16 人魚
正直レリアの姿で肩車を希望されてそれに素直に従うのってなんだかなあと思ったけど、嫌々応じることにした。僕は人の労働意欲をあまり否定しないことにしているのだ。だって、僕以外の人間にもっと働いてもらって、僕はその結果人間社会に生まれた利潤を一方的に享受して生きていきたいから。それと、なんかゼットに邪心がなさそうだったし。
ほら、たとえば。
「や、やっぱりゼット様とそちらの方って、恋人同士なんすか?」
「あん? なんでだよ」
「いえ、だって、肩……太腿……」
「?」
「いえ……なんでもありませんでした……」
こんな感じ。
その年でその地位でそれってどうなんだ、と思わないでもなかったけど、好都合なので放っておくことにした。僕だって別に作業が滞ることを望んでいるわけじゃない。脚立をいちいち移動させなくちゃいけないナラムさんが作業するより、なんならこっちの方がスムーズに進むはずだし。
そう。このシャッターが僕ごときの力で簡単に閉じてくれればね。
「ふんぬぬぬぬぬぬぬ…………っ!」
「お前、力全然ねーのな」
うっさ。
「いや、でも気持ちわかりますよ」
そんな僕を見て不憫に思ったのか、ナラムさんが苦笑いでフォローを入れてくれる。
「ここのシャッター、やっぱり電気で動かなくなった故障部分だけあって結構固くなってる部分もありますもんね」
「そう! そうなんですよ。私のことを担いでヒマそうにしてるだけの人にはこの苦労はわからないと思いますがね……!」
「なんだ。じゃあ上と下で交代するか?」
「私をぺしゃんこにする気ですか。常識で考えてください」
あはは、とナラムさんが笑って、脚立から下りる。
そして僕の方を見て、
「どうします? そこ、自分がやっちゃいましょうか」
「いや、今ちょうど……」
ガシャン!と騒々しい音を立てて、なんとか閉まった。
それにほっとしたのも束の間。
「げっ……! 袖、巻きこんだ……!」
「おいおい、何やってんだよ」
シャッターを閉じるときに、服の袖を間に挟んでしまった。くそう。まだちょっと濡れてるから肌に張り付いて、腕まくりをするのが難しかったんだよな。めんどくさがらずにちゃんとやっておけばよかった。
僕とゼットがふらふら肩車状態で悪戦苦闘していると、「大丈夫そうですね」とナラムさんも移動を始めて、そのとき。
コンコン、と部屋の扉がノックされた。
ぴたっ、と僕とゼットの動きが止まる。
理由は、二人とも同じだったと思う。
嫌な予感がしたから。
「……? どなたっすか?」
「ちょ、待――」
僕は呼び掛ける。ゼットが動こうとする。でもタイミング悪く僕の袖が天井に固定されてしまっているから、やっぱり突っかかってしまって。
ナラムさんは、扉を開けてしまった。
「え――――」
そこにいたのは、水着の人だった。
厚着とか冬着とか重ね着とか羞恥心とか、そういうのが開発されるまでにあと千年はかかりますけど?ってくらい際どい恰好をしたお姉さんだった。
ただし、顔がサメの。
「さ、」
「サ――――」
「サメ人間だぁあああああああああああああああああ!!!!!! ぐえっ」
止める間もなかった。
ぎゅおん、とサメの顔が唸りを上げて飛び掛かると、ぶちゅり、と音を立ててナラムさんの顔が食いちぎられた。二口目で上半身も。下半身だけがふらふら不安定なステップを踏んで、さらに三口目になればもう足首と靴しか残らない。
シャーッ、とサメは僕らの方を見た。
サメだけにシャーックってか。はははのハ。
「笑ってる場合じゃねェーーーーッ!!! レリア!! 袖を外せェーーーーッ!!! 食い殺されるぞォーーッ!!」
「ちょ、焦らせないで――」
ああ、ほら! 言わんこっちゃない! かえってめちゃくちゃに袖を噛ませてしまった。くそう、これじゃあ全然外せそうにない。
ずどどどど、とオリンピック選手みたいな走りでサメが僕らに向かってくる。ていうかゼットは別に僕を離せば少なくとも自分は逃げられるんだからさっさと走れよ! ああもう、これで死なれたら寝覚め悪いなあ。
「とうっ!」
「な――――お前!」
