霊と墓参り
霊と墓参り
四月一日のよく晴れた朝だった。入社日で慌ただしく支度をしていて気が付かなかったのだ。あの子に…。
朝起きたら三十分も寝過ごしていた。焦って布団から飛び出し顔を洗って歯を磨き、髪を梳かして朝食を抜きにメイクをして結った髪を左右に揺らしながら急いで着替えてペットのごはんのお皿にドライフードを入れる。いつもなら音で飛んでくるばずなのだが愛猫テロが来ない。
そうだ。いつも寝坊することがないのはテロがお腹空いたと起こしに来るからである。
テロの寝床を覗く。キャットウォークに自ら気に入ったタオルや着なくなった服を持って行き作った寝床。
高いところにあるそこを椅子に乗って確認する。
そこにはいつもと変わらず寝ているテロの姿。
「テロ、ごはんだよ?」
呼びかけたところで起きる気配はない。そっと撫でた。冷たい……?
自分の方へ引き寄せ抱きしめる。
動かない。
冷たい。
ゆっくり椅子を降り床に座り込んだ。
「嘘……」
昨日は至って普通であった。ごはんも残さず食べていたし、元気に遊んでいた。まだ飼い始めて四年しかたっていない。
死んだということを実感してからの自分の行動は冷静ながら、思考はぼやけ、はっきりとは覚えていなかった。
この家は親戚が大家ということで安く借りられたアパートで上京しだての大学生には少し豪華ともいえる内装。1LDKで庭付きの一階であった。
窓を開け庭に出る。カーデニングに使っているシャベルで花壇の隅だがチューリップなどの咲いている処。
一旦部屋に戻って寝床のタオルを一枚取る。それにテロを包んでから掘った穴にテロを寝かせた。
涙が出そうで出ない。寂しいのに、悲しいのに涙が出ない。
テロは土に埋まってしまっていくのに私の心の穴は埋まらない。
数分して、私は意気込んで立ち上がった。
「テロ、行ってくるね。帰ってきたら綺麗なお墓作ってあげるから」
時計を見れば出発予定時刻を五分ほど過ぎていた。
慌ただしく部屋に入りカバンを持って家を出る。
もとから余裕のある時間を組んでいたため会社に遅刻することはなかった。あのまま家に居たら多分入社式に来られなかったと思う。
テレビ局のスタッフとして入社。希望をもとに割り振られたのはドラマ撮影のスタッフであった。
そして早々に二時間ドラマのスタッフに入ることが決まった。
淡々と進む現実が素直に喜べないまま帰路を行く。
途中携帯で検索を掛けたペット埋葬グッズのお店に立ち寄り飾り付けなどを買って帰った。少し高かったがテロのためだがら気にしない。
だが家に入った直後目に入ったのは
「テロ……」
死んでなかったの? でもどこから入ってきたんだろう。
「ミャー」
いつもの通りの可愛い甘えた声で近寄ってくる。ここまで来てやっと涙が一滴頬を伝った。
胸の穴が一気にふさがりじんわりと温まっていく。だが、抱き上げたところで感じるのはまたあの冷たさ…考えれば触っているようで触れていないような感触。これはもしや非現実体験なのではないだろうか?
