名前
妖怪もの
何にも縛られてない
自由な暮らしが好きなんだ
昇りきった月
地上では、都会の街灯や店の灯りが消える事なく街を照らしていた
まったく、風情もなにもあったもんじゃない
これだから都会は
そう言われるのも頷ける
我々にとっては眩しすぎるのだ
月明かりだけでも、まだこんなにも明るいというのに
はあ、と小さくため息をついた
他人の家の屋根の上も落ち着かない…
おかっぱ頭の少女はすっと立ち上がり着物の襟を直した
そして身軽に屋根の上から暗い道路へ飛び降り、軽い足取りで歩きはじめる
「座敷童子が何故家を離れねばならんのだ」
ぶつぶつと文句を言いながら、まだ賑やかな街の中へと消えていった
昼間は日差しの当たる場所で寝て、
日が落ちれば気分次第で何処へでも
気ままな暮らしが好きだった
だから人間なんかに飼われているヤツを見ると哀れんでいた
人間なんかに興味無かった
腹が膨れれば満足
だったはずなのにー…
ゆらゆらと長い尾を揺らしながら、一匹の白黒の柄の猫が家を眺めていた
視線の先にあるのは随分と長い間使われていない一軒家
壁はコケに覆われ、所々草が生えている
窓を覗くと使い古された家具がそのまま、埃を被って眠っていた
家族がここに住まなくなって随分と経ち、この家は取り壊される事になった。
土地の買い手が見つかったらしい
いや、今まで見つからなかったのが不思議だったのだ
賑やかな商店街から少し離れた場所にあり、駅も歩いて15分もかからない
大々的に広告すればもっと早く売れていただろうに…
猫はゆっくりと目を閉じた。
それと同時に冷たい風が全身を打ちつけた
「おやおや、こんな所に居ましたか」
ふと気がつくと、いつの間にか誰かが背後に立っていた。
見ると黒髪のおかっぱ頭で、着物姿の少女がこちらを見ていた。
どうせ猫の鳴き声にしか聞こえないんだ
少し反応してみようか
そう思い「私の事かな?」と訪ねてみた。
人間にとっては「にゃあ」と鳴くただの猫だろう
あまり期待もせずにゆらゆらと尾を揺らして様子をみていた
「ああ、お主の事だよ。猫又殿」
正直驚いた
「言葉…通じてるのか?」
コクリと頷く少女。
間違いではないようだ
確実に言葉が通じているのだ
それを裏付けるように少女はこちらを真っ直ぐ見つめニコッと笑った。
「おや、まだ自分の事に気付いていらっしゃらないようですなぁ」
少女がケラケラと笑う
少し古臭い喋り方や今はあまり見かけない着物姿がどこか不気味さを感じさせた。
「どういうことだ?それと“ねこまたどの”とは、本当に私の事か?」
「他に誰が居るのかね?自分の尾の先を見れば分かると思うがね」
尾の先?
言われるままに自分の尻尾の先に視線を移した
いつの間にか先が2つに枝分かれしてしまった尻尾が目についた。
私も長く生きてきた。
容姿が多少変わることもあるだろう そう思っていたのだが…
猫又とはこの尾の事を言っているのか
「これがどうかしたのか?」
とぼけたように聞いてみた。
少女はどこか楽しそうに私の横に寄ってくると、
着物が汚れることは気にする様子もなく座り込んだ。
「お主、猫にしちゃ長生きだとは思わんかね?」
一拍置いてから
「長生き?そうかもしれないな」
そう返してまた家を眺めた。
もうずっとここに居るのだ
時を忘れてしまいそうなほど
「長く生きた者には、それなりに与えられるものがあるのだ。それはその証なのだよ」
与えられるもの?
私にはよく分からん…
“それ”とはこの先の割れた尻尾の事か?
「簡単に言うと昇級かのう。お主はもうただの猫ではない。猫又という妖なのだよ」
「なにを言い出すのかと思えば…
なら君も妖だというのか?」
その質問に少女はニヤリと笑って答えた
「ご名答。私は座敷わらし
お主をコチラ側に案内しに来た者だ」
乾いた冷たい風がふいた
風は建て付けの悪い家のガラスを叩いてはガタガタと音を立てている
“座敷童子”
そう名乗った少女は、私の反応を伺うように静かにこちらを見ていた。
最初はからかっているのかと思っていたが、違うようだ
なんとなくそう思えた。
「座敷童子か…
それが君の名前なのか?」
その質問に少女は首を横に振った
「それは違う。そういう種族といったところだ」
「種族?猫又というのも種族なのか」
「そういうことだ
話が早いのう」
いきなり自分が妖怪だと言われて、はいそうですか と納得など出来ない
ただ ぼーっと座敷童子の話を聞いていた
ふと過去の記憶が蘇った
「…私はかつて“花”と呼ばれていたのだ」
私の頭を撫でながら名前を呼んでくれた、とある人間が目に浮かんだ
私は深く考えもせずにその名前を口にしていた。
そう呼んでくれる者も居なくなったと言うのに
「どこにでも居そうな名前だろう?
それにどこか犬っぽい」
少し笑ってそう言った。
誰かを笑っているんではない。自分自身が滑稽でならなかったのだ
「それでも気に入っておるのだろう?」
つられたのか少女もケラケラと笑った。
最初は不満でならなかったのに
今ではこんなにも執着している…
たまに呼ばれないことを寂しく感じていた。
だからずっと待っているのかも知れない
この家の前で
家族が帰ってくるのを
「花殿
そろそろ待つのも疲れただろう?」
座敷童子は家を眺めながら言った。
その表情はどこか懐かしいものを見ているようだった
それを見て私は静かに頷いた
「私は長く生きすぎた…
知っていたんだ。
ここの家の者達はもう戻っては来ない…」
そう、もうずっと前の話だ。
家族旅行に行くと私に楽しそうに話して出かけて行った
帰り際に事故にあい、そのまま帰る事は無かった
出かける間際、幼い娘が言った言葉がどうしても頭から離れないんだ…
「…のう
お主は名前に縛られ過ぎていないか?」
耳をピンと立たせて座敷童子を見た
返事の代わりに尻尾を一度だけ大きく上下に振った
尻尾はパタンと音をたてて地面を叩く
「こんな所に縛られてなんになるのだ
それに、ここはもう直ぐ壊されるのだろう?」
その通りだ
それでも…
“帰ってくるまで待っててね”
笑顔でいわれた言葉が
どうしても離れない
私はずっと待っているのに…
いつまで経っても戻って来ないじゃないか
どうかこれ以上
私を縛らないでおくれ…
「いいのかえ?」
ゆっくりと歩き出した私の背中に座敷童子は声をかけた。
「私は猫だぞ?
ここはもう飽きた。連れて行ってくれないか?」
猫は気ままな生き物
人にも家にも縛られない
座敷童子は満足そうに微笑むと、陽気に歩きだした。
私もその後を追う。
ありがとう。
そして、
さようなら
好かないと言いながらも、居心地な良い場所に捕らわれすぎて、妖怪になる程の時間を割いて生きた猫のお話でした。
猫は本当に気ままな生き物ですよね。
懐いたと思って、触りに行こうとすると逃げてしまったり