第6話 真珠、帝都防衛。その2。
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『旧、大ミュロ王国』による搾取が比較的に農村部は、漁村や港町程、酷くは無かった。
現在、『南ミュロ領』と『北ミュロ領』の二領に分けて『ヴァレリー帝国』が統治している。
『南ミュロ領』の漁村などは、『奴隷貿易』により人がいなくなって消えた町村も多く道や役場も失くなり広く荒廃した。今も手付かずで放置していると言う。
皇帝直轄地として一番大きな港町を領都に定め代官を配しているが、慢性的な人員不足による治安の維持が殆んど改善されていない様子だ。
南より被害の少なかった『北ミュロ』の方はミュロ王家の非嫡子の孫と言う方が『侯爵』位を皇帝から賜り、治めているのだ。と、丘を登りながらエミール先生は教えてくれた。
物見小屋の煙突が見えて来る頃。
「知っていますか?ここの丘の名前。『エリアーヌの丘』って言うんです。昔の皇女様だった方の名前なんですよ。大した人物ではなかった方ですけど、好きなんです丘の名の由来。『エリアーヌ』って、『太陽の娘』と言う意味なのだそうです。何か、良いですよね?」
◇◇◇
そしてそれを見て瞠目するエミール。
丘の東斜面に夥しい数の軍隊を見たエミールは、戦慄した。
(だが、小屋にいる兵士から逃れることが叶ったとしても、斜面の軍隊からは逃れられない。帝都にこの事を知らせなければならないのに。しかし、そのための方法は…、何か良い方策を考えなければ、何か思い付く事は!何か無いか!?)
エミールが考えをまとめあぐねているその刹那、目の前の景色が歪み、暗転した。
アンリエットが丘の軍隊を全て視界に納め、あちら側へぶち込んだのである。
エミールの背中ごしに見えた剣を振り上げている三人の兵隊もあちら側である『異層』へと移した。
(ヤらかしたああああああああーーー!)
後の祭り、とは、どんな祭りだろう。………実にどうでもいい。出来うる限りの平静を装いアンリエットはエミールに言った。
「先生、そろそろお日様が昇りますよー。」
何事も無かったかの様な顔……はしていない。寧ろテヘペロッ的な顔の少女が彼に話し掛けて来る。
エミールの視線の向かう東の空の下にはもう夥しい数の軍隊は無く、そこにはいつもの緩やかな丘の斜面とその向こうに流れる川が見えるだけだった。もうすぐ日が昇る。
「…あの時のドレスと同じ色だなぁー。」
あの日見た東雲色を纏った二つの宝玉を想い、東の空を見上げ青年は目を細めるのであった。
◇◇◇
9月14日時刻は午前5時30分。
「先生、直ぐお城に報せないと!」
アンリエットは焦っていた。
「あのっ兵隊が、もう丘を越えてしまったのっ」
「…。さっきの軍隊かい?――――――いない!どうなっている?何処へ行った?」
「いるの!いっぱい、たくさん!!先生早くっ!」
「意味が…………、意味が解らない。何がどう成っているんですか?アンリエットさんっ、教えて、教えて下さい!」
アンリエット達の立っている丘の上から軍隊は二列に並び、下へ降りてゆくのだ。次々となだらか丘の斜面からアンリエットの横を通り抜け…………。
そう、軍隊が『抜ける』のだ。アンリエットとエミールを、まるで其処に二人が居ないかの様に。
ああ、そうだった、全ての兵隊を自分で『異層』に移したのだ。もう、どうしようも無い。誤魔化せ無い。先生に全て話そう。この理から外れた、この『表』とは違う別の現実をフェリシエンヌ以外に知らせよう。
仮に、………仮にこの事実を誤魔化せたとしても幾千人の兵が居る事実は変わらない。帝都が襲われるかもしれない現実が有るのだ。
だから、アンリエットは覚悟を決めた。
「先生、あたしと来て!」
アンリエットはそう言うと物見小屋のさっき立っていた場所から裏へ入った。
「これから『異層』に入ります。」
「え?何ですか?『異層』…とは?」
「あのぅ、よく聞いて下さい先生。ここ『表』に有る現実から異なる『現実』…、なのか、あたしも分かりません。さっき、『表』とは異なる『裏』に兵隊を送ってしまいました。これから、あたしと、その、『異層』に移ります。」
アンリエットがそう言った瞬間…、ほんの一瞬、目の前に暗闇が来た…。そう感じたエミールであった。
