第二話 こうして勇者は、無職に再就職しました
いつの間にか雨が降っていたようだ。
「風邪をひいてしまいます。どうぞ、傘にお入りください」
彼女はしゃがみこんで俺を傘に入れてくれた。
突然の優しさに、俺は目を見張ってしまった。
「……やっぱり、勇者様ですね」
彼女も俺を見ている。
黒髪黒目の、愛らしい少女だ。年齢はたぶん十代前半くらいだろう……メイド服を着た彼女は、バスケットを地面に置いてからハンカチを取り出して俺の顔を拭ってくれた。
「お久しぶりでございます。わたくしのこと、覚えていらっしゃいますか?」
「……ごめん、分かんない」
申し訳ないが記憶になかった。
しかし彼女は気にしないでいいと首を振って、俺に名前を教えてくれた。
「初対面の時はまだ幼かったので、仕方ないことです……わたくしはルーラと申します。数年前に、あなた様に命を救われたしがない村娘です」
「……もしかして、ビレッジ村の?」
言われて、なんとなくだが彼女に似たような女の子を助けた記憶がよみがえった。
とある辺境の村で、魔物に襲われていた少女を助けたことがある。
「はいっ。覚えていてくださっていたのですね」
彼女――ルーラは、俺の言葉に小さく微笑んだ。
「あなた様のおかげで、ここまで大きくなりました。改めて、お礼を言わせてください」
ルーラはしゃがんだままぺこりと頭を下げた。
「いやいや……当然のことをしただけだから」
助けるのは当たり前だ。今更お礼を言われても、照れくさかった。
それよりも……俺は、さっきからずっと気になっていたことを口にする。、
「……あのさ、パンツ見えてるよ?」
メイド服でしゃがみ込んだせいで、俺のアングルからはバッチリと白いパンツが見えていた。
気付いていないのかもしれないと思って、一応注意したのだが。
「見せているのです。あなた様に、少しでも元気になってもらいたくて」
どうやらわざとらしかった。
「……あ、ありがとう」
さすがに十代そこそこの女の子のパンツで元気になるとは言い難いけど、気持ちは嬉しいので受け取っておいた。
「あなた様を、探しておりました」
彼女はパンツを隠さないまま、俺の髪の毛に触れてくる。
濡れているし、土埃で汚いだろうに、まったく気にしていなかった。
「魔王様を討伐した後、カントリー王国の首都に戻っているというお話を聞いて……数日前から、あなた様を探していたのです」
「……俺を? なんで?」
「会いたかったから――という理由では、ダメでしょうか」
「っ…………」
言葉から感じる温かみに、一瞬だけ息が詰まった。
嬉しかった。彼女の好意が、荒んでいた心を癒しているみたいだった。
「ううん。嬉しい、よ」
「左様でございますか。迷惑でなかったのなら、わたくしも嬉しいです」
ルーラはあまり感情が表情に出るタイプではないのだろう。口調もどこか淡々としていた。
しかし、言葉の節々に込められた親愛の思いに、俺は少しだけ泣きそうになっていた。
「ごめん、ね……ルーラの恩人が、こんなに情けなくなってて」
同時に、罪悪感も覚えてしまう。
今の情けない俺を見られているのが、なんとなく恥ずかしかったのだ。
でも、ルーラはそんな俺に優しく微笑んでくれた。
「いえ……あなた様は、素敵です。そのようなことを言わないでください。わたくしが、悲しいです」
彼女の温かい手が、俺の頬に触れた。
こんな俺から、ルーラは目をそらさないでくれた。
「お仕事を、探しているようですね……あなた様を探して聞き込みをしている時に、噂を耳にしました」
勇者が求職している、というのは街でも噂になっていたようだ。
ということはつまり、俺が職に就けていないということも彼女は知っているのだろう。
「勇者様、甘やかされるだけのたいへんなお仕事がありますが、どうしますか?」
唐突に、彼女はそんなことを口にした。
「し、ごと……?」
「はい。昼過ぎまで寝て、ごはんは好きなものだけを食べて、お小遣いで豪遊して、お世話されるようなお仕事です……とても重労働かもしれません」
意味不明な仕事内容だ。
いつもの俺なら、もっと詳しい説明も求めていただろう。ルーラがどんなことを思っているのかも、気になっていたはずだ。
しかし、この時の俺は空腹すぎて、これ以上何も言うことができなかった。
「これから、勇者様のお仕事は『無職』になります。それでもよろしければ、雇わせていただけませんか?」
「……ごはん、食べたい」
思わず口にした欲求の言葉。
それを聞いて、彼女はおもむろに地面に置いたバスケットから丸い物体を取り出す。
「おっと。そういえばおにぎりがここにありますね……」
それはまぎれもなく、ごはんだった。
数日振りに目にした食べ物に、俺は我を忘れた。
「勇者様が頷いてくれたら、あげますよ?」
「うんっ。分かった、何でもやる……だから、ごはんをっ」
だから俺は頷いてしまったのだ。
久しぶりの優しさに、心が緩んでいたせいもあっただろう。
ほとんど初対面に近い彼女に、俺は甘えてしまった。
しかし、俺の情けないところを見ても、ルーラは優しく受け入れてくれた。
「嬉しいです……引き受けてくださりありがとうございます。どうぞ、召し上がってくださいませ」
差し出されたおにぎりに、俺は即座に飛びついた。
「――っ」
数日振りのごはんは、言葉にできないくらいとても美味しかった。
「慌てないでも大丈夫です……まだまだ、ありますので」
ルーラはバスケットから、たくさんのごはんを出してくれた。
それが、俺のために作られたということに、この時の俺はごはんに夢中で気付くことができなかった――