急いで庭に出た。埋めたところは何の代わりもなく出てきたわけではないことがうかがえる。
恐る恐る掘り返す。
葬儀セットを買った時点でやらなくてはいけないこととはいえグサグサ、チクチクと胸に刺さってくる思い。
ある程度掘ったところでそこには見覚えのあるタオル。
確信を付かれた。テロは幽霊になってしまった……。
実感の湧かない現実を私は受け止めているようで落としてしまっている。これは現実逃避だ。テロの死を受け入れられないから見えている幻なのだろう。言い聞かせている自分が馬鹿馬鹿しくなりお風呂に入って寝てしまおうと思った。
翌朝。いつも通りテロに起こされた。昨日の夜寝つけずにテロを見ていてわかったことがいくつかある。この子にはもうご飯がいらないということとトイレの掃除の必要がなくなったということ、毛のつきやすい服でも全く毛が付かないということだった。まぁ当たり前である。実体ではないのだから、
そして鏡には映らないということだ。
よく心霊番組などでは洗面所やトイレの鏡に霊が映り込むとかやっていたが実際目に見えている霊は鏡に映らない様子。
それでも触れた物を落としたりドアノブに飛びついて開けたりと以前と変わらない行動もとる。
「行って来ます。」
と行ったところでテロは五日分の着替えが入ったスーツケースの上から降りてくれない。
降ろそうと触るとその手はなぜか通り抜ける。なのに手にすり寄るときは通り抜けることなくすりすりとしながらゴロゴロ甘えて喉と鳴らす。
幽霊となったテロを連れているところで迷惑はないだろうと私は自分の心をいろいろと偽り、あきらめてこの子連れて行くことにした。
局についてすぐロケ車に乗り込んだ。
しばらくしてスタッフはそろった。あとは役者を待つだけである。車内は和気藹々と言った雰囲気でおそらく新人は自分だけであろう空気に緊張する。だがそんなことは気にするわけもなく熟睡している様子のテロ。
しばらくしてから一人の若手俳優が謝りながら入ってきた。
「すみません。前のが押してしまって」
そしてそのあとを
「まってよ聖くん」
少し甘ったるい声の主である女優が入ってくる。
二人は前の方の席に座っているが一番後ろにいる私にもはっきり聞こえる声で話していた。特に女優の彼女はあたかも彼はあたしの物よと、言わんばかりの主張である。
車が出発して数分。ディレクターが話し出す。
「今回は群馬の霊園を中心にその周辺で撮影を行います。役者の紹介からしようか。まず警察官役の斉藤聖くん。」
「斉藤です。よろしくお願いします。」
横、後ろにと数回お辞儀をしてから座った。
斉藤聖。モデルをへて多くの舞台・ミュージカルに出演。最近になり連続ドラマで主役や大事な脇役、ライバルなどを立て続けに演じ注目を集める若手俳優。
人気の高いシリーズものの舞台・ミュージカルの出演が多く若い女性ファンだけでなく年配女性にも人気があり事務所の方ではスキャンダルを起こさないようにと鉄壁のガードをしているらしいが… 結局壁を乗り越えるか、すり抜けるか、蹴り壊すかして今に至っている様子。
「そして斉藤くん演じる警察官の恋人役が岩隈美千流さん。」
週刊誌でたびたびデートの様子を取られている二人。本人も事務所も友達と言っているが実際先ほどの様子を見た限り友達以上に見えたのは私だけだろうか? テレビ関係の仕事ということで公言できないことにむずがゆさを感じる。
犯人役、その他の役者が紹介を終えスタッフに入った。ここに居るのはほんの一握りのスタッフですでに現地に多くのスタッフが入っている。
「で、次に新人の蔵星乃ちゃん」
「あ、はい。蔵星乃です。足手まといにならないよう頑張りますのでよろしくお願いします。」
数人の拍手に少し照れながら一気に緊張が解けドスっと椅子に戻った。
それからしばらくして着いたロケ地は山の中腹にあるおそらく西洋系の墓地だろう。白い教会と低い墓石が庭園の中に並んでいる。
クランクインのあいさつから入る撮影。新人と言うことで雑用をせっせとこなし役者に言われ飲み物を運び、機材の順備・片付けに追われる。
昨年入ったという先輩からしたら初の仕事がドラマの撮影現場と言うことは珍しくラッキーなことらしい。普通ならば局内でレクチャーを受けでからとのこと、今回はスタッフの急病と過去にアルバイトとして入っていたことが考慮しての配役らしい。
