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ころさなければ

 

 あのひとを。

 あのいとしいひとを、殺さなくては。

 そう思った。



 ぐわんと脳が揺れる。

 わたしは気づいてしまった。


 らいは国の英雄だ。大槍の腕が凄まじく、海を越え攻め入ってきたつ国の輩を二度も先陣を切って追い返した。それにより、我が国は圧倒的に有利な形でかの国と国交を結ぶことになった。

 かといって、戦狂いというわけではない。むしろ戦いを好まず普段は喧嘩一つしないでいつもゆたゆたと笑っている。そんな穏やかなひとだ。

 だから、民は皆磊を慕い、国の信頼を背負っている。


 しかしわたしは、気づいてしまったのだ。

 戦に、ではない。

 けれど彼は……狂っている。

 いや、狂ってしまった。

 ゆたりと微笑むその奥に、がたがたに崩れた心がある。その心がかろうじて形を成しているのは、ただ一つにしがみついているから。


 外つ国との二度目の戦で、彼は婚約者を失った。偶々巻き込まれたわけではない。

 彼の強さを恐れた外つ国が、婚約者を人質に取ったのだ。

 彼はなんとか奪い返すまではしたが、婚約者はすでに遅効性の毒を盛られ、その時には全身に回りきっていた。手遅れだった。

 そこで、彼は誰にも知られないまま、壊れてしまった。



 あれから十数年が経った。落ち着きを取り戻し、元に戻ったかのような彼。周りはそう思い込んでいる。けれどわたしにはわかった。彼は復讐を決め込んでいる。穏やかに戻ったのではない。機を狙っているのだ。

 しかも、復讐の相手は、外つ国ではない。


 わたしは真実を知っていた。

 かの国の侵攻に危機感を感じた王や議会が、磊の力を引き出すために、あえて婚約者を外つ国の内通者に攫わせた。

 国民を守るべき王や議会が、他国に国民を攫わせるままにし、何もしないでいたのだ。

 その真実を磊がいつ知ったのかはわからない。

 けれど気がついた時には、彼は手遅れなまでに暗く重い闇に呑まれていた。

 彼が何より慈しみ、愛しんで来た婚約者を、国を守るための人柱にしたこの国を、優しい笑顔で恨んでいた。


 ……わたしは、殺さなければならない。

 そのことに気づいて、そう思った。

 わたしは彼を愛している。心から。もしかすると、彼の愛する婚約者が彼を想っていたよりも。

 だから、彼に手を汚させるわけにはいかない。最早、今は亡き婚約者を除いては何者も彼を止めることはできないだろうし、彼の心をつなぎとめられないだろう。


 けれど彼を地獄に落としたくはない。あの優しい彼を。人から英雄と誇られ、讃えられる彼を。こんな醜い国の身勝手な王のために、汚れた犯罪者などにはしたくない。させてはいけない。

 だから。だから……彼に手を汚させる前に、わたしがこの手を汚そう。彼の代わりに、私が地獄に堕ちよう。

 彼を殺して、天に召したあと、この国を火に沈める。彼が憎んで、愛して、守ったこの国を、この手で滅ぼす。



 汚いことは全部わたしがやって、見届けて、終わらせてあげる。

 だからあなたは……穏やかに眠って。




―――






「……菊?」


 胸に感じる温かな重みと、首に感じるぴりぴりとした冷気。

 目を開けると、同僚の姪が、俺の上に跨ってこの首に刃を当てていた。


「おはよ。磊おじさん」


 にこっと笑う姿は、常の俺を慕う無邪気な少女のままだ。

 しかし、首に当てられた刃からは明確な殺意を感じる。

 俺は少し首を傾げた。その動きに合わせてぴったりと正確に、刃がついてくる。

 傾げてわかったが、体が痺れて緩慢にしか動かせない。


「……何してる?」

「磊おじさんを、殺そうとしてる」


 そうだろうなと思う。しかし、その理由が分からない。

 俺はいつものように穏やかに笑みを見せたまま、彼女を見る。


「俺は菊に嫌われるようなことをしていたか?」

「そんなことないよ!菊はおじさんのことだぁいすきだもん」


 菓子をねだる時のような、甘い声でそう言う。

 その声はいつものように無邪気なようでいて、到底十幾つばかりの少女には出せないような女の色が浮いていた。


 少女を、じっと見る。

 もしかすると、国の放った監視者なのだろうか。この、幼気な少女が?