というわけで、上手いこと足を引き抜いて肩を蹴っ飛ばしてやった。これでゼットの方は大丈夫。僕の下の方で死なれたらトラウマになっちゃうからね。
後の問題は僕に突っ込んできてるサメなんだけど、大丈夫でしょ! なんか脳みそサメ並みに小さくて知能低そうだし。
「シャァアアアアアアッ!!」
「ほいっと」
ほらね。
いっぺん身体を伸ばしてから袖を引っ掴んでそのまま懸垂するみたいに身体を持ち上げただけで、簡単に突進をスカせた。まあこの懸垂の代償として一週間近く筋肉痛になるとは思うけど、でももう散々階段昇降で痛めつけられてるし、誤差みたいなものだ。
そして今度は、ぐるっと身体を横に回して後ろ側から肩に足を引っかけてやった。肩車の相手がゼットからサメ人間に変わった形になる。そして頭の後ろに上手くつけたから、サメの歯の脅威から半分くらいは解放された形にもなる。
意外にも、サメ人間の身体能力はそこまで高くないみたいだった。僕の体重でもギリギリなんとか抑え込めそう。サメの部分は見た目通り、顔のところだけらしい。
その顔が暴れ回るのも身体と腕をべったり首に回してやれば、なんとか封じられる。大抵の場合、生き物の顎っていうのは閉じる力ばかりが強くて開く力は弱いのだ。これがメガロドン相手だったら普通にぶっちぎられて死んでたと思うと、たぶんサメの部分自体もそこまで強すぎはしない。直接対決したら死ぬんだろうけど、直接対決してないからセーフだ。
「今です、ゼット!!」
「い、今!? 今って何が今なんだ!」
哲学的な問いに、僕は現実的に答える。
「その長い脚でこのサメ人間の背骨ぶち切れるくらい蹴り込んでやれって言ってんですよ!!」
「せ――――女を蹴れるかぁ!!」
「何を人間界の倫理を持ち込んでんですか!! ここは自然界ですよ、今! 蹴りが嫌ならそのへんの工具でも手に取ってしっとり内臓に突き刺さんかい!!」
それでもゼットは動かない。
そしてサメ人間は僕の腕の中から逃れようともがいている。ふぐぐぐ、と僕は決死の力でそれを抑え込んで、さらに叫ぶ。
「自然界でオスとメスくらいがなんぼのもんですか! ライオンはメスが狩りをする! クモはオスよりメスの方がでかい! チョウチンアンコウなんかメスの方がオスより十倍くらいでかい上に、オスがメスの身体に取りついて皮膚や血管を結合させたあげく徐々にその身体を退化させてゆき内臓や目すら消失させ交尾に必要な精巣だけが残るんですよ!? 何を迷うことがあるんですかもっと広い視点で考えてください日頃から自然と宇宙のことについて思いを馳せていればこんなところで悩んだりは――――あ」
「あ」
暴れ散らかしていたせいで、袖がひょいっとシャッターから外れてしまった。
うわ、バランスが崩れる。
思わず僕は、サメ人間の頭にもう片方の腕までぴったりと巻き付けた。そしてそれを支点にするような形で、本当に美しいフォームでぐるっと回った。
ごきり。
一緒に、サメ人間の頭も回った。
百八十度。縦に。
べしゃ、とサメ人間が崩れ落ちれば、僕も「ふぎゃ」と地面に落ちる。
立ち上がったら、もう取り返しのつかないくらい首がバキバキにへし折れたサメ人間が、口から血を吐きながら横たわっているのが見えた。
「…………」
「…………」
「ひ、人殺し……」
「黙れ」
ええい、不可抗力だとかなんだとかしゃらくさい言い訳を誰がするもんか。
命を奪われかけて、命を奪い返した。ごくごく当然の自然の成り行きだ。むしろ一方的に命を奪んだけのキッズのヒマ潰し魚釣りの千倍くらい真摯な行いだ。我が行いにいっぺんも恥じるところなし!
ぎろっ、と僕は睨みつけてやった。さっきまで僕が死闘を繰り広げているところに、何の手助けもしてこなかったやつを。
「…………覚悟がない人間は、何も守れませんよ」
「――――!!」
まあ僕も全然覚悟とかしてなかったけど。普通に事故レベルの出来事でしかなかったし。まさかこんな超次元生命体に生身で勝てるとは思ってなかった。
ばりばりと頭をかきまわしながら、ゼットは言う。
「――クソッ。お前の、言うとおりだ。俺には覚悟が足りてなかった。……もう迷わねえ」
うむうむ。
言葉はそれを放つ人を選ばないという好例だ。




