09:サメに! サメに!
ネットで手軽にできる大して信憑性もないようなIQテストの結果を後生大事に誇り散らかしてるやつらが作戦会議を始めたので、僕はその場からちょっと離れて携帯を弄り始めた。あんな場所にいると根拠も何もないのに自分の知能に自信を持ち始めてしまう。
「……よし、点いた」
あれだけ濡れたのにまだ反応する。充電も、まあ十分とは言い難いけどそれなりに残ってる。着信履歴から選択する。もちろん宛先はレリア。
正直、そんなに悩む話でもないのだ。
あんな自称軍師くんが大量に雁首揃えてきたときは一瞬気が遠くなってしまったけど、よくよく考えてみれば大したことでもない。この世にはレリアがいるのだから。この国丸ごと滅ぼすっていうことは少なくともその時点で無理だろう。となるとあとは、レリアが事態に気付いてくれるまで僕が生き残れるかどうかが問題なのだ。いや、宇宙的なスケールから見たらそれだって大した問題じゃあないと思うんだけど、僕はちっぽけな人間なのでちっぽけな出来事ばかりが問題として浮き上がってしまうのだ。
何も、レリアが自分で気付くまで見守る、みたいな指導業務を完全に無視した会社の上司みたいな態度でいる必要はない。電話をかけて、いつもどおりに伝えればいいのだ。こんにちは、情けないお兄ちゃんです。今日も今日とて一家の恥を晒しておりますが、どうぞお助け願えませんでしょうかお侍様。代わりと言ってはなんですが、妹様がご高覧なさりたいソーシャルゲームのシナリオをあらかじめすべて解放しておく仕事に日々従事していきたいと思っておりますので。
プルルル、とコール音。
がちゃ、と音がして、
「あ、レリア――!」
『レリアです。ただいま――』
なんだ、と力が抜けてしまう。声がリアルタイムのそれじゃない。これは、留守番電話だ。
『ただいま、お兄ちゃんのことをあんまり考えたくないモードなので電話に出ることができません』
「メッセージがピンポイントすぎない!?」
ええ!?
これ僕以外の人間からかかってきたときどうするつもりなの!?
『というのは冗談で、映画館にいるので電話に出ることができません』
「な、なんだ冗談か……」
ほっと僕は安堵の息を吐いた。てっきり人生いきなり全部終わったのかと思っちゃった。いや、レリアに嫌われるとライフラインが断たれたようなものだからそう遠からず餓えて死ぬっていうのもそれだけど、もっと喫緊の問題として、助けに来てもらえないとこの軍師軍団によって船頭多くして城海に沈むみたいな感じで死んで人生が終わっちゃうのだ。でも大丈夫。映画が終わったらいつもみたいに助けに来てくれるはずだからね。
『それから、いま見ている映画が「女装お兄ちゃんと私の500日の休日 is strange」というピンポイントすぎる内容で、しばらく気まずくなるので話しかけないでください』
「人生終わっちゃったよ!!」
『でも嫌いになったとか反抗期が来たとかじゃなくて、単に気まずいだけなので、一ヶ月くらいしたら普通に話しかけてください』
「気まずさの持続期間が長すぎるだろ!! その頃僕はすっかり墓の下だよ!!」
『やっぱり二ヶ月くらい』
「四十九日も超えちゃってるよ!!」
く、くそう! 誰だ、そんなピンポイントな映画にレリアを連れ出したやつは! というかレリアもそんな映画見るなよ! これたぶん映画館に入る前にわざわざ携帯に吹き込んだんでしょ? そんな確固たる意志で映画を見るなよ! あとこれ僕がたまたま留守電に入れなかったらずっと理由もわからず向こうから気まずい感じの空気を醸し出されてたのかよ! もしそうなったら自分の悪いところを自由帳とかに書き出して憂鬱な気持ちになるところだったよ!
