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結局、メグとのコイバナが盛り上がったせいで『V・バスターズ』はほとんど読めなかった。残りの巻を借り出したユリは、両手に絵草子を抱えて寝室に戻る。
やっとの思いでドアを開けたユリは、ベッドの上に横たわる黒髪の男に気づいた。
「『父がつけた名前など捨てた。母がつけた名前を呼ぶものはもう居ない。ゆえに、俺の名は』……」
「スラスラ。」
「完璧だろ? 名台詞も幾つか習ったんだぜ。他には……」
「スラスラ!」
「ちっ! 解ったよ。」
ずるりと姿を変えたその上に、ユリがどさりと絵草子を下ろす。
「せっかく4200イケメンをトレースしたのに、この扱いかよ。」
「寝台。」
ぽさりと飛び込む小さな少女に、スライムは大げさな溜息をついて見せた。
「まあ、それを望んだのは俺自身だしな。」
「スラスラ。」
「んん?」
「ササワヤシウィニーヤ=イニツジチチ=ソーウェテモーノアキクツ=ノセヲ=ウェタハム=アイーノクイテ。(心も体も、私が捧げる全てを愛してくれるその日を、待っています。)」
ちょっと早口な古代語にスライムが戸惑う。
「ええ、なんだって? ササワ……?」
「言う、再び、無い。」
「どこかに古語辞典があったよな?」
「無い。」
ぽ、と小さく頬染めるユリの態度に、スライムも外皮を赤く染めた。だが、それがどの感情からなのか、自分でもよくは解らない。
「ユリ、お前はオトコをなめすぎだ。」
怒りにも近い、身を熱く焦がすその感情のままに、スライムがぐいっと伸び上がった。絵草子が銀髪をかすめて落ち散らばり、ユリの体はかき乱れたシーツの中に沈む。
ブヨリと醜い生き物は小さな体をベッドの弾力の上に押し付け、細い腕をシーツに縫いとめた。
「オトコには愛だの恋だの、そんなものは必要ない。生物学的な理由で、オンナなんかいくらでも抱ける。いわゆる、カラダだけのカンケイってやつだ。」
ずるりとした感触が、ユリの上にのしかかる。
「俺だって、一応はオトコだ。ヤリカタも知らないほど子供じゃねぇし、涸れちまうほどジジイでもねぇ。チャンスがあるなら、むしろお願いしたいぐらいだ。」
しかし、その無様な生き物はそれ以上動こうとはしなかった。ただ心地よい重みだけをユリに預けて、ごぽりと眼球液を伏せる。
「……俺はロリじゃねぇから……その姿のお前にカラダを求めたりはしねぇ。だが世の中の男が皆そうだとは限らねぇんだ。そういう、誘うような顔を迂闊にするな。」
ずるり、ぽんと跳ね上げた小さな少女を自分の弾力の上で受け止めて、スライムは空々しいほど明るい声を出した。
「まあ、俺はカシコイからな。王になろうって女に手を出して、後でごたごたするほど馬鹿じゃねぇよ。」
ユリの銀色の瞳が、スライムの眼球液をじっと見つめる。
「待つ。」
「ああ? 何をだよ。」
「待つ……」
まぶたがゆっくりと、その瞳に浮かんだ切ない色を閉じ込めるように下りる。
スライムは他意無く、ただ主の眠りを守るために体を静かに波打たせた。