大学時代バイトで局に入りつつサークルでは映画研究。高校時代も映研だったこともありマイクのあつかいはうまい方だと思っている。
休憩に入った。その間に次の機材の順備・片付け、セッティングをしてしまう。
そこに来た一人の女性。休憩中ということで何も言わずに置いた。墓場で撮影をしているのは自分等で墓参りに来た彼女には関係ない。
手には白・紫・黄と変わった彩りの花束が握られていた。
彼女に寄っていくテロ。彼女はテロに気が付きしゃがんで撫でた。自分以外にも見える人がいたんだ。
彼女は立ち上がりしばらく誰かの墓地の前に立っていたものの花を持ったまま帰って行った。
花束の中身が見えた。カラーとキキョウ、黄バラに三色のチューリップ。変わった花束であった。
一日目の撮影が終わった。せっせと片付けを進め車に積んでいく。
「お疲れ様」
不意の声に振り向くと俳優斉藤聖がいた。
「お疲れ様です……」
はっきり言って苦手なタイプの人間だ。いや、正確には表面的なところが苦手だ。彼の役者として表面的なカメラに映る部分は嫌いだ。
「新人のわりによく動くね。車の中では緊張していたみたいだけど」
なれなれしい。ウザったい。面倒臭い。
「大学時代、バイトで局内のバライティーにかかわっていたことがあるので機材に関しては解ります。セットも指示通りにしているだけですし」
照明のコードをまとめながら言う。
「美千流はパシリにちょうどいいって言っていたから気を付けてね。」
脈絡のない会話。彼はそういうとロケ車に戻って行った。
片付けが済んだところで車に戻り出発。麓のビジネスホテルに泊まる。
すっかり忘れていたテロはスーツケースを開けたところで中に入り熟睡しているのを見つけた。ドアは自分で開けるくせにスーツケースにはおそらく幽霊ならではの通り抜けでもして入ったのだろう。よくわからない子だ。
幽霊とはよくわからない。だが完璧に理解できたところで私は何かこの子にしてあげられるのだろうか。
二日目の撮影に入った。
昨日の斉藤聖の忠告通りに私は女優岩隈美千流にパしられていた。だがこれもスタッフの仕事である。こういった女王様女優様はたくさんいる。そんな人たちにいちいち牙を向けていたら速攻首だ。我慢して作業を進める。
「蔵ちゃん! ライトが一つ見当たらないんだけど知らない?」
蔵ちゃん。嫌な呼ばれ方ではあるが先輩にそんなことは言えない。
「伊藤さんが広告用に写真撮るのに持っていきましたよ。予備があったので持ってきます。」
「よろしく」
走って車に向かう。
「ほらやっぱりパしられてる。昨日忠告してあげたのに」
どこから現れたのかこの男は、
「役者にこき使えわれるのも新人の仕事の一つです。退職せざる負えなくなったときの紹介口にもなってくれますし今後仕事に誘ってもらうこともあるかもしれません。そのためには媚を売っておくのも悪くない。彼女以外には」
「そんなこと言っていいの? もしかしたらあいつ俺の彼女かもよ?」
彼は私より上位についているそんな優越感に浸った顔をする。
「斉藤さんこそいいんですか? そんな発言して、どこで誰が見ているのかわからないんですよ。もしかしたら盗聴器ってこともある。注意してください。」
そういって三脚類の紐を肩にかけ機材の入ったカバンを持ち歩き出す。
スタッフのほとんどが次の撮影場所に移動し数人で片づけをしていた。これが終ったら次の現場にこの機材をセッティングするという作業が残っている。私の仕事の大半はこんなものだ。
「伊藤さん戻ってきましたっけ?」
ライトのセット中ふと思い出す。
「さっき戻って来たよ。ライトも受け取った。多分今頃ホテルか車で加工とか修正とかしてるんじゃないかな?」
そこにまた昨日の女性が来た。昨日と同じ花柄のワンピースに同じ花束を持って
「セット終わったから知らせてくる。待ってて」
「はい」
スタッフが二・三人走って行ってしまう。残ったスタッフは休憩ムードであった。
私は彼女に向かって足を進めた。
「すみません」
私の声にふんわりと笑う彼女。
「ここ撮影に使わせてもらってましてもうしばらくすると始まっちゃうんです。申し訳ないんですが…」
