24 星の海に泳ぐ
「や、やったか!?」
という声を、たぶんゼットが上げちゃったんだろうな、と思った。
確かに、レーザービームはピークに向かって直進していった。
僕らが襲われたときと違って、今は晴天下だ。威力も射程もケタ違い。
けれど。
「こ、この、死にぞこないどもがァ~ッ!」
ピークは、生きていた。
単純な話だ。武器を正確に扱えるのは、ほとんどの場合人間だけ。どうしてかと言えば、その武器を扱うために進化してきた手を持っているからだ。
一方で、ゼットとそのお姉さんは、いま、サメだ。
だから、狙いが定まらなかったのだ。
「いいだろう……! そんなに死にたいなら、貴様らから先に殺してやる!!」
シャークミサイルの矛先が変わる。ゼットたちのもとに降り注ぐ。
もう作戦は、あとひとつしかなかった。
大きく、クラクションを鳴らした。
それだけで、通じると信じて。
結果は見ない。
それより先に、僕はアクセルを踏んでいる。
行く先は、ピークとゼットの、ちょうど中間地点。
スピードメーターが振り切れる。ちょっとハンドルを動かすだけで横転しそうになる。車体が軋む。それでも走る。
そして、作戦は、ゼットに伝わった。
「ナイスアシスト!」
「どこにビームを撃っている!! とうとう理性がなくなったのかァ!?」
レーザービームは、ちょうど僕の進行方向に撃たれた。
とてつもない威力。それが水面を薙ぐ。もちろん水は気化して、もくもくと真っ白な蒸気が立ち上って。
そして、空気の急速膨張。
それによる、衝撃波。
乗りこなすべき大波が、あの白い霧の奥にある。
「――――やるぞ」
僕は目を瞑った。
もう、ここから先は視覚なんて役に立たないから。
じゃあ、あとは何が役に立つ?
もちろん、運と、直感。
たったそれだけ。
全身で感じていた。揺れる水面を走破していくトラックの感触を。かつて令嬢の恋心を海へと葬り去った呪われた道具の、その魂の在処を。
そうしたら、聞こえた。
『――――頑張って!』
誰の声だか、わからなかった。
たぶん、一生、ずっと、わからないんだと思う。
だってそれは、たった一人の声じゃなかったから。
「今のは――――」
僕にはわかった。
今のは、このトラックに託された、数多の令嬢の思念だった。
ピーク=フィンドールによって利用された令嬢たちの、それでもその支配を逃れて残った、僅かな想念。
処刑器具としてのトラックじゃない。
この場所に、サメの力を積み込んで、彼女たちの復讐をお届けにあがった怨念装置としてのトラック。
それに対して懸ける彼女たちの思いが、トラックを包み込んでいたのだ!
トラックがさらに加速していく。サメパワーじゃない。怨念の力だ。浮気男と寝取り女に対するあまりにも強い恨みのパワーが、どんどんトラックを強化していく。そして僕の第六感も! そんなものに包まれてしまって僕は著しく体調が悪くなってきた。早く帰って優しい映画を見てゆっくり眠りたい。
でも、今は。
とりあえず、何もかもを終わらせるしかない!
