堂ケ崎久音のバレンタイン(16)
皐月が原高校玄関口一年生の下駄箱には甘ったい匂いがそこら中から漂ってきて、俺は思わず顔をしかめた。
俺こと堂ヶ崎久音という男は齢16歳となる一般的な高校一年生である。
生まれた年=彼女いない歴である俺は今年も一人寂しくその場から立ち去って、自分のクラスの席へとたどり着く。
だがクラスの席周りでも甘ったるい匂いは俺を追ってくるかのようにいつまでも残っていて苦しめ続けるのだ。
今日はバレンタインデー、女子が気になる男子にチョコレートと呼ばれる悪魔の食べ物を渡し、それを男子は素知らぬ顔で全て食さねばならぬ苦行とも呼ぶべきイベントである。
悪魔の食べ物であるからして、一つももらえない者こそが真の聖人君子であり、もらわないからこそ行ける高みと言うものが存在しているのだ。
…えーつまり何が言いたいのかと言うと、チョコもらうやつは全員俺の敵だということである。
「…今年も、なしか。一人くらいくれても罰は当たらないんだけど、な。」
俺は人知れず小さく呟いて、まだ朝の登校時間だというのに既に渡されたチョコレートの包みを広げる馬鹿どもをそっと睨みつけてやった。
今教室には友チョコなどと言われた女子同士の交換も行われていて、てんやわんや騒がしい。
俺の顔は精巧につくられすぎている。だから周りは俺に一切寄りつくことさえしないのだ。
俺は開かれた皆との距離に辟易しつつ、何も置かれていない机と窓の外を眺めた。
風がびゅんびゅんけたましく音を立てて、窓を破らんと打ち付けている。きっと外に出れば寒空の下、ブルブルとその身を震わせることになるだろう。
あーあ、そこらへんでいちゃついてる男女。
仲良くチョコ持って会話してる奴等もみんな含めて、外に追い出してきっつい風邪でも引かせてやろうか。
今の俺にはそれぐらいしかできないから、さ。犯罪にならない程度にやれることはやらせてもらうぜ。
「…おっいたいた。おーい久音くーん。おはよう!」
しかしきた。きてしまった。
今一番会いたくない奴が最悪のタイミングで来た。
その手には持ちきれないほどの贈り物が存在する。
こちらに駆け寄ってくる彼の表情はいつもの晴れやかな笑顔であるが、今の俺には悪魔のほほえみにしか見えることはない。
きっとあの中にはチョコレートやクッキーやとにかく甘ったるい醜悪な物体が所狭しと詰まっていることだろう。反吐が出る。
「…これまた見せつけてくれちゃって。」
「ん?何か言ったかい?久音くん」
「…なんでもない。」
俺は目の前で不思議そうに首をかしげている幼馴染の安藤清詞に顔を向けることなくあらぬ方向を見続けた。
清詞は相も変わらずいつもの笑顔であるし、元気そのものである。
小さいころから変わらない、俺に人が寄り付かないことを悟ってこうして話しかけてくれるのはありがたいやら何やら。
ただ今日だけは話しかけてほしくはなかった。出来ればそっとしておいてほかったのだ。
こんな最悪な、クソッタレな一日を、格差ってやつを現実をこうまざまざと見たくはなかった。
「それでさー。早速なんだけど久音くんに相談したいことが…」
「…その手に持っている大量の贈り物以外の話になら、相談に乗ってもいい。」
「え?ひっひどいよ久音くん。少しぐらいこの処理について付き合ってくれてもいいじゃないか。」
ダメに決まっているじゃないか。
折角女子があなたのためにってくれたチョコやらクッキーやらなのでしょう?
それを他人にやるだなんてしちゃいけないよね。ダメだよねそれは
「…勘違いしてるかもだけど、これ僕がもらったものじゃないからね。生徒会長に押し付けられたやつだから。」
あくまで自分の分はちゃんと感謝していただくのだと、これは生徒会長である目白木葉連に無理やり押し付けられたものだと主張する悪魔KIYOSI。
そんな手に乗るか!こいつがかなりのお節介やきなのは、小さいころからわかっていたことだが俺がそれにのる必要はない。
それに何故そのようなみじめなことをおれがしなくてはならないのか。
理由を教えてもらいたい。
俺がそれをすることによって生じるメリットを、原稿用紙1枚程度の短い文で。今すぐに!
「まあ手伝ってくれないなら仕方ないね。他の男子に頼んで「…よし、わかった。俺が少し手伝おうじゃないか。」」
俺は他の席へと移動しそうになった清詞の腕を強引につかむ。
清詞はパッと笑みをこぼして、「それじゃあこれくらいお願いするよ」と5箱程度の箱を置いて行く。
…なに、他の男子に迷惑がかかるといけないからと思っただけの親切心での行動である。
けしてチョコレートが食べたいからだとかバレンタインだというのにひとつもないというのも悔しいだとかそういう浅はかな考えから思わず受け取ったわけでは…
「…とにかく今度生徒会長に会ったら一言いってやらんと気がすまんな。」
俺は決意を固め、来る授業開始のその時までふわふわとどこか浮足立った教室の雰囲気に重いため息をついた。
そしてみるみる時は過ぎて放課後…
いつものように靴箱へとおもむき帰宅の途につこうとすると、何やら俺の靴箱が妙な膨らみを得ていた。
なんだろうと不思議に思って高さ数十センチ、横幅も数十センチしかない己の靴箱を眺める。
まだバレンタインは終わってはいないのだ。
もしかしたら恥ずかしがり屋な誰かがこっそり俺の靴箱に贈り物を置いて行ったのかもしれない。
少しの期待を抱きつつ、靴箱の蓋を開けてみる。
するとなんということでしょう。そこには生きたすっぽんさんが亀甲縛りされていたのでした。
「…なぜにすっぽん?靴箱に、すっぽん?」
少し苦しそうに悶えているすっぽんをしり目に俺は何とか靴箱から靴を取り出す。
…よくこれ程成熟した大きめのすっぽんを入れることが出来たものだ。
殆ど無理矢理と言う形で押し込められている。何もこんなところに押し込まれるためにすっぽんさん生きてきたわけじゃないんやで?