 そうだとすると、同僚も国の手の者だということになる。


 あれこれと考えてはいたが、思考は意外なほどに冷静だった。

 冗談だとは思えない。明確な殺気を持つ少女に刃を向けられているというのに、何故か焦りはなかった。

 あれだけ復讐に燃えていたというのに。それだけが生きがいで、それを果たすまでは死ねないと思っていたのに。


 死を前にして動じない自分を不思議に思う。

 もしかすると、とっくに死の覚悟は出来ていたのかもしれない。

 彼女を失って、生きるべき理由など初めからない。

 彼女の仇をと思ったが、本当はもう楽になりたかったのかもしれない。

 この少女に討たれるというのも、悪くないのかもしれない。


 ふ、と自嘲が漏れる。


「……英雄なんて馬鹿馬鹿しい肩書きをつけられておいて、こんな少女に殺される最期か。お笑い種だな。反対に、国に泥を塗ることが出来る良い機会かもしれない」


「……おじさん、いいの?」

「ん?」

「生きるの諦めて。復讐するんじゃないの?」


 俺はやや目を見張った。

 何も知らされず仕事を頼まれた訳でもないらしい。

 この少女はどこまで知っているのだろうか。


「……菊。お前、何を知ってるんだ?」


 なんの駆け引きもせずそう聞くと、菊はふふふと笑った。


「おじさんのことならなーんでも。だって菊、おじさんのこと大好きなんだもん。ずっと見てた。だから、おじさんがこの国のこと大嫌いなのも、おじさんが人をたくさん殺そうとしてたことも、全部知ってるよ」

「……そうか」


 王妃から順番に王族を殺していこうとしていたことまで知られていたらしい。それはさくっと暗殺者を送られてきても仕方ないだろう。

 誰にも計画を話していなかったが、どこから漏れたのだろう。そこまで自分は怪しい動きをしていただろうか。

 俺が一言で返すと、菊はむっと口を尖らせた。


「……おじさん。菊の言葉信じてないでしょ。ほんとに、おじさんのことずっと見てたから気づけたんだからね?菊はおじさんのことこの世で一番好きだし、誰にも見せたくないほど愛してるんだもの」

「愛って……お前、そんな言葉どこで覚えた」


 同僚の姉夫婦は見ていられないほど仲が良かった。そこからだろうか。全く、子供に何を見せているんだと思ったが、暗殺をさせている時点で今更だった。

 俺が呆れていると、菊はますます声を荒らげる。



「もう!なんで信じてくれないの!菊は磊おじさんが大好きなの!あんな女(・・・・)なんかよりずーっと(・・・・・・・・・)!」



 がし、と、

 刃を握る小さな手首を掴む。




「……あんな女だと……」


 子供相手だとか、そんな良識は消えた。

 随分出していないような低い声が口から漏れる。

 菊のいうあんな女は、間違いなく彼女のことを指していた。

 自分がどんな顔をしているか、想像もつかない。確実に、人を殺せる瞳をしている自覚はあった。


 しかし、菊はそんな俺の顔にも怯えすらしなかった。そればかりか、俺を煽るような言葉を言い募る。


「そうよ。あんな女。磊に守ってもらっておいて、磊をおいてあっさり死んだ酷い女じゃない!わたしはそんなことしないわ。磊より先に死なないし、わたしが磊を守る。そのためならなんだってする。守られてばかりで何にも出来ない無能になんてならないわ」

「ふざけるな」


 ぎり、と手首を握りしめる。

 流石に痛かったのか、菊がやや眉をひそめたが、すぐに元の顔に戻った。


 腹のなかで泥水を煮込まれているようだった。

 先程まであれほど凪いでいた気持ちが、脳の裏にしまいこまれていた怨念の全てが、目の前の少女に向く。


「お前に何がわかる。彼女を知りもしない餓鬼風情に。あの他人想いで、健気で、清らかな彼女の何が。彼女は俺を信じてくれた。俺を待っていてくれた。俺を愛してくれた。何一つそれを理解しないお前が、彼女を侮辱するなど許されない」

「許されるわよ」


 冷静な声に、怒りが増す。しかし俺が言葉を返す前に、少女が続けて口を開いた。


「だってわたしの方が知ってるもの。他人を慮ろうとして婚約者の忠告も聞かず攫われた。心がけだけは一人前で戦う術は持たなかった。潔癖過ぎて他人の悪意に気づけなかった愚か者。ただ磊を信じて待って愛していることしか出来なかった、馬鹿で可哀想な杏のことを。あなたよりも理解しているもの」


 又聞きの情報というには、あまりにも実感のこもったその言葉を、俺は目を見開いて聞く。


「……お前……なんで、その名前を知って……」


 俺の婚約者、杏のことは、誰も口にしなくなった。

 俺の荒れた様子に恐怖して、王が密かに箝口令を出したのだ。

 俺には内密にしていたようだが、すぐに分かった。周りからは杏の名前も、言動も、死んだことも、生きていた事実すら消え去った。王は俺から杏の思い出すら、消させようとしたのだ。

 だから、当時生まれていなかった菊が、その名前を知っているはずなどない。


 菊は何も言わずに笑った。見たことのない種類の笑みだった。


「だからね、磊。わたしはあなたを殺すの。あなたが杏なんかのためにその手を汚す前に。こんな国のために地獄に落ちる前に。わたしはあなたを殺す術を持っている。わたしは国を滅ぼす法を知っている。あなたがなんにも知らないきれいな赤ん坊になるために、わたしが地獄に堕ちてあげる」


 呆然とする俺の首に、菊はするりと刃を滑らす。熟練した、手慣れた動きだった。


「選んで、磊。杏を想う心を殺すか、わたしに殺されるか」





 少女は、艶やかに微笑んだ。

 菊でも、まして杏のものでもない、知らない女の笑みだった。




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