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祭りの跡  作者: 井ノ下功
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第8回参加作:ヒーロー・ライセンス


 大学入学直後から『正義の味方』のアルバイトを始めて、早三年――俺はある疑問にぶち当たった。

 すなわち、正義の味方の味方は誰か? という命題である。

 我々が真に困ったとき、一体誰が助けてくれるのか? 完全秘密主義でどんな不都合が生じても弁明一つ出来ず、組織第一を掲げるがために自分で自分の身を守れない。お陰様で俺は、万年寝不足野郎、救済不能遅刻魔、課題未提出常習犯、追試対象者皆勤賞、という実に不名誉な称号を四つも手にしてしまった。その上、あと一つでも単位を落としたら留年する、という瀬戸際に追いやられたのだ。前もって教えてくれた教授よ、ありがとう。心から感謝する。忠告通り、今期だけは、何が起きようとレポートを出し、テストを受け、絶対に一つも落とすまい……――

 という決意をもって臨んだテスト週間は、悪の秘密結社との最終決戦(ハルマゲドン)に塗り潰されたのだった。

 ……改めて問おう。

 正義の味方の味方とは誰か?

 俺の出した結論はこうだ――正義の味方に味方などいない!

 正確に言おう。大学生にとっては単位こそ正義! 青春こそ正義だ! それらをないがしろにした者に、味方などいるわけがないのだ! 時給の高さとスカウトの口車に乗せられてこんなバイトを始めた俺が馬鹿であり愚かであった! こんなことのために己の青春を三年も浪費して、挙句三年目をもう一度繰り返す羽目になろうとは!

 ああ、普通の大学生に戻りたい!

 このアルバイトを始めて以来、女の子との出会いはおろか、友達すら満足に作れなかった。大学生がこれでいいのか? こんな寂しい学生生活でいいのか? 俺は何度も己に問いかけ、何度も「否、このままでは駄目だ」という返答を受け取っていた。なのに行動に移せなかったのは、ひとえに己の弱さ故としか言いようがない。もちろん、辞めようと試みはした。しかしその度に、大の大人たちが半泣きになって「君がいなくて世界の平和は保てない」と迫ってくれば、誰だって去りがたくなるものだろう。

 そうしてずるずると深みにはまり、彼女いない歴を更新するどころか、留年まで達成して――ようやく我慢の限界に達した俺は、第十三稿目にして脱稿した辞表を組織のリーダーに叩き付け、アジトを飛び出したのであった。

   ☆

「待ってくれ、レッド!」

「あーあーあー聞こえなーい、全っ然聞こえなーい」

「星野くん!」

 ここで俺は腕を掴まれた。振り返ると、声の主、ブルー改め専業主夫の青木勇気さんが、家出する我が子を引き留めるような必死の形相をしていた。

「星野くん、どうか考え直してくれ。君がいなくなったら、火力が足りないんだ。敵の本部は潰したが、まだ残党たちが潜伏している。世界の平和を守るためには、君の力が必要なんだよ」

 液体窒素を用いて完全に凍てつかせたはずの俺の心は、この一瞬だけ微かに揺らいだ。なぜなら、俺のことで一番親身になってくれたのが、他ならぬこの青木さんだからである。俺の小さな悩みも、意味不明な課題も、誰もが「君なら大丈夫だよ」と半笑いで放り捨てる中で、青木さんだけは一緒に解決策を探してくれた――その殆どが役に立たなかったが。仲間とは友情とは信頼とは、損得利益とは無関係なのである。よって、俺は青木さんの頼みには一も二もなくYESと返すのだ。

 が。

 今回ばかりは。如何な青木さんの頼みといえども、今回ばかりは駄目だ。俺の決意は固い。なんていったって液体窒素で固めたのだから!

 俺は冷たく彼を見返し、「そんなに火力が欲しいのであれば火炎放射器でも導入したら如何です?」と言い、手を振り払った。

「星野くん!」

 俺はもう振り返らない。絶対にだ。

 この決意が伝わったのか、青木さんはそれ以上追ってこなかった。それがなんとなく悲しいような、寂しいような気もしたが、決別とはもとよりそういうものである。俺は心の中で吠えた。サヨウナラ、青木さん! サヨウナラ、非日常! 俺は今日をもって普通の大学生に戻るのだ!

 その時背後から、青木さんの声が響いた。

「何かあったら、いつでもおいで! 力になるから!」

 あぁ、青木さんはやっぱり好い人だ。だがその厚意は無駄である、と俺はニヒルに微笑んだ。なぜなら、普通の生活に戻った俺に、“何か”が起きることはあり得ないからである。とはいえ、人の厚意を無下にするのは俺的人道に反する。よって俺は片手を上げて、背中越しに手を振り、チーム専用のハンドサインで『アリガトウ』と伝えたのである。

 このハンドサインも、これが最後か――そう思うと、何故か目頭が熱くなった。なんだかんだ言って、俺はこのバイトが嫌いではなかったらしい。もう二度と御免ではあるけれども、人を助けるのは良いことだし、感謝されるのは気持ちの良いものだった。それに、チームだって――青木さんは前述の通りだが、グリーンの瀬貝真守さんも、イエローの杉田希望さんも、ピンクの桃瀬叶さんも、みんな好い人ばかりだった。だからこそ、課題を出せなくて怒られても、単位をいくつ落としても、『付き合い悪い奴』のレッテルを貼られても、『裏で犯罪に手を染めているらしい』という噂を流されても、どうにか我慢して――くっそ、我慢なんかしなけりゃよかった! 改めて思い返せば、デメリットの方が圧倒的に大きいではないか、ふざけるな!

