08:タイプ無職
「休んでる暇はねえぞ!!」
ゼットの言うとおりだった。どんどん水嵩は増している。このまま行くと、さっきと同じ轍を踏むことになる。
ダッシュだ。
最上階まで、階段を駆け上がるのだ。
ゼットは足が長いから三段飛ばしでどんどん高度を上げていく。一方で僕は階段のない家に暮らしているからこういう場面ではとてつもなく弱い。人間の能力というのは大抵の場合才能ではなく環境が作る、ということの好例だろう。僕は階段が苦手なんだ。動悸息切れ目眩に襲われ、挙句の果てにはこの地形が人生の似姿にすら見えてくる。ゼットみたいなエリート育ちはたとえいっぺんくらい没落したとしてもこうして社会的地位をエスカレーションさせていく。一方で僕はどこにも行くことができず魂だけが抜け出てアセンション。インターネットでオカルト板まとめでも見ているのがお似合いの男……。
「どうした! レリア!!」
「こ、ここは僕に任せて先に行ってください……。僕はこの先の戦いについていけそうにもない……」
「自信があるのかねーのかどっちなんだ!!」
ゼットが駆け下りてきた。
そんな……こんなウジ虫相手に親切にしてくれる人、家族以外にいないと思ってた……。いやそうでもないか……。僕結構友達いたわ……。
「足でも怪我してんのか!?」
ゼットが僕の足に手で触れた。運がよかったな。これが本物のレリアだったら顔面ボコボコにされて前歯全部なくなってたところだぞセクハラ野郎。心配してくれてどうもありがとう。
「なっ……お前! こんな傷……!」
え?
ゼットが言うので、僕も自分の足を見てみた。
ばっくり。
カマイタチにやられた人みたいに、ふくらはぎが裂けていた。
うお、どこで?
さっきの海に落ちたときになんかで擦ったのかな? 隠し包丁みたいに綺麗に切れているから、本当に漂流する包丁とかでやっちゃったのかもしれない。
「こんな傷で歩けるわけがねェーだろうが! なんで言わねえ!」
そんなこと言われましても。
正直、怪我なんてろくにしたことがないから痛みとかしてても筋肉痛と区別がつかないのだ。たとえば僕は結構ぼーっとした生き方をしてるから、もっと小っちゃいころに蝶々を追いかけて崖から落ちたことが五回くらいあるけど、大体そういうときはレリアが傍にいるので、空中でキャッチして華麗に着地してくれるのだ。おかげさまで生まれてこの方味わったことのある痛みの最大値はタンスに小指を擦ったくらい。こんな今後も傷が残りそうなレベルの傷を負ったところで僕の身体はこう叫んでしまうのである。「なんかヤバくない? ……無視しとくか」嫌なことは無視しておけばそのうち消えるかもしれないと思っている。そういう風にして社会から脱落していく人々へ。僕は仲間です。
「乗れ、俺の背中に!」
ゼットは言いながら、でも「乗れ」っていうか「乗せるぜ」って感じで僕の身体を有無を言わさず抱え込んだ。
「少しの間とはいえ助け合った相棒だ。見捨ててはおけねーぜ!!」
ゼットは僕を抱えたまま、どんどん加速していく。すごい脚力だ。オリンピック選手かな? 僕たちに迫っていた水面もどんどん遠くなる。
そして僕は、ちょっと安堵していた。
これだけヤバイ怪我をした状態なら、この危機的状況でレリア役の僕がドドド無能でもそんなに不自然じゃないだろう。
うむ、一件落着!!
<゜)))彡
「シャークハート家に伝わる秘伝の傷薬だ。十分もすれば傷口もある程度は塞がるはずだぜ」
「わ、わあ……。うれしいなあ……」
現実はそんなに甘くなかった。
ゼットが僕を抱えて駆けこんだのは、革命軍のアジト、もとい城の屋根裏部屋だった。
相変わらずそこにいたのはガスマスクを被ってる公爵と、黒い覆面の怪しい七人組。僕らが入ってきた瞬間までハンバーガーを貪り食ってたらしく、二人で飛び込んできた瞬間にしゅこっ、と全員マスクを被ってこう言った。「の、ノックくらいしてよ!」
僕はびしょ濡れの身体を拭いた後、ゼットから貰った薬を足に塗り込んでいる。うひー、染みる。
「サメだぜ、親父! 城が水没して、サメが襲ってきやがった! 今ごろ十階までは全滅だ!!」
「なんと……」
その間に、ゼットは公爵に事情を説明してる。そして公爵はそれを頷いて聞いている。頷けるんだ、その内容で。
「アーニャが、帰ってきたのかもしれんな……」
「姉貴が?」
「ああ。いい機会だからゼット、お前にも話そう。このシャークハート家に伝わる因縁の話を……」
余ってた自分の分のフライドポテトを貪りながら、僕もゼットの後ろで話を聞くことにした。他の覆面たちも同じ気持ちらしい。コーラとポップコーン片手に、僕の隣に並んだ。
「古い話になるが、かつてこの王国の地を治めていたのはサメだった……」
「サメが?」
「ああ。サメによる残酷で暴虐な支配が行われ、周辺一帯には髑髏が散乱する。それがかつてのこの土地だ。そしてそのサメたちの王が、キングシャーク」
僕の隣に座っていた覆面の人がこそこそっ、と訊いてきた。
ねえねえ、バーベキューソースって結局どうだったの?