見える景色は相変わらず、前に立っているアンリエットと物見小屋の木の壁だ。
「アンリエットさん?特に何も変わって………、なっ!!!」
そう、丘の斜面に居た夥しい数の軍隊だ。物見小屋の向こう、小屋を挟んだ向こう側を二列で進んでいる軍隊が見えたのだ。
「こっこれは、これは消えた軍隊じゃないですか!」
「先生、確認出来たなら表に戻ります。」
エミールの目に一瞬だけ暗闇が差し目の前の風景から軍隊が消えた。
「これは…、いったい、どう言う仕掛けなんですか?詳しく教えて下さい!」
「その前に、急いでここから下に降りましょう。時間が無いんです!」
「わ、分かった…」
「あ、あと、……先生に御願いが、――――――手繋いで頂けますか?そのぉ、あたし『彼方』と『此方』の景色がいっしょに見えちゃうんです。少し、区別出来ないんです。『居ない』と解っているんですが、ぶつかる気がして…。」
「分かった。後は歩きながら話そう」
エリアーヌの丘の帝都側、西のそんなに広くない山道をアンリエットとエミールは少し早足で歩いている。
アンリエットは話した。
まず『異層』についてだ。幼い頃からみえていた事を…。
◇◇◇
その頃『異層』とは気付かず普通に知らない人が歩いていると思いお傍付きの侍女の一人に、「あのひとはだぁれ?」と聞く事があった。侍女は「あの方は忙しいのです。そっとしておきましょうね。」、と言うのがお決まりだった。
でも、アンリエットの見えている人が、その侍女には見えていない様子なのだ。そんな事が幾度もあった。
物知りな母にその事を聞いた。
母は言った。
「私には分からない。見る事が出来ないのだからな。――――が、しかし、母には、知識がある」
そう言って母の言う、異なる世界。ここの世界の直ぐ隣の世界。同じ場所に在り同じ時を刻む場所。否、同じ時を刻んですらいない世界の事を………。違う世界。だが、直ぐ側の世界はあまりにも近いのだ。そして、遠い。
そんな世界に行けるのは、人の『魂』だけなのだ。と言うのだ。
「アンリの見た其れは、『人』ではなく人の『魂』なのだ。と母は思う。そして、それは人の『想い』なのだ。」
ファテノーク王家で『異層』を見る事が出来た者が過去幾人か居たと言う。
更にそこへ、その異層世界に入った者も居た。入ったまま遂に帰らなかった者も数人。直ぐ側の層の中にも『直ぐ側の層』があり、その層は限り無く幾重にも重なっていているのだと言う。
◇◇◇
アンリエットは続けて言った。
「そしてある日、あたしは異層に入る事が出来る様に成っていた。」
丘の下にある厩に着いた。時刻は5時40分を越えていた。
そこにはファテノーク王家の紋章のある馬車が停まっている。
「アンリちゃーーん!大変だったのぉ、あのねぇお城が崩れて学園が下敷きになってクロワッサンが潰れたのぉー。
―――――って夢を見ました」
「姫様、丘に登ったのではなかったのですか?」
「ジーンさん、でも今は緊急事態なの。先生、この場所から帝都の外壁にあの軍隊が着くのにどの位の時間を要しますか?」
「…、見えた限り全て歩兵、だったと思いました。おそらく、一時間半ってところだと思います。」
「じゃ先生が、馬で帝城に入るのに何分掛かる?」
「30分掛からないと思います。」
「その後、帝都に居る国軍、都軍、近衛、もし近くに駐屯していたらですが、領軍の兵って合わせてどの位いる?それと、警吏は?」
「国軍と帝都軍合わせて二千程ですね。近衛は四百ってところですか…、領軍はいないはずです。警吏は、………どの位出せる分からない。」
「じゃあ、あたしと先生はお城へ、ジーンさんは後から馬車で……。いいえ、おそらく帝都に入れ無くなると思う。それに敵兵が大勢ここに来る。だからジーンとマリエ、ここの南にある村へ行ってて。事情は……、
フェー、『生体』が大勢来るわ!」
「ミュロの方からぁ兵隊が攻めて来たのよねぇ?『生体』ねぇ。分かったぁ。」
「では行きましょう。」
エミール皇子はは厩番から馬を借りた。子どものアンリエットでは信用されないので先生に借りて貰ったのだ。
勿論、アンリエットは馬に乗れる。
なにせアンリの育ったファテノーク王国は羊のいっぱい居る国なのだ。
帝都に向け走って行く二頭を見送りフェリシエンヌは呟いた。
「久し振りに王女様のお顔に成ってたぁ。アンリちゃん、カッコイイー!」




