ネズミだっているじゃないか!」って喚いたけれど、その時にはもう、帽子屋の手で、台の上に乗せられていてね。

 それ以上は何も言えなかった。


 ――ジョキンッ!


 大きなハサミの閉じる音が聞こえたと思ったら、世界がぐるぐるって何回転もしてね。その中で、みんなが笑っているのが見えたんだ。そっか、やっぱり、もうみんなも狂っちゃってたのかなぁ。まぁ、仕方ないか。だって不思議の国だもの……なんて思ったのを最期に、ルイスは死んじゃったんだよ。


 そうして、ルイスは僕、チャールズ・ドジソンになって、この不思議じゃない国に生まれてきたっていうわけさ。――ねぇアリス、この話、本当に面白い? ……そっか、君がそう言うなら、もう少し続けてみようか。

 ――いや、生まれた時から、ルイスの記憶があったわけじゃないんだよ。僕はあくまで、チャールズだった。

 そうだね、それじゃあ次は、僕が、ルイスのことを思い出した時の話をしようか。

 

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