「――――こ、こ、だぁあああああ!!!」
ハンドルを切る。ブレーキも、一瞬だけ。
ドリフト。
成功だった。
途轍もない勢いで、トラックが大波の壁を駆け上がっていく。白霧の中で、ターゲットの姿はまるで見えてない。でも、確信がある。めちゃくちゃ令嬢の怨念パワーが盛り上がっている。僕の頭の中で死ぬほど熱狂している。だから大丈夫。
絶対、仕留められる。
「な――――貴様ッ!?」
「ほら、ね」
白霧を抜けた。
夜空が、ずっと近くにあって。
令嬢ザメの頭上を、きっぱりはっきり飛び越して。
ロケットみたいな速度で波を駆け上がったトラックは、いつの間にやら先端にドリルがついていて。
何のボタンも押していないのに、令嬢たちの怨念が、そのドリルを高速で回転させ始めた。小規模な竜巻まで起こるような、途方もない激しさで。
死角から突然現れた僕らに、当然ピークは反応できなくて。
「馬鹿な……そんな、そんな馬鹿なァあああああああッ!!」
「必っ殺!!」
頭の中の皆が、言え言えってうるさいから、僕は仕方なく、
「人の恋路を邪魔するやつは――――」
めちゃくちゃ爽快な気持ちで、叫んだ。
「トラックのドリルにぶっ刺されて死んじまえミサぁああああーイル!!」
ぶつっ、となって。
どかん。
それで、全部がお終いだった。
<゜)))彡
クラクションを、軽く鳴らした。
「乗らないの? お兄さん」
「…………全部、終わったんだな」
水面から顔を出している、サメに。
半身は夜の海の中だから、お腹のところにある「Z」の文字だって見えてないのに、どういうわけか、僕はそのサメが、僕の探していた人間だっていうことがわかった。
「最後に……俺ァ、ちょっとくらいは役に立ったか?」
「そりゃあもう。これ以上ないくらいですよ。トラックに憑りついていた怨念お姉さんたちも大絶賛です」
「なんだそりゃ」
くくっ、と笑って、
「お前もわからねーやつだな。相棒」
「帰ったら病院に行きますよ。それか霊媒師になります」
「あー……。確かにお前、なんかそういう仕事向いてそうだな。トラブルを解決する仕事」
「冗談。もうこんなのコリゴリですよ」
「何言ってんだ。十万匹も魔物を殴ってるやつがよ」
「あ」
そういえば、そんな設定もあったな、と。
今頃になって、それを僕は思い出した。
「俺はさ……もうダメだ」
ゼットが、空を見ながら言った。
「あの女の言ったとおりだな。もう俺に、人間になる力は残されてない。……それどころか、サメとして生きていく力も、な」
目を凝らせば、彼を取り巻く水の色も見える。
黒よりも、ずっと黒い黒。
血の色。
「ちったあ、タフなつもりだったんだがな……」
「つもり、じゃダメだったんでしょうね」
「へっ……。最後の最後まで言ってくれるよな、お前……」
そして、彼は。
きっと、最期のつもりで。
あまりにも、安らかな声で。
こう、言った。
「最期の最期に、お前みたいなおもしれーやつと出会えて、楽しかったぜ。
……俺のこと、忘れないでくれよ、相棒」
月が、僕らの間に横たわっている。
丸い姿を、ときおり風に歪めながら。幾千幾万の星が一つ残らず映り込む、本物の星の海みたいな水面に、ゆらゆらと揺れている。
「……ところで、なんですけど」
だから僕は、言った。
「どうして、こんなに長い間救助が来なかったのか、不思議に思いませんか?」
わずかに、サメの目が動いた。
一体何の話をしてるのか、という風に。
「だって、城が水没しているんですよ? だったら、何を押してもヘリコプターを飛ばして王様を助けにするくらいのことはするはずでしょう。なのに、どうしてそうならなかったんだと思います?」
僕は、その答えを知ってるから。
彼に、笑いかけて。
「ピーク=フィンドールが、どうにかしてこの場所を外から見えないようにしていたからです。……理屈は知りませんし、もう知りようもありませんが、一つだけ、確かなことがある」
遠くから、声が聞こえてくる。
懐かしい声。
生まれて、少ししてから、ずっと近くにいた、親しい人の声。
「今なら、誰かが助けに来てくれるってことです。
たとえば、僕のことをいつも心配してくれてる、素敵な妹とかがね」
「――――お兄、ちゃーん!!」
空から降ってくる声に、僕は手を振って答える。
一方で、目の前で、彼は茫然としたような顔で。
「……俺の見間違えじゃなければなんだが」
「ええ」
「お前と同じ顔をした女の子が、空を飛んでるように見える」
「奇遇ですね。僕も同じ光景が見えています」
「あと、俺の聞き間違えじゃなければなんだが」
「なんですか?」
「お前はさっきから、自分のことを『僕』って言ってるし、あの子はお前のことを『お兄ちゃん』って呼んだような気がする」
そうですね、と僕は頷いて。
とうとう、言った。
「こんにちは、ゼット=シャークハート。僕はレリアの兄です。
妹にはまるで何も及ばない非才の身ですが、今日は城まで代理で、彼女に授与される賞の受け取りに来た次第です」
「――――――――」
しばらく、彼は言葉を失って。
やがて、大きな声を上げて、信じられないくらい長い間、笑っていた。
笑いが終わりかけた頃に、僕は言う。
首を横に振ったりしないよね、という確信を持って。
「まさか、今さらこんなことで、嘘吐きなんて言ったりしませんよね?」
「――――ああ、言わねーよ」
呆れた口調で。
星の海に身体を投げ出して。
彼は、言った。
「とんでもなく、おもしれーヤツ…………」




