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ヤヲ=ケネセッスは……って、このパターン、いい加減よくね?
ともかく、彼は自分のふがいなさにただただ涙していた。
「おおお……ユリ様……」
不眠不休でその姿を追い続けて疲れきった脳裏には、悲劇的な妄想がこびりついている、
「ヤヲ、一度宿に戻れ。」
副護衛長である狼獣人の制止を受けて、ヤヲはがっくりと膝をついた。
「私の力では、ユリ様をお助けできないと……?」
「単純に、休めと言っただけだ。明日は捜索の網をもっと外側に広げなくてはならん。疲れていては、使い物にならんだろう。」
「使い物に……やっぱり、私は役立たずなのですね!」
ウェアウルフは心の中で舌打ちした。
……エリート様は打たれ弱くて困る。
「護衛長であるお前には、ここ一番のときに居てもらわないと困る。」
金の前髪の奥で、美しい瞳に微かな陽光がともった。
「考えても見ろ。トップであるお前無しでは、この隊は回らないんだぞ。お前の真の出番は、ユリ様を攫った輩を見つけ、その御身を救い出すべく突入する、まさにその瞬間……だろう?」
取り戻した自信がヤヲを再び立ち上がらせた。
「そうですね。私が潰れるわけにはいかない……ここを頼めますか?」
「優秀なお前のことだ。次に捜索すべき場所の目安は、もう立っているんだろう? この地図に書き込んでくれれば、夜のうちに夜行性のやつらに探させておこう。」
「助かります。」
素直にペンを動かす愚かな上司を見るその男の顔は、黒い笑いに覆われていた。
(まあ、扱いやすい男ではあるが……)
地下室に、重量感あふれるギガントの足音が近づいてくる。
スラスラが目を覚ますと、腹の上で眠っていたはずのユリは既に起き上がっていた。
「来た。やつら。」
「ああ、来たな。で、作戦は?」
「大人しく、行く。行き先、知る。」
「なるほど。で、俺は?」
「無理。」
「ひでえなぁ。いざとなったら、盾の代わりぐらいにはなるぞ。」
「だから、無理、しない。」
「そういうことか。」
スラスラは体を腕のようにつき伸ばして、銀髪輝くユリの頭をなでた。
表情も、真意も見えないスライムの行いに、ユリの表情が8割引で曇る。
「心配するなって。『頑張らない男』と書いて、スライムと読むんだぞ。危なくなったら、すぐに逃げさせてもらうからな。」
「安心。」
ふっと緩みかけたユリの表情は、頭の上で立ち止まった足音に固まった。
ランプの光を漏らしながら、重い音を立てて跳ね蓋が上がる。
その光から小さな姫君を守るように、ずるりと体を伸ばして、スラスラは覗き込んだギガントを睨みつけた。
「こんな夜中にメシか? ダイエットのために、十二時以降は食わねえコトにしてるんだがなぁ?」
軽口を叩いたスライムは、その柔らかい体を大きな手で弾かれた。
ボヨンと、弾力のあるからだが壁際まで弾かれる。
同じ大きな手がユリを捉えた。美しい眉間に、5ミリほど刻まれた皺が、彼女の恐怖を物語る。
スラスラは内臓液が沸騰するほどの怒りを覚えた。
「ユリっ!」
ずるりとギガントに飛び掛る。大きな手がバシッとそれを弾き返す。ボンヨヨヨと、柔らかいからだが地面で跳ねる……
ずるり、バシッ、ボンヨヨヨ、ずるり、バシッ、ボンヨヨヨ……
不毛な攻防を5回も繰り返した頃、スラスラは攻撃を切り替えた。
『脳みそ軽っ!』と書いてギガントと読むこいつらには、『口撃』のほうが効くに違いない。
「ユリをどうするつもりか知らないがなぁ、丁寧に扱わないと商品価値が下がるぞ。」
「傷つけるつもりなどない。ボスは、大事に扱うように言った。」
「お前の大きな手で掴むだけで、ユリのか弱い肌は傷つくんだよ!」
あわててギガントが手を離すと、色白の肌にはくっきりと手の跡が残っていた。
もちろん、鬱血してるわけでも、血を流しているわけでもない。色が白いゆえについた、すぐに消えるような赤みではあったが、威嚇としては十分だ。
「ボスに怒られる?」
「ああ、怒られるだろうな。」
「どうすればいい?」
……かかった!
ギガントは愚かにも、連れ去ろうとしている本人に助言を求めた。
ユリがスラスラを一瞬、振り返る。
体に簡単なくびれを作って頷くようなしぐさをしてみせると、銀の瞳は僅かに微笑んだ。
「スラスラ、私、抱っこ。お前、スラスラ、抱っこ。」
「しかたねえな。ほら、乗れよ。」
ぐいっと体を歪ませてユリを抱きしめると、小さな唇を擦り付けるようにしてささやきが降る。
「ごめん。」
スラスラは声帯液をユリの耳元に集め、コポリと小さな音を立てる。
「来るなって言われても、着いていくつもりだったんだ。気にするな。」
納得のいかない顔をしながら、それでもギガントは、ユリを包み込んだ弾力ある体を抱き上げた。
どすどすと歩く振動を打ち消すように、たぷたぷと体液を揺らしながら、スラスラは考えていた。
腕の中にある小さな存在が自分を頼りにしてくれる瞬間の……優越感にも似たその感情の名前を……