 俺は憤然と山を下りながら、漱石先生のお言葉を思い出していた。情に棹差せば流される、とかくこの世は生き難い――至言である。そう、情に流されてはいけないのだ。情に絆されるから馬鹿を見るのだ。

 この後、組織がどうなるかなど、知ったことではない。

 そうして俺は、この数年間で最も安らかな眠りに就いたのである。

   ☆

 朝五時に起床し、もはや習慣となった走り込みをして、シャワーを浴びる。一限までにはまだ時間があるから、予習をして、別の授業のレポートを片付ける。あぁ、なんて大学生らしい大学生をしているのだろうか。平生であれば今頃、深夜に出された第一級召集命令による戦闘を終えて、死んだように眠っているというのに――いや待て、それが“平生”っておかしくないか。そんな平生あってなるものか!

 おっと、落ち着くのだ、俺。もうそんな生活とは完全に合法的に縁を切ったのだ。終わったことで精神を昂らせるなど阿呆の極み。俺は荷物の点検をし、忘れ物がないことを確認した後、かなり余裕を持って家を出た。

 大学へ続く坂を上る。構内に入ってからも坂を上り続ける。キャンパス最上部に屹立する棟のさらにその四階。一限の授業をここで行うのは嫌がらせ以外の何ものでもないのだが、今の俺ならば許せる。それに――

「あ、おはよう星野くん!」

 ――教室の真ん中あたりにいた、彼女の可愛らしい微笑みと、鈴の鳴るような声を聞いた瞬間、俺は危うく昇天するところであった。あぁ、赦す。もうすべてを赦す。世界が重ねたあらゆる罪愚行を、俺は心の底から赦した!

 さて、俺がなぜ世界の平和を顧みずにバイトを辞めるという勇気ある蛮行を完遂できたのか、その理由は推して知るべし。同じ専攻に所属する、美園奏さん――そう、恥ずかしながら俺は、秘めたる思いを彼女に寄せているのだ。故に、世界平和を捨てたのである! 世界平和を守っていたのでは、彼女と青春を謳歌することなどできぬ!

 というか残党狩りくらいレッドがいなくてもどうにかなるだろう。いや、どうにかできなくては、世界の平和を守る超総合株式会社J&Pは会社として失格だ。

 俺は美園さんのすぐ後ろの席に座った。途端に、可愛らしいウェーブがかかった茶色の髪から、ふわりと甘い香りが漂ってきた。思わずアルカイックスマイルを浮かべてしまうのも無理ならぬ話である。

 俺は出来るだけさりげなく話題を振った。

「そういえば、ようやく、バイト辞められたんだ」

「わぁ、おめでとう! 良かったね。ずっとブラックだって言ってたもんね」

「美園さんが応援してくれたおかげだよ」

「え~、そんなことないよ~」

 少し照れたような素振りを見せる美園さんも大変可愛らしい。それから美園さんは思い出したように手を打った。

「それじゃあ、丁度良かったね。『トゥモロー・ライセンス』今日公開だよ! 観に行けるじゃん!」

 そう言われた瞬間、俺は勝利を確信した。そして予想通りの、いや予想以上の、美園さんの優しさに感激した。これまで美園さんと重ねてきた会話はすべてこのための布石だったのだ。俺はまず、バイトがとんでもなくブラックであるということをさりげなく伝えた。学業がないがしろになったのはその所為である、と。これにより“不真面目な男”という印象を払拭。そして、映画を観るのが趣味だという美園さんに合わせて、映画のことを勉強した。話を合わせ、彼女の映画の好みを聞き出す。さらに、観たい映画はいつもバイトの所為で観に行けない、と言いながら、代わりに彼女が観てきた映画の感想を聞きまくった。そして、今後公開予定で彼女が観たがっている映画を探り、その公開日に合わせて辞職。こうすることで、彼女から先の台詞を聞き出し、満を持して俺は言うのである――

「ああ! そういえば今日からだったね! 良かったら、一緒に観に行かない?」

 ――と!

 決まった……会心の一言だった……。俺の胸中で拍手喝采が沸き起こる。文句なしのスタンディングオベーションだ。俺のこの素晴らしい恋の計略を前にすれば、諸葛孔明も黒田官兵衛も帽子を脱いで三顧の礼をするであろう。

 かくして俺の策略に見事はまった彼女は小首を傾げて微笑み、


「あー、ごめん。私、明日彼氏と観に行く約束してるから」


 ……こんな世界、滅びればいい。なぁ、そう思うだろう?

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