3. ベテラン俳優たちと私。
「にゃっぽりぃぃとぉぉっ!」
撮影所に監督の声が響き渡った。
すなわち 「ナイス」 ってことだな、と了解する全スタッフたち。
今日の不死元監督はかなりヘンだが、その理由はわかっているし、彼らとて同じような気持ちである。
――― そう。miniたちの改変した台本によって、これまで以上に心がひとつになった彼らは、素晴らしいピッチで撮影を進めていた。
「シーン32! 本テス!」
撮影は、いよいよ、ヒーロー・滋流が床に扮した家政婦に気づかぬまま、金満老害デブと揉み合いになるシーンへ入った。
「元恋人だとぉっ!? 朱鷺子は儂のものだ! 儂のものなんだぁっ!」
「朱鷺子はモノなんかじゃない! 彼女の意思を尊重してくれ!」
「んなもん尊重しとったら、当然、イケメンな若者に行くに決まっとろうがぁぁぁっ!」
「それを認めるのが本当の愛だ!」
「同じ台詞、テメーがハゲデブオヤジになってから、言ってみやがれぇぇぇっ!」
この台詞を言う金満老害デブ役は、『燻銀』 とも評されるベテラン俳優 穴太鼓 饅 。
穴太鼓もまた、改変された台本により、役の血が通っているように感じ、ノリノリで演技をしていたのだが……
ふと、目線を下にやって、気づいたことがある。
(しまった……!)
揉み合っているうち、いつの間にか、立ち位置がずれ込んでいたのだ。
このままでは、床に扮した家政婦役・江都子の上に乗ってしまう……!
(どうする!?)
ヒーロー役と、小手先の殴り合いをしながら、ちらり、とスタッフの持つカンペを確認して…… 穴太鼓は、ふたたび止まりそうになる。
なぜなら、カンペには……
『フンデ!』
と書いてあったからだ。
この文字、実は、©*@«とº*≅¿の指令を受けたminiたちがマスゲーム的にカンペの上に並んで作ったモノであったが…… もちろん、穴太鼓が知る由もない。
しかし彼のベテランの勘は、そのカンペが正当であり、その通りにした方が素晴らしい演技となる、と告げていた。
こうなれば、選択はもう、1つである。
「せいやっ!」 とヒーロー役を押し倒し、彼らは、miniたちの思惑通り、家政婦役・江都子の上で激しく揉み合いをはじめた。
その背後で、密かに拍手を贈る不死元監督。
(エクストリームへヴンフラァァァッシュ!) と、内心で快哉をあげている。
彼は、カンペに気づいておらず、穴太鼓とイケメンヒーロー役の演技を、アドリブだと信じこんでいたのである。
一方で、床役……もとい、家政婦役の江都子は。
「くっ……」
呻き声を押し殺し、女優のプライドで何食わぬ表情を保っていた。
上では、男たちが激しい動きを繰り広げている。……正直いって、重い。キツい。
(いい加減、早く終わってほしいんですけど!?)
とは思うものの、このシーンが素晴らしく良い出来になろうことは、魂レベルで理解していた。
ここで、台無しにするわけにはいかない。
忍耐あるのみ、である。
(まだかしら……!?)
彼女がチラ見するカンペの文字は、疲労のせいか、ピョコピョコと動いているようだった。
(え……!?)
目を凝らしてもう一度見直し、彼女は了解する。そこには、なんと……
『ヨロコンデ!』
と書いてあったのだ。
江都子の心は、燃えた。
この困難な状況で、さらに正反対の演技をさせる…… これぞ、監督が江都子の女優としての力量を買っているのでなくて、なんであろう。
……実はカンペは、©*@«とº*≅¿たちによるmini文字だったのだが、もちろん江都子は、それを知らない。
(完璧な演技をしてみせるわ!)
彼女の上では、今まさに、穴太鼓がイケメンヒーロー役に組みしかれ、最後の喘ぎを漏らしていた。
それに合わせるように、江都子は喜びの表情をし、「オォォン……!」 と飢えた獣の声を徐々に高めていく。
――― 穴太鼓が事切れる演技をする瞬間が、絶頂だ。
(………………)
『喜び』 の演技を続けつつ、江都子は無心に、意識を穴太鼓に集中させた。
周囲の色も音も消え、ただ、穴太鼓の息遣いだけが、鮮明になっていく。
…… 彼の心さえ手に取るように分かると信じられるほどの、透徹した瞬間を、永遠のように感じながら、彼女はひたすら呼吸を合わせて演技をした。
(……3、2、1、いま!)
「おぁぁぁぁぁぁああああんっっ!」
――― 床から感激に満ちた声が上がる中、金満老害デブはガックリと力を失い、その命を終え……。
そして。
「はらしょっぽりぃぃぃとっ! 本番オーケストラっ!」
不死元監督の絶叫もまた、撮影所中に響き渡ったのだった。
……もちろん撮影所スタッフは分かっている。『本番オーケストラ = 本番OK』 だということを……。
そしてもちろん、監督はカンペに気づいておらず、江都子の演技をアドリブだと信じこんで、いたのである……。