そこまで言うとまたにっこり笑って引き返していった。また花束を供えることなく。
三日目。この日は墓地から離れた山林で撮影を行った。
麓から墓地まで続く道をまた同じ服を着た彼女が通って行った。
山林だ。当たり前だがいろんな生き物が春と言うことで出てきている。岩隈美千流はそれが嫌なのだろう。カメラが向いていようと無かろうと声を上げ嫌がる。
ファンデーションを塗った顔にひびが入る。始めてその瞬間を見た気がした。性格には皺が寄っているのだが… メイクさんも大変だ。
ワンシーン取るだけなのに三回以上化粧直しが入る。撮影が進まない。
見た目は綺麗な岩隈美千流だが年齢は非公開。男遊びが好きでいつも派手な服を着ている。若い女性が男にすり寄るような行動をよく見せる。
芸能界の要注意人物。
彼女がどのパイプを使ってお偉いさんに話が飛んでしまうか解らないため業界全体でも警戒している。
ようやく終わった処で予定の時刻を大幅に過ぎており休憩なく撮影が進む。
途中何度も岩隈美千流の機嫌が悪くなり中断、別のシーンの撮影でつなげる。
「疲れた…」
休憩スペースを片付けているとき斉藤さんが現れドスっと椅子に座る。
「斉藤さんよりも私たちスタッフの方が疲れてます。」
女優様のせいで私は何度も下山してコンビニに行っている。その都度慣れない車に乗っているのだから若干の緊張もある。
「俺なんて同じシーンで同じセリフばっかりで次のセリフが出てこなくなっちまった…」
「お疲れ様です。」
近くにセットされていた給湯セットでコーヒーを作って渡す。
「俺ミルクティーがいいわ。」
拒否されたので持っていたコーヒーを一気に飲んでやった。
そこに岩隈美千流。
「蔵ちゃん、またコンビニ言って来て、蛍光ペンのピンクと0,28の水色のボールペンね。よろしく」
彼女は台本を肘から先で振りながら言って来た。
「解りました。ほかにはありませんか? 斉藤さんは?」
「俺はない。それより美千流、さっきから頼み過ぎじゃないか? それにさっきまでペン使っていただろ、それはどうした?」
「なんか、さっきの移動中に山の中落としちゃったみたいで台本にマークしたいから早く言って来なさいよ。」
「解りました。」
私は近くのスタッフに伝え車に乗り込んだ。
「なんで蔵ちゃんにばっかり頼むんだよ。新人は覚えること多いんだぞ。この仕事してれば解るだろ⁈」
「だって聖くんが美千流よりもあの子ばっかり構うんだもん」
「別に付き合ってるわけじゃないんだからいいだろ。もう話しかけるな。お前ウザいよ。」
なんて会話があったなんて私は知らなかった。
ベンのサイズが見つからずコンビニ以外にも寄っていたら一時間以上かかってしまった。戻るとそこには機嫌がさらに悪くなった岩隈美千流がいた。
「お待たせしました。」
そういいながら渡すと彼女はそれをはじいた。いい具合にパチンという音が現場に響く。
「頼んだものじゃないじゃない! ほんと使えない新人!」
新人の処をやけに強く言われた。
寄ってきた彼女のマネージャーに事情を言っていると
「あいつは確かにピンクの蛍光ペンと水色のボールペンて言ったよ。細さもあってる。この子は悪くないよ。」
そういいながら斉藤さんは私の頭の上に手が置かれた。
子供あつかいにイラッとするも庇ってもらったんだ。文句は言わない。
その後岩隈美千流の機嫌は直ることなく。その日の撮影は終わる。
四日目。撮影の中盤を過ぎばらばらに撮っていたものでも話の流れが解ってきた。
そして今日も彼女は来た。雨が降っている中、傘も差さずに墓地を進み、帰って行った。それを教会の開け放たれたドアからみる。
「雨か、ちょうどよく振ってくれて助かったよ。」
「岩隈さんの撮影ありませんのもね。」
スタッフの一人と声の届かないところで小さな声で話す。
「それに明日は雨止むだろうから一番に山林のシーン撮っちゃわないと」
結局昨日は森でのシーンは撮り切れなかった。
「虫の次は泥に文句言いそうですけどね。」
「そう来たか…」
このドラマの中ではあまり重要ではないシーンと言うこともあり役者の顔にははっきりと疲れがうかがえる。
それはスタッフも同じこと、役者の出ない場面などを撮るのに徹夜や朝早いこともある。こき使われる分私は楽な方かもしれない。
