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真っ暗だった思考の中にゆっくり、ゆっくりと光が差し込む。
(ここは天国ですかね?)
それにしては随分と固いマットレスだ。夏用シーツの荒っぽい手触りも、やけにリアルに頬に触れている。
(それに、何ですか、この匂い……)
やけに青臭い、植物を強く煮込むにおいに顔をしかめながら起き上がると、そこは質素な部屋だった。自分が寝ていた寝台は簡素なもので、リネンは真っ白く洗い上げられてはいるものの、飾りもそっけもない実用一辺倒のデザインだ。他に家具といえばやはり簡素で実用的なワードローブが一つあるきり……
「誰かが私を助け……ってっ!」
焼かれるような痛みに肩を押さえると、傷口は強めにしっかりと包帯が巻かれている。「お礼を……言わなくてはなりませんね。」
失血にふらつく足で立ち上がろうとしたそのとき、ドアが開き、大柄な泥人形がカップを掲げて入ってきた。
「まあまあ、まだ起きてはダメよ。」
口調から女性だということは解るが、泥を不恰好に捏ね上げて作られた体は手足がついているから人型だと解る程度の簡素さで、顔も指で乱暴に描かれた落書きのように目が二つ、それに口の部分がくぼんでいるだけのお粗末さだ。
それでも落ち着いた色彩のエプロンドレスを身に着けているのを考えると、『年配の』女性なのだろう。
「とりあえず、これをお飲みなさい。」
先ほどからの匂いの正体は、これだ。カップの中でどろりと濁って湯気をたてるそれは、とてもおいしそうには見えない。
「これは?」
「ナーセニーユの葉を煎じたものよ。血がたくさん出ていたから、念のために飲んでおきなさい。」
柔らかな、だが逆らうを許さない、母を思わせる口調に、ヤヲは思わずカップを受け取ってしまった。
「い……いただきます。」
「ちゃんとフウフウするのよ。」
息を詰めてその液体を喉に無理やり流し込みながら、ヤヲは彼女に好奇の目を向ける。正直、きちんと動いているゴーレムを見るのはこれが初めてだ。
ゴーレムとは、錬金術によって土くれから生み出された人造人間。遺跡から発掘されたという話はときどき耳にするが、術者を失い、術式を刻んだ術符を外された『ただの土人形』が動いたという話は聞いたこともない。
「お一人で暮らしているんですか?」
ヤヲの不躾な問いに、表面にくぼんだだけの口が、にっこりと微笑みの形に変わった。
「娘がいるのよ。今はお城に勤めていて、なかなか帰ってこられないんだけどね。」
「お城に……ですか。今は旅任の身ですが、私もノーニウィヨの城に勤めているんですよ。」
「まあ、じゃあ、うちの子に会ったことがあるかしら? 親の私が言うのもナンだけど、家の子は美人だし、剣の腕は立つし、スタイルも良いし……」
屈託なく、きゃいきゃいとはしゃぐ親馬鹿さは、『嘘』をついてはいないという証拠だ。
(でも、お城にゴーレムなんか居ましたっけ?)
少なくとも、ヤヲの記憶にはない。そもそも、ただの土人形に子供を生む能力など……
いぶかしむ様なヤヲの視線には気づかず、彼女は空になったカップを取り上げる。
「さあ、怪我人はもう少し寝なさい。起きたら、お城の話を教えてちょうだい。あの子ったら、自分のお勤めのことは何も教えてくれないのよ。」
(スラスラが居れば……)
いつものように小生意気に伸び上がって、ちょっと乱暴な口調でゴーレムについて解説してくれるに違いない。
頼れる相棒が居ない心細さに、ヤヲは大きな体を子供のようにぎゅっと縮めて布団に潜り込む。
その背中を布団の上から優しく叩いて、ゴーレムが奇妙な節回しで古代語を紡ぎ始めた。
「レウシザ=ハ=ヒシノー(揺り篭の中で)……」
「……何の呪文ですか?」
「あら、音痴でごめんなさいね。子守唄なのよ。あの子が小さいときは、よくこうやって歌ってあげたわ。」
「……ご迷惑でなければ、聞かせてください。」
布団に潜り込んだヤヲの上に、柔らかな歌声が積もるように降る。
[揺り篭の中で、眠るあなた。 笑っているのは誰のため。笑っているのは誰のため……]
聞いたこともない昔風の旋律は暖かく、深い安心感に小さく微笑んだヤヲは、眠りのためにまぶたを閉ざした。




