17 シャークな阿修羅 略して阿シャ羅
「にしても、こいつはどういうことだ?」
「サメ人間ですよね」
「いや、それはわかるけどよ……。そもそもサメ人間がなんだよって話だよ」
そんなこと言ったら人間自体がなんだよって話をしたくなるけど、前にレリアから「お兄ちゃんのその論法、友達なくすからやめた方がいいよ」って言われたことを思い出してやめておいた。ちなみに僕は友達のほとんど全員から「お前それ友達なくすからやめた方がいいぞ」って言われたことがある。それでも普通に友達はいるままなので、たぶん自分が気付いていないだけで僕には欠点を補って余りある美点があるんだと思う。それかみんながみんな「こいつは俺がいないとダメなんだ……」って同情してくれてるか。それはそれで才能だと思うけど。
とりあえず、死体の手を取った。
そして、指の爪を見た。
「……ひょっとすると、これ。パリピ三世の取り巻きの一人じゃないですか」
「何?」
「だってほら、見てください。ネイルがしてある」
カラフルなストーン付きの指を、ゼットの目の前に示してやった。
「恰好もそれっぽいですし……」
「ってことは、取り巻きにサメ人間が混ざってたっつーことか?」
「……いえ。どちらかと言うと、サメ人間になったんじゃないでしょうか」
「ゾンビ映画みたいに?」
おいおい、とゼットは両手を広げる。
「サメに噛まれた人間はみんなサメ人間になるってか? 勘弁してくれよ。何人が死んだと思って――」
「水」
「あ?」
「水です。この部屋まで……」
ちょろろろ、と扉の向こうから水が、この部屋に流れてきていた。
僕もゼットも、凍り付く。
「……なんだと。水位の上昇は止まったんじゃなかったのか?」
「止まってなかったんでしょうね。目の前の状況を、冷静に判断するなら」
そして、水位の上昇が止まっていないってことは。
つまり。
「この部屋から逃げますよ!!」
僕が一足先に飛び出した。
そして、驚愕のものを見せられる羽目になる。
「さ、サメ人間の……大群!」
それは、行進だった。
ざっざっざっ、と。さっきのサメ人間みたいな水着姿のもいれば、スーツを着たのも、はたまたコック服の人間までいる。そしてどこで習ったんだよその整列は、って言いたくなるような完璧さで僕らに向かってきている。体育教育における集団行動という科目が持つ暴力性みたいなものを僕は感じた。僕はあれが嫌すぎて一回自ら気絶したことがある。だって、なんでろくに知らないような大人の命令に従って走って集ったり離れたり奇妙な動きをさせられなきゃいけないんだ。笛とか吹かれて。動物の調教じゃないんだぞ。人間には尊厳があるんだ。みんながあれに対して何の疑問も持ってないのも怖かった。うわすごい。自分でも思った以上に嫌な記憶が蘇ってくる。僕あれめちゃくちゃ嫌いだったんだな。互いに互いの人格に敬意を持って接していると思っていた友達たちが人の命令に従って何の意思もない虫けらみたいに扱われているのを見ると本当に冗談じゃなく涙が出てきた。やめろ! 人間としての尊厳を尊重しろ!! 自分の意思を確かに持って生をまっとうしろ!
「み、民主主義革命しかねえ……!」
「何を言ってんだおめェーは! 逃げるぞ!!」
はっ。
なんかものすごい勢いでバッドに入ってしまった。思わぬトラウマ。反権力教育の成果がこんな権力中枢施設で花開いてしまうところだった。
ゼットが僕の手を引いて走る。でも、数歩もしないうちにそっちからもサメ人間の大群がやってくる。
「ち、畜生! 八方塞がりじゃねえか!」
「八方っていうほど取り囲まれちゃいないですけどね。せいぜい二方です」
「うわあ! 何を急に理性を取り戻してんだお前は!」
サメ人間が来ているのは二方。そして残りの二方のうち、片一方は壁。ということは、もう一方に活路がある。
「戻りますよ」
「な、何ィ!?」
ここは勇気の後退だァーッ!
というわけで、サメ人間の死体がある部屋に戻る。もちろん、こっちの部屋には窓があるのだ。もう毎回恒例になってるやつをやらせてもらうとしよう。
「ゼット、この窓から外に逃げ――――」
「ギシャーッ!!」「ギーーッ!!」「シャーッ!!」「シャァーック!」
窓の外に、いました。
大量の、サメが。
「……窓から、なんだって?」
「え? なんだって?」
「クソッ! どうにもなんね……いや、待てよ! 思いついたぜ!」
そう言って、ゼットは工具箱から身の丈を超える巨大なハンマーを取り出した。
「どうするつもりなんです?」
「お前の選択は完璧だ! 確かに、一対多じゃ勝ち目はねえ! だが、こうして扉から一人一人入ってくるようなら――――」
オラァ!とゼットはハンマーを振る。
その一撃で、この入室しようとしていたサメ人間の頭が一発で粉砕された。
容赦、無し!
