06:Call of Shark
「落ち着いて考えましょう」
僕は言った。ものすごい嵐の中にありながら、あくまで冷静を装って。
状況は最悪、ってほど最悪ではない。別に窒息するまであと何秒、ってわけでもないのだ。雨風は体温を奪うから余裕しゃくしゃくってほどでもないけど、すぐ死ぬわけじゃない。だから、まずはやるべきことの確認。
「とりあえずは建物の中に入る。そして最上階への避難を目指す。それで目標はいいですか」
「これ以上ないくらいの同感だぜ。とはいっても、言うは易し、ってやつだがな」
どうすんだ、とゼットさんは言う。
「どっちが城だったのかもうわかりもしねー。どうする? 沖の方に流れちまったら、避難どころの話じゃねーぜ」
「そうなんですね」
「ああ。遭難ですね、ってやつだ」
ということで僕はポケットから携帯を出した。普段から僕は水風呂とかに浸かりながら永久に五時間くらいの耐久ゲーム配信を見て家族から多大な反感を食っているから、当然防水仕様は完璧。
地図アプリを起動した。
「城の方向は……こっちです」
「マジかよ。いまどきの携帯アプリってそこまでわかんのか?」
ゼットさんは画面を覗きこんで、
「おいおいおい! 遠ざかってるじゃねーか! このままじゃ沖に流されちまうぜ!」
「漕ぎましょう!」
「ったりめーよ!!」
うおおおお、と僕らは雄たけびを上げて、ぱちゃぱちゃと水面に手を差し入れた。
「クソッ! ダメだ! いくらなんでも手じゃあ……、レリア! オールとか持ってねえのか!?」
「持ってるわけはないですけど、」
「けど!?」
「ここに入っている可能性はあります!」
言って、僕はたったいま僕たちのボートとして大活躍中であるところの冷蔵庫を開いた。携帯のライトで中を照らす。
「ゼットさんも探してください! 何か棒状のものが入ってるかもしれません!!」
「んなこと言ったって……いや待て! こっちの冷凍庫なら可能性がある!」
がさごそ、と冷凍庫の中に顔を突っ込んで、ゼットさんは何かを引き抜いて空に掲げた。
「これならいけるぜ!」
凍った豚足だった。
なるほど、と僕は思った。確かに棒状だ。これならオールの代わりに使えるかもしれない。
うおおおおお、とまたも叫んでゼットさんが冷蔵庫を漕ぐ。けれどそこでさらに問題が発生した。
「ぜ、ゼットさん!」
「なんだ!?」
「回っています! コーヒーカップみたいにくるくると!」
片側だけを漕ぐ力が激しいからだ。ずっと左折を繰り返すペーパードライバーの運転みたいに、どれだけの時間をかけても同じ場所に戻ってきてしまう!
「豚足はもう一本ないんですか!」
「ダメだ! 豚足は一本しか入ってねえ!」
「畜生! なんで豚足が一本しか入ってないんだ! 豚の足は人間と違って四本もあるっていうのに! ……はっ、そうか!」
豚だけに畜生でしたねハハハ、という自分が口にした面白ギャグに気付いたわけじゃない。もちろん僕は初めからそことそこをかけるつもりで畜生と叫んだんだから。
気付いたのは、人間、っていうところ。
「レリア、お前何してる!?」
「探してるんです!」
「何を!?」
「足ですよ、足!」
さっきの光景を思い出してみればいい。バラバラになってぷかーっと浮かんでいた人々の死体を。あれだけたくさんの四肢が散乱しているんだったら、多少沖の方に出たとしてもまだ僕らの周りにある可能性が高い。水の中に手を突っ込んであっちこっちを探ってみれば、ぶに、とふやけた感触がした。
「よし、獲った! どーだ!」
天高くにそれを掲げれば、どこかで稲妻がビリビリぴっしゃん、と物凄い音を立ててこの星に落ちてきた。気分は聖剣、人の足。
「こっちも全力で漕ぎます!」
「オーケー! そっち側は任せたぜ!」
