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ユリの護衛長、ヤヲ=ケネセッスは美しい男だ。
エルフである母の美貌をそのままに受け継いだ金の髪、整った顔立ち。常に冷静を欠かず、柔らかい笑顔を絶やさない彼は『金の陽光』と呼ばれている。
その彼が、今は自慢の金髪を振り乱し、汗と泥にまみれて森の中を走り回っている。
「もうすぐ日没か……」
選りすぐりの護衛団も、このハーフエルフの並外れた身体能力と忠心についてはいけず、彼に従っているのは、すでに数人の獣人だけだった。
「ヤヲ、いったん体制を立て直そう。」
「そんな悠長なことを言っている間にも、ユリ様は……」
幼い頃よりそばに仕え従ってきた、あの可憐な主だけがまぶたの裏に浮かぶ。
その姿の可憐さとは裏腹に、魔王を父に持つ彼女の魔力は強大だ。人間の中で生きていくためには、魔具で魔力を押さえ込んでおかなくてはならないほどに……
「ユリ様、せめて……」
首から下げた鍵を強く押さえて、彼は呻いた。
魔力が強すぎるがゆえに、彼の小さな主人は不幸である。
聖王の座を狙う他家からは命を狙われ、魔力に惹かれた魔物たちには付けねらわれ……父である魔王はそんな彼女の境遇を哀れみ、魔王候補として手元に引き取ることを決めた。
今回はその道行きであった。
やっと平穏な暮らしを手に入れようとしていた矢先に、彼女を連れ去ったギガントの一団……ヤヲの胸中にあるものは、警備の不備を問われる己の立場よりも、今この瞬間にも小さな主が恐怖に震えているのではないかという、痛みにも似た感情だった。
小さな妹を見守るように、大切に仕えていたヤヲには解っている。『無表情』といわれる彼女が、実は感情豊かであることを。
表情も変えず、ただ心だけを震わせて夜の闇に怯える主は、今頃どうしているのだろう。「夜目の利くものを集めろ! 他のものは、明日の捜索に備えて宿へ下がれ。」
ヤヲの指示に、獣人たちが暮闇の中を走り出す。
「せめて、この夜がユリ様にとって安らかなものでありますよう……」
ただひたすらに、ヤヲは祈った……
ヤヲの祈りを捧げられた小さな主は……土壁に夜の染み込む地下室で、たぷんと液体の揺れる体の上に抱えられていた。
「これは?」
「仕方ないだろ! こんな土の上に、お前を直接寝かせる訳にはいかない。」
液体は程よい弾力で少女の形にくぼみ、薄く透ける外皮は高級なシルクのようにつるんと滑らかで、どんな職人が作った寝台よりも寝心地のいいものだった。
だがユリは、大きな瞳を閉じようとはしない。
「男の人、一緒に寝る、よくない。」
「あ? 俺は幼女趣味じゃないぞ。そういうマセたことは、もうちょっと乳周りのボリュームが出てから言いな。」
「人、居る、寝られない。」
「だからっ! 何もしないって……」
「違う。クセ……殺される、犯される。夜、怖い。」
小さな唇から痛ましい言葉が出たことに、表情すら持たないスライムはゴボリと水音で不快感を訴えた。
いかに幼かろうと『婚姻外の子』。その権力を狙って、命を狙われることもあっただろう。無体なやり方で彼女を手に入れようとする変態も……
「ここには俺しか居ない。おまけに俺は、ご覧の通りの最弱スライムだ。」
その『男』は、優しく、低くささやいた。
「ユリは、俺も怖いか?」
「……怖くない。」
より寝心地が良くなるように、たぷんと音を立てて体をくぼませれば、そこにすっぽりと収まる感触に、幼子はもう抗わない。
「それでいい。怖いなら、耳も塞いでおいてやる。眠ることだけを考えろ。」
ユリの全体重がそこに預けられた。
スラスラの体内を満たす液体はぬるくもなく、冷たくもなく、ただ、奥のほうからこぽん、こぽんと、あわ立っては消える音がユリを眠りに誘う。
「良く眠れそうだろ? 『安眠枕と書いてスライムと読む』って言われるぐらいだ。大昔の王侯貴族たちはこぞってスライムを野営の寝台代わりに求めたらしい。例えば、かの有名な……って、うるさいか?」
シルクのような肌触りに、するりと頬が擦り付けられた。
「声、安心。」
銀の瞳が無防備に閉じられる。
「スラスラ?」
「ん?」
「責任、取る。」
「ロリじゃないって言ってるだろ。何もしねえよ。」
既に規則正しい呼吸と共にまどろみ始めた少女は、答えはしなかった。