第7回参加作:魔窟考古学者と創世の壁画
霧で視界が悪い。
毒性の霧が充満するフィールドは、かつて多くの冒険者たちを屠ってきた、ダンジョンの最奥部だ。私たちだって長くはいられない。
酷使した目が痒い。が、掻こうにもゴーグルの向こう。というかここで掻いたら毒にやられる。叱咤するつもりで、強く瞑り、見開く。
「測距します!」
マスクを貫く鋭い声で、ワーレンが宣言すると、遠くから威勢のいい返事が返ってきた。すぐさま彼はトータルステーション――座標計測器――を覗き込み、微調整。と、一秒も待たずに測定終了の音が響く。
「えっくすまいなすごーななてんよんまるご、わいまいなすきゅうにーてんろくぜろいち」
呪文のように唱えられた数字列をメモし、「はいっ」と記録の完了を報告する。ワーレンはそれを聞くや否や、「次!」と相方に移動を求めた。
彼らが移動している最中に、メモの数字を方眼紙上に落とし込む。――X-57.405、Y-92.601――鉛筆は立てて、大きな丸は書かないように。小さく確実に点を打つ。打った点から少しだけ間隔を開け、隣の点の手前まで緩やかに線を引く。――よし、描けた。
うん、綺麗な等高線だ。マスクの下でにんまりしちゃう。
「標高レベル一上昇」
「了解」
ワーレンの指示に短く返し、次の座標指定に備える。準備完了。
「測距しま――」
その声は、大きなアラーム音に遮られた。時間切れだ。ワーレンが器械から目を離し、指示を変える。
「撤収準備!」
「「はいっ!」」
グループ全員の声が重なり、片付けに取り掛かった。五分とかけず撤収の用意が整う。すべての道具を持って、すべての記録を持って、私たちは一列に並んだ。
ワーレンが人数を確認し、頷く。
「確認完了。撤収!」
「「はいっ!」」
私たちは二列になって、この薄暗い地下空間から脱すべく歩き出した。
――今から約二千年前。
世界は、生きた魔窟ダンジョンに覆われていた。
天空を穿つ壮大な尖塔。
大地に巣食う広大な迷宮。
山脈の内に秘された神殿。
大小合わせて数千に至る数多のダンジョンが、私たちの生活のすぐ傍に、存在していたのだ。
そこは、人間を糧とする凶悪な魔物たちの生息域であった。魔物は普通の動物と違い、好戦的な種が多く、身体的特徴も攻撃に特化していたという。その上、倒しても倒しても、どこからともなく再出現するという特性を持っていた。
魔物への対処に、当時の人々は相当頭を痛めたらしい。倒すのは苦労する、倒してもいなくならない、放置すれば溢れ返る――どうしようもない話だ。中には、ダンジョンから魔物が溢れたせいで、隣接していた国三つが滅亡した、なんていう話も残っている。
そうして、必要に迫られ、魔物を駆除する専門集団が発生した。
当初は軍隊や自警団の延長線上にあったのだが、やがて彼らは独自色を強めていき、ダンジョン内部への侵攻を試みるようになる。
この変遷に関して、詳しく語り始めると長くなるから、ここでは割愛する――が、一つ大きな要因として、財宝の存在を挙げておかなくてはならないだろう。
ダンジョンには様々な財宝が眠っていた。金塊、希少な宝石、太古の巻物――それらを求め、魔を恐れず、死を厭わず、武器を片手に死地へと飛び込んでいった彼らを総称して、『冒険者』と呼んだ。
彼ら冒険者たちの活躍により、ダンジョンの最奥部にある“仕掛け”を稼働させることで、魔物の再出現を止められると判明したのが、おおよそ六百年前のこと。
そして、すべてのダンジョンが踏破されたのが、今から二百三十二年前のことである。
こうして、世界から“未知”は無くなった。
――と、思っていたのだが。
百十六年前。西大陸沿岸部を大震災が襲った。
それによって、イアー皇国――かつて『墓標の国』と称されたほど、多くのダンジョンを抱え持ち、ダンジョン攻略の最前線に立っていた国――が崩れ。
崩れたダンジョンの下に、遺跡が見つかったのだ。
隣国が調査団を派遣し、調査を行なった結果――
――そこは少なくとも二千年以上前において国の中枢部であったこと。
――“仕掛け”の部分は王族の墓であったこと。
以上二点の他にも、細々としたことがたくさん判明したのだが……この発見が、世界を激震させた。
つまりこれは『元々あった国に覆い被さる形でダンジョンが発生し、またその発生には、その国の王族が関わっていた』ということ。よって、『世界には最初から自然構造物としてダンジョンが存在していた』という定説が、根本から否定されたのである!
