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すっかり打ち解けた子供は、飴玉数個でスライムが欲しかった情報を全て話してくれた。
「じゃあ、お前らに飯を配りに来る奴らがいるんだな。」
無邪気な顔がこくりと頷く。
「そいつらは何者なんだ?」
「半魔半人のヒト。」
「へえ、イイヒトだな。」
「うん、イイヒト。半魔半人、イイ……ヒト……」
だんだん平坦になってゆく口調、虚ろに濁ってゆく眼……その異常な様相に、ヤヲとシンが息を呑んだ。
「カチガナイボクラニ、ホドコシヲ……」
その口調に合わせるように、スライムの口調もゆっくりと間延びする。
「そうだ、価値がない。だが、おまえ達を必要としているヒトがいるな?」
「アノオカタ……」
それだけを聞くと、スライムは子供の手の中に残りの飴玉を押し込んだ。虚ろな瞳に正気の光が灯る。
「俺のことは秘密にしたほうがいい。その飴玉、取られたくないだろ?」
チビ蜥蜴が再び無邪気に頷くのを見たスライムは、ごぽりとユリを抱き上げた。
「行くぞ!」
ずるりと歩き出す後ろを、ヤヲたちが慌てて追う。
一見無表情なその生き物が秘めている怒りに、ユリだけは気がついていた。
「スラスラ。笑う。」
「今は勘弁してくれ。とてもそんな気分じゃない。」
後ろを振り返り、振り向きしながらヤヲは言う。
「あの子供、おかしいですよ。」
「ああ、おかしいな。」
「放っておくんですか!」
「俺じゃ、どうにもしてやれない……」
「そんな薄情な!」
ユリが珍しく大きな声を出した。
「ヤヲ!」
広げた手のひらは、スライムが滲ませる液体でぬれている。
「……涙?」
「はあ? 俺が泣くわけないだろうよ!」
微かな鼻水混じりのその声に、ヤヲは怒りを完全におさめた。
「解りました、今は何も聞きません。私がやるべきことだけを、言ってください。」
「間違いねぇ、アノオカタってのは、ミョネが言っていた『あのお方』だろうよ。」
相手が『婚姻外の子』では、人間側の王を頼るわけにはいかない。スライムがヤヲに指示したのは、魔王への伝令魔族を出すことだった。
その報告書を書くため、宿の一室が立ち入り禁止にされた。中にいるのはもちろんスラスラとヤヲ、それにサケヤの三人だけだ。
「いいか、ヤヲ。お前は今日、『スラムへは行かなかった』。」
「行きましたよ、ちゃんと。」
「行かなかったことにしろって言ってるんだよ。ついでに言うと、あの場にはユリも『居なかった』。報告は全て、俺から聞いた話だということにしておけ。」
サケヤがあわててそれを止める。
「馬鹿か! お前まで責任を被ることはねぇと言っただろ。全て俺から聞いたことにしておけ。」
「俺は完璧主義者なんでな。魔王まで騙しにかけようっていう、大事な仕込みを、人任せにできねぇンだよ。」
何か言いたそうにぱく、と口を開けたヤヲを、スライムはごぽりと眼球液で制した。
「何も聞かないでいてくれるんだろう?」
金髪のオトコはぐう、と喉に言葉を詰まらせる。スライムはごぽりともう一つ音を立て、サケヤに眼球液を向けた。
「さて、俺は完璧主義者だって言ったよな? どんな些細なことでもいい。情報は全てよこせ。特に魔族たちが消えた夜、何か変ったことがあったはずだ。」
「ああ? まあ、これも噂でしかないがな、青い霧が街に立ち込めたそうだ。」
「青い霧……やっぱりな。」
「何か、知っているんですね。」
「スラムで、おかしな匂いがしただろう。」
「ええ、すっぱいというか、腐ってるというか……」
「あれは、ゾンチセの実の匂いだ。」
「聞いたことがねぇなあ。」
「この辺じゃそうかも知れねぇな。北方の戦場ではよく使われるモンだ。焚いて煙状にすれば一時的な興奮状態を得られる。兵達の士気をあげ、攻撃性を高めるために軍隊には欠かせない。」
「いわゆる興奮剤ってやつですか……」
「だが、勇猛な北の戦士でさえ、この実を直接口にしたりはしない。経口摂取した場合、12時間の間、強い幻覚と不安感をもたらす。離脱の際に味わう飢餓感は半端ない。その禁断症状を利用して、拷問や洗脳に使われる。」
「洗脳? それであの子供は……」
「くそっ! あんな、この世の終わりを漂うような感覚を、子供に見せるなんて……」
「まるで使ったことがあるような言い方ですね。」
「使ったんじゃない。『使われた』ンだ!」
ヤヲの憐憫の瞳を避けるように、スライムが眼球液を逸らす。
「……昔のことだ。」
「あの子供たちを救うことは出来ないんですか?」
「ゾンチセの中毒症状の治療、それに、洗脳外し……専門家による長期的な治療が必要だ。」
「つまり、街が解放されなければ、その専門家ってのを呼ぶこともできないってコトか。」
ずるりとした生き物は、ダムピールの美しい顔を吃と見据えた。
「ユリをこれ以上危険にさらすわけにはいかない。それに、俺だってこれ以上の面倒ごとはごめんだ。報告書を送ったら、すぐに次の街に向かうからな。」
「もちろんだ。お前たちをこれ以上巻き込むつもりはねぇよ。」
「その代わり、確実に魔王サマが救済の必要を感じるように、報告書を仕込んでやるよ。」
「あれだろ、都合の悪いことは隠しつつ、相手好みの情報を盛ればいいんだろ。」
「おお、解ってンじゃねえか。」
「そういうのは、得意なんだよ。」
声を低めて微笑みあう二人の、その悪そうな表情に、ヤヲが不安のまなざしを向けた。




