第五話 魔王の娘
銀色の粒子をまとう幻想的な美少女。
そんな比喩が実現したかのような少女がいた。
初めて会ったのは、魔王との最終決戦の時。
戦いの前に、彼女は父である魔王と抱き合っていた。
『お父さん、頑張って』
そんなことを言っていた記憶がある。
あの、悪逆非道な魔王も、娘の前ではただの父親だった。
優しい笑顔で、彼女を抱きしめていた。
戦いの前にそんな光景を見せられて、正直戸惑った。
憎むべき敵だと思っていた魔王に、微かな人間味を感じてしまった。
でも、魔王は魔王だ。
人間を殺し続けた悪の親玉を、看過できなかった。
魔王は、俺たち人間にとってはただの殺人鬼なのだから。
魔王が死んで、多くの人々が幸せになったことだろう。
でも――彼女にとっては、違う。
魔王の娘にとって、魔王とは単なる父親でしかなかったはずだ。
魔王が死んで、彼女はきっと不幸になったことだろう。
そして、俺を憎んでいるはずだ。
「……っ」
罪悪感からか、無意識に後退してしまう。
だが、彼女は逃げることを許さなかった。
「待ちなさい、あなたに逃げる資格なんてないわ」
浴槽から出て、彼女は一糸まとわない姿で俺に歩み寄ってくる。
思わず目をそらしてしまった。
「なによ、目をそらして……こんな体に欲情しているのかしら? 物好きね」
しかし彼女は勘違いをしていた。
「違うっ……その、合わせる顔がなくて」
「ふーん。別に欲情してても良かったのだけれど……まぁ、自分の罪は自覚しているのは良いことだわ」
そう言って彼女は、俺の胸倉をつかんだ。
「私はあなたに父を殺された」
淡々と述べられた事実に、胸が痛くなる。
魔王を討伐したことに後悔はなかった。
しかし、ただ唯一――魔王を討伐したことで不幸になった彼女に、俺は何も言えない立場だ。
例え、父親がどんなに悪人だろうと。
その娘に、罪はないのだから。
「私はとても不幸になったわ……たった一人だった身内を亡くしてしまったの」
「……ごめん」
謝っても意味はないだろうが、言わずにはいられなかった。
俺の謝罪に、彼女は静かな笑顔で言葉を返す。
「許さないわ」
そこまで口にして、直後――彼女は俺のほっぺたに唇をつけた。
「…………は?」
ポカンとした。
何をされたのか分からなくて、一瞬だが呆然としてしまった。
そんな俺に、彼女は口に手をあてながら笑う。
「だから、私を幸せにして」
その言葉に、恨みや憎しみはなかった。
彼女の本心からの言葉みたいだった。
「父を殺したあなたには、私を幸せにする義務があるわ。父が私を幸せにしていた以上に、あなたは私を幸せにしなければならない……それがあなたの贖罪よ」
贖罪。
その一言で片づけるには、あまりにも複雑な感じがした。
「俺の事……嫌いじゃないの? その、お父さんを殺した本人なのに」
「一目惚れしちゃったわ」
さすがは、あの魔王の娘だった。
「人間の分際で、あの父に勝つなんて……惚れないわけがないでしょう?」
色々と俺の想像を越えていた。
「それに、父はいつか殺されることを望んでいた。私にもよく、『俺様がいつ死んでもいいように心構えしておけ』なんて言ってたわ……しょうがない人だったの。いい父親ではあったのだけれど、私以外には自分勝手だったし、横暴だった。殺されても文句は言えないような生き方をしてたみたいね」
魔王については、彼女には申し訳ないが擁護できない悪人だったと思う。
「だから、魔王を殺したことに文句はないの。でも、私の『父』を殺した責任は、あなたが取らないといけないでしょう?」
「……うん」
「だから、私を幸せにしなさい。後ろめたくても、罪悪感があっても、私から逃げないで。目をそらさないで、私をしっかり見てほしいわ」
これは、義務だ。
魔王を殺した後始末は、勇者だった俺が取るべきだと彼女は主張していたのだ。
もちろん、俺にその言葉を否定することはできなかった。
「俺で良ければ……全力で、お前を幸せにする」
「はむ」
「――っ!?」
すると突然、彼女は俺の耳たぶを噛んできた。
何か不満があるらしい。
「『お前』じゃないわ。エレオノーラが、私の名前」
なるほど。名前を呼んでほしかったようだ。
「……エレオノーラ。幸せに、させてくれる?」
言い直すと、彼女は嬉しそうに笑った。
「ええ。仕方ないわね……幸せにされてあげるわ」
そして彼女は、濡れた体で俺に抱き着いてきた。
「これからあなたは、私の下僕よ。私を幸せにすることを一生懸命に考えて……だから、ほら。抱きしめ返しなさいよ」
汚い俺を、他のみんなと同様に彼女も気にしていない。
言われるがままに抱きしめると、エレオノーラは喜ぶかのように身を震わせた。
「あはっ。父も、最後にいい仕事したわね……あなたみたいに素敵な人が私を幸せにしてくれるなんて、嬉しくてしょうがないわ」
……魔族の死生観は、人間の俺にはよく分からない。
父の死をこんなに軽く扱うのは、やはり人間と違う生物だからだろう。
しかし、贖罪のチャンスを与えてくれたのだ。
その優しさに甘えて、俺は彼女を幸せにすることを誓う――