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最弱とはいえ、あれほどの小さな傷が致命傷になるわけも無く、傷口は粘り気の強い液体で塞がった。
「ほらな、平気だっただろ?」
寄り添っている小さな姫君を安心させようと、体の表面に笑顔を模る。
銀の瞳が2ミリほど緩み、安堵の溜息が聞こえた。
「ンなことより、黒幕は、そのムナノーってやつだったわけだ。」
「ムナノー=ヒッツ卿。家、零落。」
「だから、『婚姻外の子』を手に入れようとしているのか。お前についてくる特典は、貧乏爵には魅力的だろうからな。」
「婚姻、いや。」
ユリは僅かに身をくねらせ、頬をうっすらと赤らめた。
「婚姻、イケメン、希望。」
そのかわいらしい恥じらいに、イケメンから程遠い生き物は身悶えた。
「イケメンったって、色々あるだろうがよ。」
小首が小さく傾ぐ。
「……イケメン力、3000以上。」
「なんだよっ! 『イケメン力』って、何が基準なんだよっ!」
「ムナノー、マイナス1200イケメン。」
「解った。そのムナノーってやつが好みじゃないってのは良くわかった。」
スライムは呼吸器液をゴボリと鳴らして溜息をついた。
「で、どうすんだ? このままだと、その変態に……ゴニョゴニョ……」
「ヤられる?」
「『オンナノコ』が、そういうことを言うなああああああ!」
スラスラの眼球液を、銀の瞳が覗き込んだ。
「キズモノ、嫌う?」
「ガキが……そういうイタいこと言うな。」
うろ覚えで腕の形を作り、その頬に優しく触れてやる。しかし、ずるりと不恰好な棒状の肌に大人しく頬を擦り付ける少女の姿が、スラスラをさらに落ち込ませた。
「やっぱり、トレース……するしかないのか。」
「スラスラ、婚姻。」
「ああ、嫁に行けなかったら、俺がもらってやるよ。『気が長い』と書いて、スライムと読むんだ。お前がちゃんと大人になるまで待ってやるからな。」
「大丈夫、待たせない。」
「……? いや、俺はロリコンじゃないからな。無理だぞ。」
ふっと微かに唇を上げた少女の笑顔に、ほんの一瞬、『大人のオンナ』の色香が薫る。
その不安定な艶っぽさに、スラスラの心臓液が大きく跳ねた。
(いや、いやいや、待てよ、俺! 幼女! 相手はよ・う・じょ!)
どくどくと全身で脈打つ感情と戦う男に、ユリはキュッとしがみついた。
「ムナノー、いや。」
「うう……俺だって、お前が変態の餌食になるなんて嫌だ。」
「ヤヲ、呼ぶ。」
「!」
小さな唇からこぼれた名前……その一言で火がついたように荒れ狂う気持ちが、『嫉妬』だということが、スラスラを悩ませる。
(ガキ相手に盛ってんじゃねえよ……俺。)
しかし、その花のような唇は、忌々しい名前を今一度呼んだ。
「ヤヲ、戦う、強い。」
「ぐ……そりゃあ、お強いだろうよ。なんたって、護衛長サマだ。」
国の要人……それもトップクラスの専用護衛を勤めるような男だ。おまけに、種族的にも……一般的に『平和を愛する』と書いてエルフと読むらしいが、ソレは微妙に間違っている。エルフは身体能力が異常に高く、その平和を脅かしたがゆえに『たった一人のエルフ』に滅ぼされた国の話なんて、ざらに聞く。
ましてハーフエルフは、より人間に近い思考を持つ。ソレは時として醜悪なまでの強さをもたらすとも言われている。
『平和を愛する破壊神』と書いてエルフと読むのが正しい。
それに比べて、『平穏無事を愛する人畜無害』と書いてスライムと読む身では、できることも自ずと限られている……
スラスラは壁際を這い進み、微かな風を探した。どんなに小さな隙間であろうと、表につながってさえいればスライムの体を阻むことは出来ない。
「ここだ!」
捜し求めていた微風を感じ取った彼は、今一度ユリを振り返った。
「ヤヲってやつを呼んできてやる。三時間……いや、二時間だ。二時間だけ辛抱しろ。」
ユリの顔が安堵に緩むその様に、透明な体液がどくどくと、黒く染まり行くような錯覚を感じる。
「俺は、そのまま退場させてもらう。どうせ戦いの役にも立たないんだし、もともと巻き込まれただけだ。文句は無いだろう?」
幼い姫君がうつむき、全ての表情が隠された。
「別れ……解った。」
感情すらも殺してしまったように、淡々と抑揚の無い声音が響く。
「スラスラ。」
「ん?」
「感謝。」
ぞわり、と外皮をなでるような後悔に、そのスライムが呻いた。
(こらえろ、今ならまだ引き返せる……幼女偏愛に堕ちる、その前に!)
ゴポリゴポリと波立つ心臓液を押さえて、スラスラはユリに背を向けた。