「一対一を繰り返すだけだ! これなら何とかなるぜ!」
なるんだ。
すご。
ということで僕はやることがなくなり、とりあえず座ってみることにした。なんか動きっぱなしで疲れたし。ついでにポケットの中からチョコレートを取り出した。さっき避難所から貰ってきたんだよね。あー。さっきのサメ人間との死闘でボロボロになってる。まあいっか。甘いことには変わりないし。
「レリア!」
ゼットが叫んだ。僕はもぐもぐやりながら答える。
「なんふぇすか」
「つ――――おいお前! いまなんか食ってるな!?」
「たへてないれすよ」
「くっそ……! 後ろが振り向けねえ!」
まあいま後ろを振り向いたりしたら「隙ありーっ!」つって死にますもんね。
ははは、やりたいホーダイ食べホーダイ。
「ま、まあいい!」
「いいんだ」
「それより重要なことがある――聞いてくれ!」
はいはい、と僕が耳を傾けると、ぶんぶんハンマーを振り回しながら、たっぷり溜めに溜めて、ゼットは言った。
「――――疲れてきた! もうムリだ!」
「でしょうね」
馬鹿なのかな?
仕方ない。
ぽんぽん、と水を払って立ち上がったら、僕は急に、自分の脳細胞が活性化していることがわかった。甘いものを食べて幸せな気持ちになったから全体的なパフォーマンスが向上したのかもしれない。
当然、名案が思い浮かんだ。
「ゼット、こっちへ!」
もうゼットは僕の言葉を疑いもしない。ちゃんと自分の意思を持て、と思ったけど、でも僕もフロートマットでカーリング状態になったときはゼットの言葉を信じてしまったのであおいこと言えばおあいこだ。なんだか人間ってどれだけちゃんと自分の頭で考えて生きているつもりになっても結局外側からかかる圧力に反応してしまうんだなあということを思い知らされる。
「ここに寝そべってください!」
「なんでだ!?」
「説明してる時間はありません!」
ゼットは素直に従った。お前は僕が死ねって言ったら死ぬのか?
そして僕はと言えば、さっき完膚なきまでに首の骨を圧し折って殺害したサメ人間の亡骸を手に取る。
ゼットの上に寝そべって、さらにその上にサメ人間の死体を掛布団みたいにして乗っける。
完成だ!
「さあゼット! 呼吸を止めてください!」
「何がなんだかわからねえが……わかったぜ!」
サメ人間軍団が入ってくる。
僕らは息を殺している。
これが僕の作戦だった。
いま、僕らは上から見れば――つまりサメ人間軍団の目から見れば重なっていて、きっとこんな風に見えるはずだ。
サメと人の頭を持ち、そして人間の肉体を多数持つ、三面六臂の超次元サメ生命体の死骸。
仲間だと思うか、よしんば仲間ではないと気付いたとしても、恐怖のあまり手を出せまい!
ぞろぞろとサメ人間たちの足音がする。僕らの周りをぐるぐると周る音。
それでも襲ってこない。
よし、成功だ。
このままやり過ごせば、と思ったところで、さらに問題が発生した。
「ぐ、ぐぐ……」
なんと、ゼットが音を上げ始めたのだ。
水位も上がり始めているから、呼吸ができなくなり始めたのだ!
ちゃぷちゃぷと水は僕の後ろ髪まで浸しつつある。ということは、すっかりゼットの鼻と口まで覆ってしまっているだろうことは、想像に難くない。
でも、ここが正念場なのだ。死んでもいいから息を止めてろ!
「ふぐ、ぐ……」
「シャ?」「シャー……」「シャーック!」
ま、まずい!
これじゃ気付かれてしまう!
仕方ない、心苦しいけど……!
「ふんっ!」
「ぐぼぉっ!」
そのままの体勢で僕はゼットの鳩尾に肘を叩き込んだ。
安心しろ。僕はムエタイをやってないから肘は凶器じゃないし大体峰打ちみたいなものだ……。意識を刈り取るだけ。しばらくそのまま仮死状態に陥っていてくれ……。
「ゴボッ!! ガエッ! ゴゴゴゴゴッ!!」
「…………」
仮死状態に陥っていてくれ!!
「ふんっ! ふんっ! ふんっ!」
「ゴボボボボボボボボッ!!!!」
な、なんてしぶといやつなんだ。全然気絶しないぞ。
このままじゃバレてしまう!
「シャー……」
「シャ? シャ?」
「シャッ!!」
と、思ったらなんだかサメたちの様子がおかしくなった。
何かを話し合うような様子を見せて、そのうちそそくさと部屋を出て行った!
幸運に感謝しながら、僕は起き上がる。
当然、ゼットも。
「ぶふぉあッ!! ハッ、ハッ、ハッ、ハーーーーッ!!!」
「危なかったですね……。咄嗟に三面六臂の超次元生命体に擬態することが思い浮かばなかったら即死でした」
「ハッ、ハッ……ゴホッ! ゲェッホ!!」
「そうだな、レリア。お前が咄嗟に三面六臂の超次元生命体に擬態するなんて名案を思い付けなかったら即死だったぜ、ありがとな」
いつまで経ってもゼットが息を整えているので、仕方なく僕がゼットの感謝の言葉を代弁してあげた。うんうん。そうだろうそうだろう。
「…………オイ」
「いやあ。びっくりしましたね。まさかあんな大群がいるとは……」
「お前、さっき俺の鳩尾に殺意に満ちた肘打ちを執拗に叩き込んで来たよな」
「サメは泡を嫌がるんです! もしもゼットの大きな肺から大量に吐き出される呼気がなかったら、僕らはサメ人間に看取られつつ息を引き取る羽目になっていたでしょう……。ゼット、あなたのおかげです! ありがとうございました!」
「…………そういう考えだったのか。ま、役に立ったならいいけどよ」
まんざらでもなさそうに、ゼットは鼻を擦った。
この人、友達多いんだろうなと僕は思った。
たぶんみんな「こいつは俺がいないとダメなんだ……」って心配してると思う。