うおおおおお、と今度こそ僕らは叫び声に足るだけの進捗を生み出した。すでに死後硬直が始まってるおかげか、膝のところでオールが折れ曲がることもない。ぐんぐん冷蔵庫ボートは進んで、ようやく雨闇の中に城の影が見えた。
「いいか、このまま近付いて行って、窓からあの城に飛びう――――うおゎッ!」
「ゼット!!」
そのとき、ぼかん、と大きく音がして冷蔵庫が飛び跳ねた。座礁でもしたような衝撃。不安定な体勢になっていたゼットがボートから転落した。
「が、ガッごご――!」
「ゼット、手を!!」
僕が手を伸ばす。ゼットがそれを必死で捕まえる。体重差がかなりある。正直だいぶきつかったけど、そこはさすが、水の浮力。なんとかゲッホゲッホとやりながらゼットを引き上げることができた。
水を吐きながら這いつくばって、ゼットは言う。
「た、助けられちまったな……!」
「さっきのと、おあいこ、です……!」
息を整えて、それからしまった、と気付く。
「オールを落としてしまいました……」
「いや、構わねーぜ。ここまで来れば手だけでもなんとかなる。が、それよりも問題がある」
「問題?」
「何が俺たちの船を揺らしたのか、ってことさ。座礁だったとしたら、これ以上は船では進めねーってことになる」
座礁、と僕はもう一度繰り返した。確かにさっきの感触は、それに近かった。船底に何かがぶつかってきたような感触だった。
でも、
「こんな高度で座礁なんて……」
「俺もそう思うがな。頼む、携帯のライトでそのへんを照らしてみちゃくれねーか? 俺のは自分の部屋に置きっぱなしでよ」
構いません、と僕はライトアプリを起動する。カメラのフラッシュと同じ光量を常時発することができるけれど、充電の消費が著しいから取っておいたのだ。
「うっ!」
「これは……」
ついさっきと、同じような光景が広がっていた。城から溢れ出してきたと思しき大量の家具。それから人の死体。
「ひょっとして、九階だけじゃあねーのか? 一から八階までのやつらも、魔物に食われちまったっていうことか?」
「そうかもしれません。……どうしてあんなに人が死んだり浸水したりしているのに、僕たちが降りていくまで何の放送もなかったのか気になっていたんです」
「登場人物全員が死んじまった怪談話は誰にも語られることはねーってか? ぞっとするぜ、正直よ……」
そんなの僕だってそうだ。
まったく、妹の代わりにちょっとしたお使いに来ただけのはずだったのに、とんだ一日になってしまった。
まあでも、今のところ自分は生きているからヨシとしておこう。
自分よければすべてヨシ!
「どうやらさっきの衝撃は、この海に浮いているものと接触を起こしただけみたいですね。これだけの密度だとそう考えるのが自然でしょう」
「ああ。……いや、待て」
「なんです?」
「静かに。……なんか聞こえねーか?」
耳を澄ませ、と言うので僕もゼットと同じように口を噤んで、耳元にメガホンを作った。
聞こえてくるのは雨の弾ける音と、風のごうごうと叫ぶ音。遠くの海は世界ごと飲み込むような不気味な音を立てている。
でも、
「何も聞こえませんよ」
「いいや、聞こえる! 聞こえてるはずだ……!」
「何がです?」
「叫び声だよ!」
「そんなの聞こえて……」
「馬鹿な!!」
ゼットさんが立ち上がった。
「聞こえねーってのか!? こんなにハッキリと、悲痛な、そして凶暴な声が響き渡ってるっていうのに、お前の耳には何も聞こえてねーってのか!?」
「落ち着いてください、ゼット。生存者の声が聞こえるということですか? だったらそっちの方向に舵を切り替えても、」
「違う!!」
そのとき、僕は気付いた。
嵐に煽られて僕を見下ろすゼット。水も滴るナイスガイ、という感じの彼の表情に、ある感情が明確に浮かんでいる、ということに。
それは、恐怖だった。
「これは――――サメの吼え声だ!!」