ええい、それでも知ったことか。多少気まずかったところで、ちょっと我慢して助けてもらうしかない。そういうことのが日々降り散り積もっていずれ本当に「この人ムリだわ……」っていう感情に繋がってしまうのかもしれないけど、これからいくらでも挽回していこう。命あっての物種なのだから。
『その他ご用件のある方は、ピーという音の後に、』
ようし、ここだ。ここでありったけの情けなさを発揮して命乞いのメッセージを送るぞ。顔面鼻汁まみれにして盛大に助けを求めよう。尊厳なんていうのは強い人間だけが持てる贅沢品なんだってことをわからせてやる。
『「竹垣に竹立てかけたのは竹立てかけたかったから竹立てかけたのだった」と三回唱えてから心を込めてメッセージをどうぞ』
「たべっ」
プー、プー、プー。
電話が切れました。
あと、充電も。
そうして、僕はこんな風に呟く羽目になる。
「人生、終わっちゃった……」
<゜)))彡
「おう、レリア。どこ行ってたんだ?」
「あー、えっと……トイレです」
「っと、悪い。無遠慮だったな」
「いえ、お気になさらず」
戻ってきたら、なぜかゼット一人だけになっていた。
僕はきょろきょろ辺りを見回しながら、
「他の皆さんは?」
「あいつらはちょっと下の様子を見にいってくるって言ってたぜ」
「下の様子を?」
「『増水してるところ見てェ~!』って言ってよ」
うーん。
せめてもうちょっと自称軍師っぽい行動をしてほしい気持ちがあるぞ。
「ゼットさんは行かなかったんですか?」
「まあ、もう見てきたしな。それに一人くらいはここに詰めてねえと、連絡係もいるだろ。……っと、早速だ」
ぴりりり、と電話が鳴って、ゼットさんが取る。
それをそっちのけで、僕は考えていた。何をかっていうと、もしかしてこれは何かの機会なのかもしれないってこと。
生まれてこの方ぼんやり暮らしてきた。
家族仲だって全然いい方だし、レリアとは年も離れてないから、困ったときにはいつでも頼ることができた。それが今回、いきなりこんな場所に放りだされてる。
これってもしかして、試練なんじゃないのか?
一体その試練を超えたところで何があるのかなんてことは全然知らないけど。正直僕はこんなぐだぐだの生活を送っているにも関わらず自分のことが大好きだから、何か別の物に変わろうとする気持ちだって、これっぽっちもないけれど。
でも、漫画を読んだり映画を見たりして過ごしていれば、目の前に試練があったらとりあえず超えたくなってしまうわけで。
そしてその試練の先には、何か途轍もない報酬が待っているような気もしてしまうわけで。
うん、そうだな。
ちょっと遅くなったけれど、ポジティブに考えよう。このサメ騒動を独り立ちの機会だと考えて――
「……オイ、なんだって? 全っ然聞こえねえぞ!」
ゼットが電話に向かって叫んでいる。
よし、早速だ。ちょいちょい、と僕は自分を指差して、ゼットにアピールする。
「あん?」
「耳、結構自信がありますよ」
なら頼む、と言ってゼットが携帯を渡してくれた。
『――マ――――流さ――』
確かにノイズがひどい。とりあえず、通話音量を最大に。
耳に自信がある、というのは言いすぎだけど、人よりは結構聞き取れるほうなんじゃないかと自分では思っている。普段から音量バランスがめちゃくちゃな低予算映画を見たりしているから、これ聞かせる気ある?みたいな音だって聞こうと思えば結構文字起こしできたりするのだ。
『――サ――――食わ――』
声の感じはイーロだ、と思う。バーベキューソースをゼットに渡すかどうか悩んでいた男。結局、彼はゼットにそれを渡せたんだろうか。
なんてことを考えていると、電話の向こうで、バシャンとか、ガシャンとか、思わず顔を顰めてしまうようなあまりにも大きな音が響いて、
その後、急に音声がクリアになった。
『全員流された! サメが! サメが! 食われ――――グァアアアアアアアッ!!』
プー、プー、プー。
切れた電話をゼットに渡しながら、僕は溜息を吐いて、腰に手を当てて、天井を見つめて。
独り立ちのための試練っていうか。
先立つことの不孝とか、そっちに近いかもしれないと思っている。