いやー、ちょっとダメでした。厨房が水没しちゃってて。
「そして初代の王は、そのキングシャークと交渉することでこの地を得た」
「おいおい。初代の王は、この地に巣食う魔物を武力で制圧したって話じゃ……」
「それは表向きだ。真実は違う」
「……クソが。ここでも『真実』の話か」
マジか。実はさー。ゼットさんの分のバーベキューソース俺の方に紛れ込んでたみたいなんだよね。
え、そうなんですか。
そう。同じチーズバーガーセット頼んでたからさ、俺とゼットさんで取り間違えちゃったみたいで。俺ケチャップ派なんだよ。
「引き換えにしたのは文化だ。人間がサメに唯一勝っている点だな。キングシャークは王へとその権限を明け渡す。一方で、王はキングシャークの子々孫々へ、文化によって生まれた様々なものを提供し続ける」
「……おい、まさか」
「そのまさかだ」
でさー、今さら言い出せないからちゃちゃっと入れ替えちゃいたいんだけど、協力してくんない?
えー。
いやだってさ、無駄足踏ませてサメに襲われてー、ってなったのに「俺が持ってました、実はね」とか言ったら印象悪いじゃん? 俺結構、職場の雰囲気に敏感なタイプなんだワ。
「キングシャークは、のちに人と結ばれた。その子は公爵としての地位と、姓を与えられた。その姓は……シャークハート」
「つまり俺たちは……サメの子孫だってことか!?」
「遠い昔の話だ。もはや血もそこまで残ってはいまい。……そう、思っていたのだがな」
でもさっき、ゼットは「嘘吐きは殺さねえと気が済まねェーッ!」って言ってましたよ。
マジ? うっそ……。結構優しい人だと思ってたんだけど。超ショック……。
なーに言ってんですか。そりゃもう夜食ですよ。
わはは。オモロ。
「アーニャが帰ってきたのだ。我らの一族の心臓に流れる残虐な血に魂を支配され、かつての契約を破った王を殺すために。そしてその王を許してきた私たちを皆殺しにするために……。ここでのんびりしている場合ではないな。娘とはいえ、そのサメをどうにかしないことにはこのサメの嵐は終わらない。私たちだけではなく、すべての国民が死に絶えることになるだろう」
「そんな……」
ゆえに、と公爵は言った。
「我らの手で、キングシャークの逆襲を止めるのだ!」
おうよ、と言って覆面たちが立ち上がる。それで僕はようやく安心した。革命軍ってことは、それなりに強いんだろう。たかがサメの一匹くらいに勝てないはずがない。うん、そのはず。なんかさっき超不穏な話も聞こえてきたけど、ちゃんと聞いてないことっていうのはこの世に存在しないのと同じだ。真実なんてその程度の価値しかない。僕はインターネットに詳しいから知ってるんだ。だいたい人間の言うことなんて「私はこういう立場に立っていて、こういう言説を信じることで自身の人格を定義しています」という声明程度の意味しか持たないんだ。急に何の話?
覆面たちが、バッ、とそのマスクを取った。
おお、圧巻。そして自己紹介が始まる。
「俺の名はイーロ。ネットでやったIQテストでは134だった。ま、軍師タイプってとこだな」
「私はハニー。ネットでやったIQテストでは135だったよ。そうだなあ、結構軍師タイプかも」
「僕の名前はホッヘです。ネットでやったIQテストでは136でした。強いて言えば軍師タイプ……かな」
「わらわの名前はトーチじゃ。ネットでやったIQテストは134。軍師タイプじゃな」
「わたくしの名前はリヌール。ネットでやったIQテストでは136でしたわ。軍師タイプですわね」
「俺様の名前はヲーワッガ。ネットでやったIQテストは133だ。軍師タイプ以外に適性があるなら教えてほしいね」
「我の名前はヨ=タレソーツネ。ネットでやったIQテストは138。軍師タイプの他に見えるとしたら、眼科を紹介しよう」
うん、と僕は頷いた。
この国は終わりだ。