――しかし、“どうして、どのようにしてダンジョンが現れたのか?”という疑問は、いまだ不明。どんな仮説も証拠に乏しく、憶測の域を出ていない。
そこで、私たちの出番だ。
私たち『王立考古学研究所』は、ダンジョンの下に眠る遺跡を発掘し、調査・分析をすることで、ダンジョン発生の真相に迫ることを目的とする、研究者集団である。
今、世界は空前の“考古学”ブームであった。
偶然にも降って湧いてきた新たな“未知”。これを解き明かし、世界の起源を解明する――あぁ、これ以上の浪漫が他にあろうものか!
世界は未知にて満ちている!
旧イアー皇国東ダンジョン〈ウァルド〉遺跡。
霧のない二つ上の階層に、私たちのベースキャンプがある。そこを目指して、切通のような足場の悪い坂道を黙々と歩く。
「うーん……」
「どうしたの、ワーレン?」
列の一番後ろ、私の隣を歩く同期――ワーレンディア・スキピオが、少し首を傾げていた。彼は同期の中では一番優秀で、小班の班長を任されている。前後二期と比べても、彼以上の考古学者はいないとか。ちょっと誇らしい。
ワーレンは濃度計を見ながら、くぐもった声を出した。
「いつもより毒の蓄積が早かったような気がするんだ。今まで通りなら、あと三点くらいは取れたはずなのに」
「あー、言われてみれば、一昨日よりちょっと霧の色が濃かったかも」
するとワーレンは呆れた目でこちらを見た。
「マリアナ、いつも言ってるけど、そういうことは出来るだけ早く報告してくれるかな」
「言われるまで気付かなかったんだもん、仕方ないじゃない」
「言われる前に気が付いてくれ。君の色彩感覚には信頼を置いているんだから」
「はぁーい」
元気なお返事をしてあげたのに、ワーレンはまだ何かブツブツ言っている。よく響く足音のせいで聞こえない、ということにして、私はそっぽを向いた。
洞窟は狭く、その上いくつにも分岐していて、まるで酔っ払った蜘蛛が作った巣のようだ。地図が無ければ迷ってしまう。こんなところを、冒険者たちはどうやって攻略したのだろう。当時は魔物も跋扈していたというのに。そういうことを考えると、すごくわくわくしてくる。これだから考古学は最高だ!
三叉路を右に行く。――と、別の分岐の奥に、人影が見えた。
「っ、ねぇ、ワーレン」
「何?」
「あそこにいるの、トレジャーハンターじゃない?」
世界の起源に興味は無く、ダンジョンの意義に関心は無く、ただそこに眠る種々の財宝を掻き集め売りさばくことにのみ精力を傾ける――それが、トレジャーハンター。
彼らに奪われた遺物の数は、もはや数え切れないほど。貴重なものは時折買い戻すこともあるけれど、全部買い戻そうと思ったらお金がいくらあっても足りない。彼らに奪われさえしなければ、もっと研究が進んでいるかもしれないのに……!
単眼鏡でそちらを見ていたワーレンが、「うん、間違いないね。トレジャーハンターだ」と断じた。それから、二種類の計測器を取り出す。
「ええと、ここは……階層五のEブロックか」
座標と深度だけで、すぐに地図上の現在地を割り出せるのだから、ワーレンは優秀なんだ。たぶん彼の頭の中にはすべての階層の地図が入っている。……当然のことだ、って言われそうだけど。
「確認人数は六、と。よし、じゃあ行こう」
「え、警告に行かないの?」
ダンジョンは基本的に国の管轄下に置かれており、許可なく入るのは違法だ。当然、考古学研究所には許可が下りているが、トレジャーハンターたちは不法侵入である。不法侵入者は、発見次第即座に警告、場合によっては拘束することもあるのだが――
「この班は戦闘要員が少ないから、三人以上のハンターを相手にするのは危険だよ。それに、今は早く上がるのが優先。警告に行って毒にやられたら、元も子もないでしょ」
「うぅ……まぁ、確かに……」
「ほら、早くおいで。置いてくよ」
「あ、待って!」
さっさと歩き出してしまったワーレンを追って、私は小走りになった。
――その時だった。
「わっ!」
「きゃっ!」
大きな縦揺れが私たちを襲った。
地震!
容赦のない大きな揺れ。腹の底を揺さぶる地鳴り。私は壁に縋りついて、ずるずるとしゃがみ込んだ。空気がびりびりと震えて、今にも弾け飛びそうだ。壁にも亀裂が走り始めている。
(嫌だ……お願い、早く収まって……っ!)
すっかり縮み上がった心臓が、暴れ馬のように早鐘を打ち鳴らす。
「マリアナ、こっちへ……」
呼ばれて、私はどうにか前を向いた。ワーレンがこちらに手を差し出している。私は壁を頼りに、そろそろと立ち上がった。
(ワーレンのところまで行けば、大丈夫……)
彼の手を取る――その、直前だった。
轟音とともに地面が崩れた。
一瞬、何が起きたのか分からなかった。体がぐらりと傾き、内臓が持ち上がる感覚に襲われて、ワーレンの手が遠退く――
――嘘、私、落ちてる!
「あ、わ、あああああああああっ!」
「マリアナっ!」
私は闇に呑み込まれた。