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シン=テ=カナサの客引きは命がけだ。吸血鬼である彼は日光に弱い。紫外線を完全に遮蔽するための黒いマントで身を包み、大きな日傘が手放せない。それでも耳の先を灰にしたことは、一度や二度ではない。
そんな思いをして、しかも睡眠時間を削ってまで彼が『客引き』に精を出す理由は……
「経営のためでございますよ。」
スラムの入り口で、彼は丁寧に頭を下げた。
ここまで彼が案内してきたのは、スラスラとユリ、それにいまいち状況が飲み込めていないヤヲの三人。
巨人の姿を借り、ユリを肩に乗せたスライムはあたりをぐるっと見回す。
「まあ、それもあるんだろうな。」
元は下町であったのだろうが、十余年の歳月を風雨に刻まれた建物は崩れ、背の高い草に飲み込まれようとしている様は正に『廃墟』。
空気すらも饐えているこの場所で、子供だけが細々と暮らしているなんて聞いただけでも胸が悪くなりそうだ。
「ここに堕ちるガキを一人でも減らすため……か。」
ユリを下ろして振り向いたスライムに、オヤジはぴっちりと撫で付けた頭を下げる。
「とんでもございません。私には、客引きのついでにアドバイスをすることしかできません。人様を救うなど、おこがましいことはとても……」
「もっと胸を張って良いと思うぜ。たった一人でできることなんざ高が知れてる。寧ろ、よくもそこまでって感心するぐらいだ。」
話し声に惹かれたのか、廃墟の影から小さな蜥蜴人間の子供がふらりとうろこだらけの顔をのぞかせる。やせこけた顔が、物欲しげにスライムたちを見つめた。
「飴……」
ポケットに手を突っ込むユリを、スライムが見咎める。
「ユリ、それはここの子供全員に配ってやれるだけあるのか?」
「たくさん、無い。」
「じゃあ、やめろ。中途半端な施しなんかするんじゃねぇ。」
その厳しい口ぶりに、ヤヲが表情を曇らせる。
「いいじゃないですか、そのくらい。」
「ああ、ユリが普通のガキならな。逆に褒めてやりたいぐらいの優しさだろうよ。だが、こいつは王になる女だ。不公平な施しが、逆に自分の首を絞めることだってある。」
スラスラは銀の瞳を見下ろした。
「王の施しは国の施し。一部の者へ有利を回せば、他の者へ不利が回る。国という公正な器はその有利と不利のバランスを……」
「難しい。」
「……解った。後で教える。とりあえず、ソレをよこせ。」
ずいっと差し出された大きな手のひらに、ユリがちまっと飴を乗せる。ヤヲが非難のこもった声をあげた。
「スラスラ、あなたは何を?」
「俺は王じゃねぇ。それに、どっちかっつうと悪人なんでな。これは『交渉』の道具に使わせてもらうぜ。」
大きな体がぐるりと振り向く様に、汚れきった顔がびくりと慄く。
「怖がる事ぁ無い。飴、好きか?」
飛び切り優しく低められた声にも、小さな蜥蜴は怯えたように首を振って後ろに下がった。
「ち! このナリじゃ、やっぱり怖いか。ならばヤヲに……」
ユリがその袖を引っ張る。
「スライム。」
「あ? スライムに戻れってか。余計まずいだろうよ、あんな不気味な姿は。」
「スライム!」
「解ったよ! お前は存外に強情だよな……」
ぶつぶつ言いながらもずるりと戻る体に、ユリが飛び乗った。
「ばかっ! 危ないから飛び乗るなって言ってるだろ!」
「スラスラ、優しい。」
「ちょ……ユリ、そんなところを撫でるな! そこは……」
「寝心地、抜群。」
「ユリ、頼むからやめてええええええ!」
幸せそうに弾力に沈む少女と、それに翻弄されて身をよじるスライム。その姿に、リザードマンの子供がクスリと笑う。
「怖い、無い。」
差し出された小さな手に、汚れきった子供がおずりと歩み寄った。
おまけ
並んで飴を頬張るユリと、そしてスラムの子供を見ながらヤヲがスラスラに小声で囁く。
「どこを撫でられたんですか?」
「どこって……そりゃぁ……」
「まさか……まさかあああああっ!」
「何考えてンだよっ! 腋下線液だよ。脇の下ってヤツだ。」
「くすぐったいんですか?」
「そりゃ、普通はくすぐったいだろうよ。」
「もしかして、足の裏液とか、わき腹液なんていうのもあるんですか?」
「ああ、足底液に側腹液な。」
「あるんですか! スライムの体って、神秘ですね。」




