2
「これは……『歴史ある』と書いてボロい、だな。」
おまけに街からも少し離れている。しいて言えば、建物の大きさとオヤジの愛想のよさがウリだろうか。
「まあ、そうがっかりなさらずに。ウチは混浴、天然温泉ですよ。」
腰の低い吸血鬼の言葉に、野郎どもが「ぐおおおおおお」と叫ぶ。
「風紀上よろしくありません。後で入浴の時間割を決めます。」
クソまじめな隊長の言葉に、野郎どもが「ぶぅううううう」と喚いた。
スラスラは、馬車から降りるユリを、ぽよりと抱きとめながら笑う。
「お前ら、変な期待をするなよ。混浴ってのはつまり、風呂が一つしかないってことだ。」「お客様、良くご存知ですね。」
「古い宿ではよくあることだな。」
「建物は古うございますが、当館の優秀なスタッフ達による清掃は行き届いておりますゆえ、館内は明るく、清潔でございますよ。さささ、どうぞ中へ。」
一歩中に入ると、確かに清潔感はある。ヌーセ材で張られた床にはホコリ一つなく、フロントのカウンターはおろか、階段の手すりに至るまでぴかぴかと光っている。
「すげえな。乾いた布で毎日磨かないと、こうはならない。」
「スタッフ達の、努力の賜物でございます。」
「だが、明るくは無いな。」
二階の鎧戸は全て下ろされ、ご丁寧に天井の明かり取りまで塞がれている。室内を照らすのは燭台に立てられたろうそくの、わずかに揺らめく明りだけだ。
「そうでございますか? むしろ明るすぎるぐらいでは?」
きょとんと立ち尽くすおやじの遥か頭上から、突如、張りのある声が響き渡る。
「おもてなしの心得、その壱! お客様のお望みのものは最優先で用意すべし! 酒宴をお望みなら酒を、眠りをお望みなら寝床を、そして、明りをお望みなら……明りを!」
派手な音と共に明かり取りが開かれ、一筋の光が差し込む。
「うぎゃあああああ!」
吸血鬼は悲鳴を上げて、光の届かないカウンターの影に逃げ込んだ。
明るくなった天井を、ばさりと大きな音を立ててコウモリ羽の男が飛び回っている。
「往生際の悪い。大人しく灰になれ!」
ばん、ばん、ばんっと全ての明かり取りは開かれ、温かな光が磨きこまれた木肌に落ちる。息を吹き返したように明るくなった入口広間は、その手入れのおかげで古さすらも重厚な歴史に見えるほど美しいものだった。
調度品も古いものばかりだが、現役で使用されているが故の垢馴染んだ美しさがある。博物館でしかお目にかからない様な古代模様の花器にさりげなく野の花が生けてある様などは、ここが古くは格式ある高級宿であったことを示していた。
そのロビーの真ん中に、飛び回っていたコウモリ羽がふわりと降り立つ。するりと羽をしまったその姿に、女性隊員たちがよだれをすすった。
「皆様、ようこそ、小鳩会館へ。」
見目も麗しい美青年が、ふわりとした高貴な仕草でお辞儀をする。きちんと整えられた漆黒の髪の下には、肉食獣を思わせる緑色の瞳が燃える。そのエキゾチックさは、隠し切れない野生の色香にあふれていた。
「父に代わりましてご挨拶させていただきます。私がこの宿の主……」
「私はまだ、引退していないぞ!」
カウンター下からのか細い声に、青年の語調が荒れた。
「うっせぇ! さっさと灰になれ!」
セクシーヴォイスで怒鳴る、その乱暴さすら野性的に見えるのだろう。女性陣は賞賛のどよめきを上げる。
「どいつもこいつも、平和な連中だなぁ。な?」
横を見たスライムは小さな少女が、その美青年に食い入るような視線を向けていることに気づいた。
「ユリ?」
「似てる。」
「誰! 誰に似てるって!」
ユリの、そして女性隊員たちの視線の中心で、美しい半吸血鬼はパーフェクトな営業スマイルを浮かべる。
「それでは、スタッフにお荷物を運ばせましょう。」
美青年の合図で駆け寄ってきたのは幼い子供たちだった。
「スタッフって、こんな子供が?」
さらに驚いたことに、どの子供も……
「魔族ばっかりだな。」
「スラスラ、ここも何かおかしくありませんか?」
「そうだな。今からでも宿替えを……」
こそっと囁きあう男たちの背後に、美しい半吸血鬼が音もなく立った。
「責任者の方ですね。手前どもの話を聞いてはいただけませんか?」
その腕の中には、小さな主が大人しく抱えられている。
「ユリっ!」
「ご心配なく。ガキの扱いには、慣れていますンでね。」
ぞくりと射すくめるようなエメラルドの瞳に、二人は大人しく従うほかなかった。