五日目。今日の墓地は少し違った。初老の夫婦は女性より先に墓参りに来たのだ。気になり二人に声をかけた。
「あの」
「はい?」
優しくも悲しそうな笑みを浮かべる奥さんが聞き返してきた。
「突然すみません。ここ数日この周辺で撮影をしているんですが毎日こちらのお墓に来られている女性が気になりまして」
私の言葉に二人は驚いたように顔を見合わせまた私をみた。
「何かの見間違えでは? ここにはもう私たちしか来る人はいませんよ。」
と言われた。
その時背後に感じる気配。振り返れば彼女がいた。夫婦にそのことを言おうと振り返ると彼女に手を握られた。冷たい手だった。この感覚はテロと同じで少し違う。何も言えないままその場を去った。
「蔵ちゃん、あの二人と知り合いなの?」
突然現れた声に肩が跳ねる。
「いえ… 初めて会う人ですけど?」
声の主斉藤聖はふうんと言って岩隈美千流のもとに向かっていった。ディレクターが言うには今日彼女の機嫌がいいのは彼のおかげらしい。何かしら機嫌取りでもして撮影を長引かせないようにしてくれたのだろう。
夕方。予定していた分の撮影が早く終わりスタッフ・役者は飲みに行こうか? と言う会話をしていた。撮影が終わっても片付けや明日の順備を負かされている私たち下っ端は飲み会に行けない… 行ったところでお酒の飲めない私は飽きてくるだけのなのだが
いそいそと片付けが進む中一人動かない人物が目に留まった。視線を向ければ幽霊とわかった彼女であった。何か言いたげではあるが何も言って来ない。
足元でテロがそわそわと動いていた。どこかに行きたいのか私の足を押したり甘噛みしたりを繰り返す。
テロに気が取られているうち彼女はいなくなっていた。するとテロは歩きだし振り返る。
それを何度も繰り返すテロについてうっそうと生い茂る木々の間の道路を進む。舗装された道のため迷うことはない。テロもいる。
墓地近くともなれは当たり前のようにある花屋。その前でテロは止まった。
「いらっしゃいませ」
若い男性が一人でやっている様子でほかに客はいない。その割には多くの花が陳列されていた。その中で目立つのが色とりどりのチューリップだった。確か彼女の持っていた花束にも三色入っていた。
似た物を彼女の代りに手向けることをしても罰は当たらないだろうか?
「チューリップの白と黄色と紫、あとカラーと薔薇の黄色、キキョウで花束を作ってもらえませんか?」
店員は少し驚いた顔をしてからにこやかに返事をして花をバケツから選んでいく。
「好きな方がいたんですか?」
「へ?」
突然意味深い質問をされて目が点になる。
「チューリップもキキョウもカラーも花言葉は皆好きだ、愛しているといった感じのものだったかと、黄バラだけ失恋を意味するので片思いが終わってしまったのかと、すみません立ち入ったことを聞いてしまって、でも数年前にも全く同じ花束を買っていった方がいた者で」
接客スマイルらしい顔で言われる。
「そうだったんですか。多分その人の代理になりそうです。」
店員と目が合う。
「彼女のお知り合いの方でしたか」
「知り合いと言えば知り合いのようで違うんですけどね。彼女何があったんですか?」
店員は黙った。あたりまえか、知り合いのようで違う人間。彼女がどうしてああなったのか知らない人物にこれ見よがしに話すわけがない。
「教会の神父様に聞くと詳しく教えてくださいますよ。事故の瞬間を見ていたようなので」
御代を渡して店を出た。外は大分暗くなっていた。
暗くてもはっきり見えるテロの姿を追って歩く。途中段差につまずいたりしたものの戻ってくることができた。
教会に入るとろうそくで幻想的な雰囲気が出されていた。
「どなたかな?」
ドアが開いたことに気が付いたのか奥から神父が出てきた。
「あ、夜分に申し訳ありません。少し聞きたいことがありまして」
「……」
神父は黙ったまま私を見て、花束を見た。
「いいでしょう。」
神父に導かれ椅子に座る。
「あれは十年前のよく晴れた日の事でした。」
重い声で話し始めた。
あれは数年前のことだった。当時発症したら助かることはないだろうと言われた難病にかかった青年の十年以上の闘病生活がついに今日、終わってしまった。最後は笑顔で亡くなったんだという。