普通にかわいそうではないか。すっぽんさん。
「…ん?これは手紙、か?」
靴を取り出した所為からか紙がするりと地面に落ちる。
見てみるとどうやら手紙のようだ。便箋にはハートマークのシールがはりつけてあった。
こっこれはもしかしてもしかしてもしかして
「…いやいや。だからってすっぽんはないだろう。すっぽんは」
俺はため息をつきながらも落ちた手紙を拾った。
出来れば普通にチョコとかクッキーとかがよかったのだが…変なところで個性とか出さなくてもいいんだよ?
周りを見渡せば、いつの間にやら人が集まってきている。すっぽんの入った我が靴箱は何かと目立ってしまっていたようで、このままだとめんどくさいことになりそうだ。
「…さっさと立ち去った方が身のため、か。」
俺はすっぽんを脇に抱えてその場から早々に立ち去る。
後ろからの喧騒を振り払って、家へと帰宅する。
途中何やら高麗人参やらとかげのしっぽやらとにかく体によさそうなものがすっぽんの縄部分に括りつけらていたのだろう道路に散らばるが、気にしてはいられない。
どーせ今も俺のことを監視しているだろう、あいつがきっとこれらを回収して、後に送ってくれることだろうからな。
任せてやればいい。あいつの仕事が増えようと知ったことかよ。
何が嬉しくてこんな、こんなすっぽんを抱えて帰らねばならないんだ。
あーいらいらする。ホント誰だ。こんなの靴箱に入れたやつ!いじめか?新手のいじめなのか?
…いいぜぇ?相手になってやんぞおらっ
でそんなこんな全力で町内を駆け巡っている内に家の前につきました。
でもどうしましょう。このすっぽん、隠すものもないので丸裸です。
こんなものを家に持ち込んだら母を大層驚かせてしまうのではないでしょうか?
「…まあ、手ぶらで帰ってくるよりはまし、なのかな?親的には」
清詞から5箱もらったお菓子類は既に俺の胃袋の中、無表情でお腹に詰められて口の中は既に甘味で占領されている。
そんな中でのすっぽん、お肌がつるつるになっちゃうかんな。
きっと母も手を上げて喜んでくれるんじゃないかな?(自暴自棄)
「…おにいちゃん。そこで何してるの?」
俺が家の前で悶々としていたのを見かねたのか、2歳年下の我が妹である堂ケ崎芽音がジト目でこちらに問いかけてきた。
俺の真っ黒で艶やかな黒髪とは違い妹は光にあたるとキラキラと輝くように見える銀髪で、それをあざとくもツインテールにしている。
容姿も兄である俺が言えた話ではないがかなりの美少女。それでいて学業もスポーツもなんでもござれな中学生。末恐ろしいですな。
そんな妹から俺は内心いきなり話しかけられてひどく驚いてしまったことを隠すように言葉を綴った。
「…ん。今帰りか芽音。ただいま」
「おかえり。で、なんでおにいちゃん家の前で止まってるの?早く中に入りなよ。」
「…うっそれは、だな。こいつがあるから入りづらいというかなんというか。」
俺は家族に隠し事などしないと固く決めているので、脇に抱えているすっぽんをちらりと妹に見せる。
すると妹もまさか俺がすっぽんを持っているなど想像していなかったらしく、かなり驚いた表情を浮かべている。
「…おにいちゃん、どうしたの?バレンタインであまりにチョコ貰えないからお取り寄せでもしたの?あたまだいじょうぶ?」
「…何が悲しくてすっぽんをお取り寄せしなきゃならん。靴箱にこれと一緒にいれてあっただけだ。勘違いするなよ」
俺はまだ開封もしていない手紙をひらひらと妹の前で見せびらかす。
すると妹はさらに驚いたようで、目を丸くしてたたずむ。
「おにいちゃん。とうとう異性からラブレターもらう年になったん、だね。芽音うれしいよ」
「…年は関係ないと思うぞ。年は」
まあ中身を見てないからまだラブレターだと決まったわけでもないが、おおむねそんなとこだろう。
やばい。苦節16年、ついに俺にも彼女が出来る、かもしれないな。
ほんとバレンタイン様々だな。
「とにかく入ろうおにいちゃん。今日はすっぽん鍋でお祝いだよ!うれしいね!」
「…そうだな。大げさだが、それくらいやってもいいかもしれん。」
異世界に転移すること497回。累計263年もの時を生きてきた。
その人生は争いの果てにある希望を求めた盃。数多くを戦いのために費やしてきた。
時には多くの女性と知り合った。けど一つの戦いが終焉を迎えると仲間は俺の元を立ち去って行った。
何が悪いのかはわからない。が一つには年老いることのない綺麗なままの俺が原因であることは間違いない。
いつまで異世界に転移し続けなくてはならないのだろう。
終わりのない迷路に迷い込んでしまったかのようだ。こうして普通の日常を謳歌出来るくらいの余裕が今はとても心地よい。
「…さて、この手紙にはいったい何が書いてあるやら。楽しみだな。」
俺は微かにそう笑って妹が開けてくれた家の扉をそっとくぐって、母の待つキッチンへと足を進めるのだった。
手紙の内容は皆様のご想像におまかせします。
ですが、そのあともリア充爆発しろ病は治っていないことから念願の彼女はできなかったようですね。
・・・すっぽん美味しいです。