その青年には同い年の中学時代からの恋人がいた。彼女は青年がなくなって以来毎月、月命日に必ず墓参り着ていた。いつもは一人だったらしいが年に一度、四月だけは青年の両親とともに、だがその年は彼女が仕事の都合で遅れてくることになったらしく昼過ぎ彼女は一人歩いて山道を進んでいた。
青年の両親が言うには彼女の両親が進めてきた縁談に乗りその日が墓参りは最後にすると決めた日であったらしい。
だが彼女は教会まで来たところで不運にもアクセルとブレーキを踏み間違えたという車に引かれてしまう。その時持っていたのがカラー・キキョウ・チューリップ・黄バラの花束だった。着ていた花柄のワンピースが真っ赤に染まり悲惨な現場だったという。
車の持ち主はその場で現行犯逮捕。青年の両親に付き添われ救急車で運ばれるも彼女は車内で息を引き取った。
その後しばらくしてから女性の幽霊が出ると噂立つようになったという。
教会を出てお墓に花束を置いた。懐に湧き上がる感情が自分のものなのかはわからない。でも悲しくて喜んでほしくてでも少し責めてもらいたい。そんな感情とともに涙が出た。
意識が自然と傍観者に切り替わる。今泣いているのは私ではなく彼女なのかもしれない。
最後に会いに行けなかったことが悲しくて、結婚を喜んでほしいけど反対もされたい。そして死んでしまったことをきっと彼は怒っているだろうと考えている。
すっと感情がおさまる。もうそこに彼女はいなかった。
「おい」
聞きなれた声に振り返る… 前に涙を拭いた。
「何か?」
「何かじゃねぇよ。お前は行方不明だってみんなで探してる処だったんだぞ!」
「え…嘘‼」
焦って立ち上がる。でもその瞬間貧血だろうかフラっとなり地面に座った。
「大丈夫かよ⁈」
何だろうか。急に体の力か抜けてしまった。よくわからない思考が原因を探すもよくわからないものはわからない。
「おい、おい!」
彼の声すら虚ろに聞こえ始め、徐々に意識が遠のいて行った。
朝である。ここはどこだ? 服を着たまま布団に入るとは自分どれだけ疲れていたんだ?
いや、違う。
昨日あの後どうなったんだ⁈ 記憶が上手く出てこない。教会を出て墓地に入って、どうしたんだっけ?
部屋を見渡す。
自分の使っているホテルの部屋であった。枕の横にテロが寝ている。携帯を開けば多くの着信履歴。時刻は六時前であった。
布団から出れは体が重たいものの一先ず着替えた。喉が渇いた。
部屋を出てホテルの自販機のまえに立つ。こういうときでもほしくなるのが炭酸飲料と言うのはまだ自分がガキだからだろうか? プルタブを開け一気に喉に流し込む。
「おい」
ゴホッと飲み物が器官に入った。
「ゴホッ… ゴッホゴホ…… お、おはよう… ございます… ゴホッ」
「ああ、おはよう…… ってそれ以外に言うことあるだろ!」
え? 何かあったっけ? ……考える…。 あ!
「き、昨日はすみませんでした!」
盛大にあやまった。九十度なんてわけない。残り三十度ぐらいしかなさそうなぐらい頭を下げた。
「わかってんならいい。あとでみんなにも謝っとけ」
「え、あ、はい。」
もっと言われるかと思っていたが意外とあっさりしていて驚いた。斉藤聖。悪いやつではなさそうだ。
それはさておき、私は斉藤聖と遭遇してからどうやってここに来たのだろうか?
やはり彼が運んだのか? 悪いやつではないだろうが優しい?
いや、確かに優しさのある人間ではあるがわざわざ墓地で倒れた私を麓まで運ぶだろうか?
でもみんなが探してくれていたとも言っていたような… 収集の付かない思考を抱えたまま私は会議室に向かう。
朝のミーティングにて皆に謝る。怒られはしたものの慣れているからと任せ過ぎたという監督、殺された男の妻役の女優には予想以上に心配された様子。
そんな中岩隈美千流には
「あんたみたいな構ってちゃんマジキモいんですけど」
とわれるもほおっておこう。そういう世界だ。
撮影が始まる。
「昨日は追いてっちゃってごめんね。もう戻ってるかと思って」
私は置いて行かれたことになっていたようだ。実は自分から離れたと言おうとすると
「斉藤くんが血相変えて蔵ちゃん抱えてきたときはほんと驚いたよ。」
その言葉に何も言えなくなった。幽霊に一瞬取りつかれて疲れ果てたなんて言えない。
五日目の撮影が終わり撤収していく。その日幽霊であった彼女は来なかった。